私は原付に乗って須磨方面に向かいました…。
その3(地震の当日1)のつづき
垂水の曲がりくねった坂道を下り、国道2号線にでました。垂水駅周辺は特に倒壊した家屋もなく車も殆ど走っていませんでした。
ただ、異様な静けさが街を支配していたのを覚えています。
そのまま、海沿いを全開で走行中、フルフェイスのヘルメットの中にまでガスの匂いが入ってきました。丁度、塩屋駅に近づいたところです。
「やばい、ガスが漏れてる」
かといって止まるわけにもいかず、大きく段差の出来た跨線橋を手押しで越え、須磨方面へ加速しました。
途中の状況は覚えていません。殆ど車は走っていなかったと思います。
そして、妻の下宿先のワンルームマンションが見えてきました。
「良かった、ちゃんと建ってる」
しかし、まだ安心できません。マンションの入口に原付を止めると、階段は大きく地面から離れ、中に浮いていましたが、なんとか上れそうです。妻の住んでいた5階まで階段を上り始めました。
そして、5階についたその時、階段で友達と話している妻(当時はまだ彼女)の姿が。
私「○○!」
妻が私に気付いて驚いた表情を見せます。次の瞬間、私は妻を抱きしめていました。
私「良かった、無事だったんだ、良かった、遅くなってご免」
妻の部屋は、本棚や勉強机などが倒れ、足の踏み場もない状態だったようです。
妻によると、近くにある避難所にみんなで行っていて、必要な物をとりに戻って来たとのこと。
私「そっか、怪我はない?大丈夫?必要な物は?」
妻「みんなと一緒にいるから大丈夫よ。公衆電話には凄い人が並んでるし、全然繋がらない状態、実家に電話できてないの、龍の家は大丈夫なの?出てきて大丈夫?」
妻の気丈な言葉に少なからず驚いた。
妻「とりあえず、みんなが心配するし、自分は避難所に戻るから、龍も家に帰ってあげて」
何も言えなかった。黙ってうなずくしかなかった。家においでとも言えなかった。
今の状態だと、下手に動いて安否が確認できなくなる方が危険だと感じた。
私「わかった、一旦戻って、また来る」
そういい残して、階段を下りた。
そして、原付に跨った瞬間、また、大変なことを思い出した。
小学校からの友人で、中高6年間一緒にすごした親友(イチロー)の実家が須磨寺駅の近くにあったのだ。
イチローは、滋賀の大学にいるはずなのだが、ここのご両親は本当によくしてもらっている。
私は、家に向かわず、親友の実家へ原付を向かわせた。
そこからは、大変な状況だった。
須磨駅前周辺は古い建物がおおく木造の一戸建ても多い。
その殆どが倒壊していたのだ。
「やばい、やばい、やばい」
そう、ヘルメットの中でつぶやきながら走っていた。
そして、狭い道を抜け、イチローの実家が見えた瞬間、私は言葉を失った。
「・・・・・・」
イチローの家は、完全に1階がつぶれ、2階の屋根しか見えてなかった。周りの住宅も全部同じ状態だった。
そして、2階の屋根の上にはイチローのお父さんが、疲れ果てた様子で座っていた。
私「おじさん!!」
おじさん「あぁ、龍君か」
私「みんなは?イチローやおばさんとジロー君は?」
おじさん「あぁ、イチローは滋賀や、こっちに居らん、うちの妻とジローも2階に居って大丈夫やったけど、1階のばあちゃんがとじいちゃんが…」
おじさんは腕で×の字ををつくっていた…。
なんてことだ…。
おじさん達は崩れた2階の屋根の隙間からなんとか這い出したらしい。
おばさんとジロー君は仕事用のワゴン車に避難しているとのこと。
私「おじさん、何かいるものある?こっちは大丈夫だから何でも言って!」
おじさんは、ほんの少し笑顔を返してながら
おじさん「何がいるかわからんのや。とりあえず、ばあちゃんたちを運び出したいんだけどな。こんな状態やし、ええよ、ありがとう。こっちは電話つながらんから、イチローに連絡しといてくれんか。」
私「わかった、何か適当にもってくるよ。イチローにも電話してみる。こっちに呼んだ方がええ?」
おじさん「いいや、とりあえず呼ばんでええ。なんも動いてへんしコチラにくるの大変やしな。また呼ばなあかんようなったら呼ぶよ」
私は、帰路についた。
原付を運転中、何ができるのかずっと考えていた。
出来そうなのは、妻の実家とイチローに連絡をとるぐらい。
あとは、毛布やホッカイロを届けるか…。
そう考えながら家につき、母親にことの次第を話した。
母「そっか、○○ちゃん無事やったか良かったな。イチロー君ところはえらい事になったな。毛布とかホッカイロは一杯あるから全部持っていき」
そう、母は近くの病院で看護助手として働いていたこともあって、不要になった毛布や期限切れのホッカイロなどをいつも家に持ち帰っていたのだ。
私「うん、持っていくわ、あと電話せなあかんな」
と私は、家の電話の受話器をとった。まずは妻の実家へ電話を掛けた。
私「あの、青居 龍ですが」
妻の母「あ、龍君どないしたん?」
私「○○は無事だったんで、それだけを言いたくて電話しました」
妻の母「え、そうなの。わざわざ電話くれてありがとう。安心したわ」
緊迫した様子は伝わってこなかった、妻がいないときに実家に電話したことも無く、妻のお母さんとは、電話を取り次いでもらうぐらいしか話したことが無かったのだ。むしろ電話がかかってきたことに驚いた様子だった。そう、神戸の状況が全然伝わってなく、大変なことになっているという意識が全くなかったのだ。むしろ、自分のところが地震の震源地だと思われていたらしい。
私「○○の方からは電話つながらないんですよ、今、避難所にいます。○○は大丈夫ですから、また、連絡します。」
そう言って、私は電話を切り、今度は親友の下宿へ電話を掛けた。
私「もしもし、イチローか?」
イチロー「おう、龍か。どないなっとるねんそっちは、親に電話掛けても通じんし…。」
私「あのな、辛いこというけど聞いてな。おじさんとおばさんとジロー君は無事や、でもな、おばあちゃんとな、おじいちゃんな亡くなったみたいや」
イチロー「そっか、わかった。連絡してくれてありがとう。そっち帰れるか?」
私「JRも山電も阪急も阪神も全部とまっとる。おやじさんはこんでええといってた。また連絡するっていってたからとりあえずそっちおった方がええと思う。いま、こっちは混乱しとるし」
イチロー「・・・・・・。わかった、また状況が変わったら教えてくれ、頼む」
親友も感情を抑えているのが分かった。自分もそうだった。感情的に話すことはできなかった。
私は電話を置いたあと、毛布とカイロを鞄に詰め、再び須磨へ向かった。
その夜、妻から垂水にいるバイト先の友人の家に避難していると連絡が入り、それなら家においでよということで、母も快諾。初めて、妻を両親に紹介することになりました。
(彼女が居るというのは知っていたんですが会わせた事はなかったんです)
その5(地震後2日目)につづく
阪神・淡路大震災(神戸地区)がどういうものだったかは神戸市消防局のHPをご覧下さい。
その他の情報はGoogle 検索: 阪神 淡路 大震災 で。
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【阪神・淡路大震災】について
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その3(地震の当日1)のつづき
垂水の曲がりくねった坂道を下り、国道2号線にでました。垂水駅周辺は特に倒壊した家屋もなく車も殆ど走っていませんでした。
ただ、異様な静けさが街を支配していたのを覚えています。
そのまま、海沿いを全開で走行中、フルフェイスのヘルメットの中にまでガスの匂いが入ってきました。丁度、塩屋駅に近づいたところです。
「やばい、ガスが漏れてる」
かといって止まるわけにもいかず、大きく段差の出来た跨線橋を手押しで越え、須磨方面へ加速しました。
途中の状況は覚えていません。殆ど車は走っていなかったと思います。
そして、妻の下宿先のワンルームマンションが見えてきました。
「良かった、ちゃんと建ってる」
しかし、まだ安心できません。マンションの入口に原付を止めると、階段は大きく地面から離れ、中に浮いていましたが、なんとか上れそうです。妻の住んでいた5階まで階段を上り始めました。
そして、5階についたその時、階段で友達と話している妻(当時はまだ彼女)の姿が。
私「○○!」
妻が私に気付いて驚いた表情を見せます。次の瞬間、私は妻を抱きしめていました。
私「良かった、無事だったんだ、良かった、遅くなってご免」
妻の部屋は、本棚や勉強机などが倒れ、足の踏み場もない状態だったようです。
妻によると、近くにある避難所にみんなで行っていて、必要な物をとりに戻って来たとのこと。
私「そっか、怪我はない?大丈夫?必要な物は?」
妻「みんなと一緒にいるから大丈夫よ。公衆電話には凄い人が並んでるし、全然繋がらない状態、実家に電話できてないの、龍の家は大丈夫なの?出てきて大丈夫?」
妻の気丈な言葉に少なからず驚いた。
妻「とりあえず、みんなが心配するし、自分は避難所に戻るから、龍も家に帰ってあげて」
何も言えなかった。黙ってうなずくしかなかった。家においでとも言えなかった。
今の状態だと、下手に動いて安否が確認できなくなる方が危険だと感じた。
私「わかった、一旦戻って、また来る」
そういい残して、階段を下りた。
そして、原付に跨った瞬間、また、大変なことを思い出した。
小学校からの友人で、中高6年間一緒にすごした親友(イチロー)の実家が須磨寺駅の近くにあったのだ。
イチローは、滋賀の大学にいるはずなのだが、ここのご両親は本当によくしてもらっている。
私は、家に向かわず、親友の実家へ原付を向かわせた。
そこからは、大変な状況だった。
須磨駅前周辺は古い建物がおおく木造の一戸建ても多い。
その殆どが倒壊していたのだ。
「やばい、やばい、やばい」
そう、ヘルメットの中でつぶやきながら走っていた。
そして、狭い道を抜け、イチローの実家が見えた瞬間、私は言葉を失った。
「・・・・・・」
イチローの家は、完全に1階がつぶれ、2階の屋根しか見えてなかった。周りの住宅も全部同じ状態だった。
そして、2階の屋根の上にはイチローのお父さんが、疲れ果てた様子で座っていた。
私「おじさん!!」
おじさん「あぁ、龍君か」
私「みんなは?イチローやおばさんとジロー君は?」
おじさん「あぁ、イチローは滋賀や、こっちに居らん、うちの妻とジローも2階に居って大丈夫やったけど、1階のばあちゃんがとじいちゃんが…」
おじさんは腕で×の字ををつくっていた…。
なんてことだ…。
おじさん達は崩れた2階の屋根の隙間からなんとか這い出したらしい。
おばさんとジロー君は仕事用のワゴン車に避難しているとのこと。
私「おじさん、何かいるものある?こっちは大丈夫だから何でも言って!」
おじさんは、ほんの少し笑顔を返してながら
おじさん「何がいるかわからんのや。とりあえず、ばあちゃんたちを運び出したいんだけどな。こんな状態やし、ええよ、ありがとう。こっちは電話つながらんから、イチローに連絡しといてくれんか。」
私「わかった、何か適当にもってくるよ。イチローにも電話してみる。こっちに呼んだ方がええ?」
おじさん「いいや、とりあえず呼ばんでええ。なんも動いてへんしコチラにくるの大変やしな。また呼ばなあかんようなったら呼ぶよ」
私は、帰路についた。
原付を運転中、何ができるのかずっと考えていた。
出来そうなのは、妻の実家とイチローに連絡をとるぐらい。
あとは、毛布やホッカイロを届けるか…。
そう考えながら家につき、母親にことの次第を話した。
母「そっか、○○ちゃん無事やったか良かったな。イチロー君ところはえらい事になったな。毛布とかホッカイロは一杯あるから全部持っていき」
そう、母は近くの病院で看護助手として働いていたこともあって、不要になった毛布や期限切れのホッカイロなどをいつも家に持ち帰っていたのだ。
私「うん、持っていくわ、あと電話せなあかんな」
と私は、家の電話の受話器をとった。まずは妻の実家へ電話を掛けた。
私「あの、青居 龍ですが」
妻の母「あ、龍君どないしたん?」
私「○○は無事だったんで、それだけを言いたくて電話しました」
妻の母「え、そうなの。わざわざ電話くれてありがとう。安心したわ」
緊迫した様子は伝わってこなかった、妻がいないときに実家に電話したことも無く、妻のお母さんとは、電話を取り次いでもらうぐらいしか話したことが無かったのだ。むしろ電話がかかってきたことに驚いた様子だった。そう、神戸の状況が全然伝わってなく、大変なことになっているという意識が全くなかったのだ。むしろ、自分のところが地震の震源地だと思われていたらしい。
私「○○の方からは電話つながらないんですよ、今、避難所にいます。○○は大丈夫ですから、また、連絡します。」
そう言って、私は電話を切り、今度は親友の下宿へ電話を掛けた。
私「もしもし、イチローか?」
イチロー「おう、龍か。どないなっとるねんそっちは、親に電話掛けても通じんし…。」
私「あのな、辛いこというけど聞いてな。おじさんとおばさんとジロー君は無事や、でもな、おばあちゃんとな、おじいちゃんな亡くなったみたいや」
イチロー「そっか、わかった。連絡してくれてありがとう。そっち帰れるか?」
私「JRも山電も阪急も阪神も全部とまっとる。おやじさんはこんでええといってた。また連絡するっていってたからとりあえずそっちおった方がええと思う。いま、こっちは混乱しとるし」
イチロー「・・・・・・。わかった、また状況が変わったら教えてくれ、頼む」
親友も感情を抑えているのが分かった。自分もそうだった。感情的に話すことはできなかった。
私は電話を置いたあと、毛布とカイロを鞄に詰め、再び須磨へ向かった。
その夜、妻から垂水にいるバイト先の友人の家に避難していると連絡が入り、それなら家においでよということで、母も快諾。初めて、妻を両親に紹介することになりました。
(彼女が居るというのは知っていたんですが会わせた事はなかったんです)
その5(地震後2日目)につづく
阪神・淡路大震災(神戸地区)がどういうものだったかは神戸市消防局のHPをご覧下さい。
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