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なんやかんやと、相変わらず引退ネタで恐縮です。
そう言えば、もうひとつの大きな引退ネタを忘れておりました。
戦後初の国産旅客機「YS-11」
いよいよ、「JAナンバー」を背負った最後の機体も引退してしまいました。
なんでもネット上の報道によれば、最後のフライトは「茨城空港往復」だったとか・・・。
随分前になるけれど、プロジェクトXでコンスタンチン君空輸の話を観た時には、グッときた覚えがあります。
確か去年だったか、
長いこと天空橋の辺りに放置されている姿を目にしました。
いつの間にか、人知れず消えてしまったけれども。
初めて乗った飛行機は、このYS-11でした。
まだANKでもNKAでもなく、ANAのオリンピア、羽田~八丈島便。
時刻表では1時間のフライトのはずなのに、45分で着いてしまって、幼心に不思議に思った記憶があります。
熊本で働き始めた頃には、某エアラインの訓練で、一日中飛び回っている姿を眺めていました。
離陸直後の模擬エンジン故障なんぞは、そりゃもう冷や汗もので・・・。
金切り声にも似たエンジン音とは裏腹に、ジワジワと上昇してゆく姿に、他人事ながらハラハラしたり。
鹿児島では、空港のエプロンを埋め尽くさんばかりの姿に、「離島の翼」を実感させられたりもして。
何かと思い出が尽きない機体。
今の基準、価値観で捉えれば、遅い、うるさい、古臭いと言われそうだけれども、妙な安心感と言うか、味のある飛行機らしい飛行機であったように思います。
伝えたい思いは多々あるけれども・・・、
何はともあれ、おつかれさまでした。