私は当時大学生で神戸の大学に実家から通っていました。場所は神戸市垂水区で、垂水駅からバスで10分ぐらいのところです。実家は7階建てのマンションで1階に伯母夫婦、7階に祖母が住んでいました。
その2(地震の日の前)からの続き
それは突然やってきました。
私は、かなり深く眠る方なんですが、さすがにあの揺れでは目が覚めました。
私「んっ?地震?」
シングルのパイプベッドで寝ていたんですが、かなりの時間前後左右に揺さぶられたのを覚えています。
気付いた時には揺れの中だったんで布団を頭から被ってひたすら耐えてました。それでも、今までのよくある軽い地震だと思っていたのは私が寝ぼけていたんでしょうね。地震が収まって、再び静寂が訪れると「終わったな」と思ってもう一度寝ようとしましたから。
ところが、そうもいきませんでした。
母「い、い、今の地震何?きゃあ!!」
人一倍、敏感な母が飛び起きて悲鳴をあげたのです。さすがに、こうなると寝ているわけにもいかず、よっこらしょと重い体を起こしました。
ふと布団の上を見ると、棚にしまってあった「羽毛布団」が丁度足のあたりに落ちていました。もし、重量物だったら間違いなく両足骨折だったと思います。このときはまだ軽い地震だと思っていたので別段気にもしませんでしたが…。
私「母さん、大丈夫?どうしたの?」
と大声を出しながら、廊下の電気をつけ母の部屋に向かいました。
母「龍、こっち来ちゃダメ!止まって!」
私「????!」
母「下、下、食器割れてるから!!」
思わずつんのめりながらも、足元を見ると、粉々に砕けた食器の海。
そう、食器棚から食器だけが飛び出して床に落ちてたんです。かなり寝ぼけていたので母が止めてくれなければ大怪我でした。食器棚や冷蔵庫といったものが倒れなかったのは助かりましたね。
しかし、この状態では、台所の向こうにある両親の部屋にいけません。
母は早速食器を片付け始め、父もでてきてテレビをつけてました。家具も倒れることなく誰も怪我をしていませんでしたので、まだ大変なことが起きているという認識はありませんでした。
私はスリッパもガラスまみれになっていたので、どうすることも出来ず、部屋に戻りました。部屋はもともと散らかっていたので足の踏み場もないのは変わってなかったのですが、パソコンのモニターテレビとプリンタが床に落ちてました。
そしたら、すぐに私を呼ぶ母の声
母「龍、おばあちゃん心配だから見てきて」
私と逆に両親は台所を通らなければ、玄関に出られませんので、私が7階にいる祖母の様子を見に行くしかありません。
私「わかった、行ってくる」
と服を着替えて玄関を開けようとノブをひねって引っ張ると
ガッ
という音共にドアが引っかかり止ってしまいました。
その後いくら引っ張っても、びくともしません。やばっ!閉じ込められてる。
全身に緊張感が走るのが分かった。
私「かあさん、ドアあかへん。どうしよ」
母「えっ?えっ?なんで、どうして??」
軽くパニックに陥る母。ここでパニクってはいけないと逆に自分が冷静になる。
私「父さん、母さん頼む。こっちは何とかするから」
と、父に母を任せ再びドアにむかいました。
私のマンションはかなり古いマンションで、ドアを引いてあけなければならなかったんです。
なので、体当たりでドアを開けるということが出来ない。
仕方がないので、体当たりしてドアを完全に閉め、今度は目一杯引っ張る。
ガガッ
さっきよりはわずかに開くもののまだ開かない。
だからといってあきらめるわけに行かない
もう一度、ドアを閉め、また、目一杯引っ張る。
何度繰り返しただろうか?何か別の策はないかと考えよう始めた瞬間
ガガッ、バンッ!
私「よっしゃあ!!」
思わず声をあげました。
母「よかったぁ、早くおばあちゃんのところ行ってあげて!」
私は7階まで階段を駆け上りました。
私「ばあちゃん、大丈夫?、ばあちゃん」
祖母の家の前でドアを叩いて大声で叫びました。
祖母「あぁ、龍か。私は大丈夫やねんけど。ドアがあかへんねん」
やっぱり閉じ込められてました。
私「カギ開いてる?後ろ下がっといて、こっちからあけるから」
と、私は祖母が下がったのを確認して、思いっきりドアを蹴飛ばしました。
ガガガァ~ン
物凄い勢いでドアが開き、玄関に立ちすくむ祖母が確認できました。
私「おばあちゃん大丈夫?体何ともない?」
祖母「大丈夫よ。龍は大丈夫かいな?」
私「うん、大丈夫」
ここで、ふと気付きました。自分のところと祖母のところが閉じ込められたということは、他の家の人も閉じ込められているということ?案の定周りを見渡しても誰も外に出ていません。
私「ばあちゃん、待ってて、他の人も閉じ込められてるかもしれんから、全部見てくる」
と言い残し、片っ端からドアを叩きました。
私「大丈夫ですか、ドア開きますか?」
幸い、どなたも怪我は無いようでしたが、案の定、半分以上の家でドア枠が歪んで開かない状態になってました。
全戸のドアが開くのを確認した後、1階の伯母夫婦の無事も確認し、家に戻ると、食器が綺麗に片付けられてました。
この時点で大体9時ぐらいだったかと思います。
テレビには、地震速報が流れてましたが、神戸の震度はでてませんでした。
テレビを見て大変なことになっていることが徐々に伝わってきました。
「各地で家屋の倒壊や火災が発生しているようです…。火災が発生しているのは、長田区、須磨区…。」
アナウンサーが緊張した声で話しています。
私「す、須磨区?」
そう、妻(当時はまだ彼女)は須磨区に下宿していたんです。急に胸騒ぎがし始めました。
いままで自分の周りしか見えてなかったことに焦りました。
私「母さん、ちょっと出かけてきていい?」
母「え、どういうこと?こんな時に、家におりなさい!」
私「○○が、心配やねん行ってくる」
母「ちょっと居ってよ、今出てったらどうなるかわからんやないの」
私「須磨が燃えてるってテレビで言ってるねん、行かせて」
母「わ、わかったから…。気をつけていってらっしゃい。すぐ戻ってくるねんよ」
母の気持ちはわかる。悲惨な状況が刻々と伝えられるなか、息子がその場所に向かおうとしているのだ。
でも、いてもたってもいられなかったのだ。
私は、原付をエレベータに乗せ、妻の下宿に走り出しました。
(私のマンションでは各階のエレベーターホールに原付や自転車を置いていた。エレベータを使うのは危険だとは思いましたが、階段をおろすわけにもいかず、徒歩で行くのはあまりに時間がかかるので無茶を承知で乗せました。決して奨められることではありません、皆さんは真似しないでください)
つづく。
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私「んっ?地震?」
シングルのパイプベッドで寝ていたんですが、かなりの時間前後左右に揺さぶられたのを覚えています。
気付いた時には揺れの中だったんで布団を頭から被ってひたすら耐えてました。それでも、今までのよくある軽い地震だと思っていたのは私が寝ぼけていたんでしょうね。地震が収まって、再び静寂が訪れると「終わったな」と思ってもう一度寝ようとしましたから。
ところが、そうもいきませんでした。
母「い、い、今の地震何?きゃあ!!」
人一倍、敏感な母が飛び起きて悲鳴をあげたのです。さすがに、こうなると寝ているわけにもいかず、よっこらしょと重い体を起こしました。
ふと布団の上を見ると、棚にしまってあった「羽毛布団」が丁度足のあたりに落ちていました。もし、重量物だったら間違いなく両足骨折だったと思います。このときはまだ軽い地震だと思っていたので別段気にもしませんでしたが…。
私「母さん、大丈夫?どうしたの?」
と大声を出しながら、廊下の電気をつけ母の部屋に向かいました。
母「龍、こっち来ちゃダメ!止まって!」
私「????!」
母「下、下、食器割れてるから!!」
思わずつんのめりながらも、足元を見ると、粉々に砕けた食器の海。
そう、食器棚から食器だけが飛び出して床に落ちてたんです。かなり寝ぼけていたので母が止めてくれなければ大怪我でした。食器棚や冷蔵庫といったものが倒れなかったのは助かりましたね。
しかし、この状態では、台所の向こうにある両親の部屋にいけません。
母は早速食器を片付け始め、父もでてきてテレビをつけてました。家具も倒れることなく誰も怪我をしていませんでしたので、まだ大変なことが起きているという認識はありませんでした。
私はスリッパもガラスまみれになっていたので、どうすることも出来ず、部屋に戻りました。部屋はもともと散らかっていたので足の踏み場もないのは変わってなかったのですが、パソコンのモニターテレビとプリンタが床に落ちてました。
そしたら、すぐに私を呼ぶ母の声
母「龍、おばあちゃん心配だから見てきて」
私と逆に両親は台所を通らなければ、玄関に出られませんので、私が7階にいる祖母の様子を見に行くしかありません。
私「わかった、行ってくる」
と服を着替えて玄関を開けようとノブをひねって引っ張ると
ガッ
という音共にドアが引っかかり止ってしまいました。
その後いくら引っ張っても、びくともしません。やばっ!閉じ込められてる。
全身に緊張感が走るのが分かった。
私「かあさん、ドアあかへん。どうしよ」
母「えっ?えっ?なんで、どうして??」
軽くパニックに陥る母。ここでパニクってはいけないと逆に自分が冷静になる。
私「父さん、母さん頼む。こっちは何とかするから」
と、父に母を任せ再びドアにむかいました。
私のマンションはかなり古いマンションで、ドアを引いてあけなければならなかったんです。
なので、体当たりでドアを開けるということが出来ない。
仕方がないので、体当たりしてドアを完全に閉め、今度は目一杯引っ張る。
ガガッ
さっきよりはわずかに開くもののまだ開かない。
だからといってあきらめるわけに行かない
もう一度、ドアを閉め、また、目一杯引っ張る。
何度繰り返しただろうか?何か別の策はないかと考えよう始めた瞬間
ガガッ、バンッ!
私「よっしゃあ!!」
思わず声をあげました。
母「よかったぁ、早くおばあちゃんのところ行ってあげて!」
私は7階まで階段を駆け上りました。
私「ばあちゃん、大丈夫?、ばあちゃん」
祖母の家の前でドアを叩いて大声で叫びました。
祖母「あぁ、龍か。私は大丈夫やねんけど。ドアがあかへんねん」
やっぱり閉じ込められてました。
私「カギ開いてる?後ろ下がっといて、こっちからあけるから」
と、私は祖母が下がったのを確認して、思いっきりドアを蹴飛ばしました。
ガガガァ~ン
物凄い勢いでドアが開き、玄関に立ちすくむ祖母が確認できました。
私「おばあちゃん大丈夫?体何ともない?」
祖母「大丈夫よ。龍は大丈夫かいな?」
私「うん、大丈夫」
ここで、ふと気付きました。自分のところと祖母のところが閉じ込められたということは、他の家の人も閉じ込められているということ?案の定周りを見渡しても誰も外に出ていません。
私「ばあちゃん、待ってて、他の人も閉じ込められてるかもしれんから、全部見てくる」
と言い残し、片っ端からドアを叩きました。
私「大丈夫ですか、ドア開きますか?」
幸い、どなたも怪我は無いようでしたが、案の定、半分以上の家でドア枠が歪んで開かない状態になってました。
全戸のドアが開くのを確認した後、1階の伯母夫婦の無事も確認し、家に戻ると、食器が綺麗に片付けられてました。
この時点で大体9時ぐらいだったかと思います。
テレビには、地震速報が流れてましたが、神戸の震度はでてませんでした。
テレビを見て大変なことになっていることが徐々に伝わってきました。
「各地で家屋の倒壊や火災が発生しているようです…。火災が発生しているのは、長田区、須磨区…。」
アナウンサーが緊張した声で話しています。
私「す、須磨区?」
そう、妻(当時はまだ彼女)は須磨区に下宿していたんです。急に胸騒ぎがし始めました。
いままで自分の周りしか見えてなかったことに焦りました。
私「母さん、ちょっと出かけてきていい?」
母「え、どういうこと?こんな時に、家におりなさい!」
私「○○が、心配やねん行ってくる」
母「ちょっと居ってよ、今出てったらどうなるかわからんやないの」
私「須磨が燃えてるってテレビで言ってるねん、行かせて」
母「わ、わかったから…。気をつけていってらっしゃい。すぐ戻ってくるねんよ」
母の気持ちはわかる。悲惨な状況が刻々と伝えられるなか、息子がその場所に向かおうとしているのだ。
でも、いてもたってもいられなかったのだ。
私は、原付をエレベータに乗せ、妻の下宿に走り出しました。
(私のマンションでは各階のエレベーターホールに原付や自転車を置いていた。エレベータを使うのは危険だとは思いましたが、階段をおろすわけにもいかず、徒歩で行くのはあまりに時間がかかるので無茶を承知で乗せました。決して奨められることではありません、皆さんは真似しないでください)
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