先日こちらの記事でお伝えしたように、ピレリタイヤがWRC(世界ラリー選手権)から撤退することを決めたようです。
これは、衝撃的なニュースですね。ピレリはかなり前より、スバルワールドラリーチーム(SWRT)と共にWRCを戦ってきました。途中、フォードや、プジョー、三菱という他社とにもタイヤを供給したりしましたが、マシンとの組み合わせが悪いのか目だった成功をあげることができずに、ほんの少しの間でピレリとの契約をやめています。(プジョーと三菱はWRCそのものから撤退ですが)
それだけスバルとの繋がりが深いピレリタイヤですが、昔から、インプレッサと共に滑りやすい路面=グラベル(未舗装路)にめっぽう強いタイヤとして名を馳せていました。その圧倒的強さは特筆的で、グラベルではマシントラブルが無い限り無敵といってもいいほどです。弱点としては、路面温度が高くなったり、ターマック(舗装路)のようにグリップが高かったりするとタイヤが持ちません。スノーラリーでも、肝心なスタッドの技術が低く競争力がありません。しかし、これらも、雨のターマックになったりすると、俄然元気がでて、オールラウンダーのミシュランタイヤを軽く凌駕してしまうほどの性能を持ち合わせていました。
そう、もちろんスバルのコレまでのWRCの記録はピレリの活躍があってこそなのです。
しかし、そんなピレリタイヤに暗雲が立ち込めたのは、2004年シーズンのニュージーランドラリーにてミシュランタイヤがBTZというリピートステージ専用タイヤを開発してからです。このタイヤは近年のラリーがコンパクト化されリピートステージが多いことを勘案して、開発されたタイヤで、路面がクリーンになってから性能を発揮するように調整されたタイヤなのです。これが、ローブの乗るシトロエンクサラとのマッチングが完璧で、ローブの快進撃が始まります。それ以前にも、そこそこのグラベル性能があったミシュランタイヤですから、これはもうピレリにはお手上げだったのです。
ピレリタイヤ最大の失敗は、ここにあります。ミシュランがBTZを開発した背景には2004年からタイヤの種類および、本数制限がかなり厳しくなるということがあったのです。ラリーによっては1種類、多くても2種類程度のタイヤしか使えなくなってしまったのです。今までのピレリタイヤはグラベルクルーやウェザークルーなどの情報を元に、多くあるタイヤの種類からぴったりのタイヤをチョイスして車に履かせてきましたが、このレギュレーション変更により、それが出来なくなったのです。そう、ピレリのタイヤはスイートゾーンが狭かったのです。その為、少しでも適用範囲がずれてしまうと全く性能が出なくなってしまったというわけです。一方のミシュランはこのレギュレーションにばっちり対応したタイヤを研究していたということ。
ペターがドライバーズチャンピオンを獲得した2003年にピレリはグラベルでの圧倒的性能に慢心してしまったのではないでしょうか?このチャンピオン獲得から、プジョー、三菱からの契約をとりつけ、ミシュランと完全に対峙できる状態になったのがタイヤ競争に敗れた原因だと感じます。
個人的には、来るべきして来たなというのが正直な感想です。グラベルでの圧倒的な性能があったからこそ、スバルもピレリを使い続けてきたと思いますし、それが出来なくなってしまった以上、スバル側としても厳しい判断がなされたのではないでしょうか?
2008年からのコントロールタイヤ制を前に2007年からワンメイクタイヤとなってしまうのは非常に残念ではありますが、この世界では競争に敗れてしまった以上いたし方が無いと思います。
できれば、F1のように日本のタイヤメーカーがラリー界に参入して欲しい気もします。
World Rally Ja | News | WRCピレリのモータースポーツ・ディレクター、ポール・ヘンベリーは、同社は2006年シーズンいっぱいでFIA世界ラリー選手権(WRC)から撤退すると、wrc.comに語った。
これは、衝撃的なニュースですね。ピレリはかなり前より、スバルワールドラリーチーム(SWRT)と共にWRCを戦ってきました。途中、フォードや、プジョー、三菱という他社とにもタイヤを供給したりしましたが、マシンとの組み合わせが悪いのか目だった成功をあげることができずに、ほんの少しの間でピレリとの契約をやめています。(プジョーと三菱はWRCそのものから撤退ですが)
それだけスバルとの繋がりが深いピレリタイヤですが、昔から、インプレッサと共に滑りやすい路面=グラベル(未舗装路)にめっぽう強いタイヤとして名を馳せていました。その圧倒的強さは特筆的で、グラベルではマシントラブルが無い限り無敵といってもいいほどです。弱点としては、路面温度が高くなったり、ターマック(舗装路)のようにグリップが高かったりするとタイヤが持ちません。スノーラリーでも、肝心なスタッドの技術が低く競争力がありません。しかし、これらも、雨のターマックになったりすると、俄然元気がでて、オールラウンダーのミシュランタイヤを軽く凌駕してしまうほどの性能を持ち合わせていました。
そう、もちろんスバルのコレまでのWRCの記録はピレリの活躍があってこそなのです。
しかし、そんなピレリタイヤに暗雲が立ち込めたのは、2004年シーズンのニュージーランドラリーにてミシュランタイヤがBTZというリピートステージ専用タイヤを開発してからです。このタイヤは近年のラリーがコンパクト化されリピートステージが多いことを勘案して、開発されたタイヤで、路面がクリーンになってから性能を発揮するように調整されたタイヤなのです。これが、ローブの乗るシトロエンクサラとのマッチングが完璧で、ローブの快進撃が始まります。それ以前にも、そこそこのグラベル性能があったミシュランタイヤですから、これはもうピレリにはお手上げだったのです。
ピレリタイヤ最大の失敗は、ここにあります。ミシュランがBTZを開発した背景には2004年からタイヤの種類および、本数制限がかなり厳しくなるということがあったのです。ラリーによっては1種類、多くても2種類程度のタイヤしか使えなくなってしまったのです。今までのピレリタイヤはグラベルクルーやウェザークルーなどの情報を元に、多くあるタイヤの種類からぴったりのタイヤをチョイスして車に履かせてきましたが、このレギュレーション変更により、それが出来なくなったのです。そう、ピレリのタイヤはスイートゾーンが狭かったのです。その為、少しでも適用範囲がずれてしまうと全く性能が出なくなってしまったというわけです。一方のミシュランはこのレギュレーションにばっちり対応したタイヤを研究していたということ。
ペターがドライバーズチャンピオンを獲得した2003年にピレリはグラベルでの圧倒的性能に慢心してしまったのではないでしょうか?このチャンピオン獲得から、プジョー、三菱からの契約をとりつけ、ミシュランと完全に対峙できる状態になったのがタイヤ競争に敗れた原因だと感じます。
個人的には、来るべきして来たなというのが正直な感想です。グラベルでの圧倒的な性能があったからこそ、スバルもピレリを使い続けてきたと思いますし、それが出来なくなってしまった以上、スバル側としても厳しい判断がなされたのではないでしょうか?
2008年からのコントロールタイヤ制を前に2007年からワンメイクタイヤとなってしまうのは非常に残念ではありますが、この世界では競争に敗れてしまった以上いたし方が無いと思います。
できれば、F1のように日本のタイヤメーカーがラリー界に参入して欲しい気もします。
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