ニッポン放送は1954年7月15日に開局したということで、
今年の7月15日でちょうど70周年を迎えたそうです。
ニッポン放送さん、おめでとうございます!
実は そのニッポン放送開局から約10年後の1960年代半ばごろ、
スズキ清勝は銀座のサテライトスタジオで毎日演奏をしていたそうで、
以下はその当時の様子です。
銀座・三愛、ニッポン放送 サテライトスタジオ
今年の7月15日でちょうど70周年を迎えたそうです。
ニッポン放送さん、おめでとうございます!
実は そのニッポン放送開局から約10年後の1960年代半ばごろ、
スズキ清勝は銀座のサテライトスタジオで毎日演奏をしていたそうで、
以下はその当時の様子です。
銀座・三愛、ニッポン放送 サテライトスタジオ
放送局のサテライトスタジオといえば、現在ではあちこちに見られるようであるが、そのはしりとなったのが1960年代初めにニッポン放送が開設したスタジオで、新宿の小田急百貨店内のものが最初だったそうである。そして、その後サテライトスタジオは全国各地に広まっていったという。
その黎明期のひとつが 銀座4丁目交差点〖三愛ビル〗の2階にあった〖ニッポン放送サテライトスタジオ〗で、以下はその1965年頃の話である。
現在ご高齢の方で、当時ニッポン放送を聴いておられた方もいらっしゃるかもしれないが、毎日午後2時から放送されていた音楽番組【日産・ミュージックギャラリー(司会は「ケン田島」さん)】という番組を覚えておられるだろうか?
この番組は約2年間続き、その間は ほぼ毎日オルガンの生演奏が行われていたそうで、当時『鈴木博』の名でそのオルガンを弾いていたのが 現在の『スズキ清勝』である。
オルガンはカワイの電子オルガン【ET-6ドリマトーン】。まだこのタイプのオルガン自体が珍しかった時代で、人々がスズキと楽器に注ぐ視線は熱く、駆け出しの若きオルガニストは毎日汗を流しながら(汗掻きなのは今も変わっていないが)、ガラス張りのスタジオ内で緊張して演奏していたそうである。
曲はほとんどが洋楽で、当時の人々がラジオでよく聴いていたポピュラーソングであったというが、ラジオから流れていたこれらの曲は どれもオーケストラや数人編成のバンド等で録音されたものである。それをシンプルなたった一台のオルガンで表現しなければならいというのはそんなに簡単なことではなかったハズである。
しかも、当時はこれら洋楽のCメロ(簡単なメロディーラインとコード名のみ書かれたプロ用一段譜)も、国産のものはほとんど手に入らなかった時代で、スズキ青年は耳コピとやっと手に入れたアメリカ製のCメロで、何とか駆け出しとしての2年間を無事に終えたそうである。
スズキのそのボロボロになったCメロ譜を見せてもらうと(なにせ、スズキは物持ちがいい人なのである)、何となく当時の雰囲気が伝わってくるから不思議である。
それから何十年かが経ち、時代は当時の高度成長期からバブル崩壊を経て今日のようなインターネット社会へと大きく変わって行くのだが・・・・。
「オレはこれしかできないからさあ~」」
場所こそ自身の小さなスタジオへと移したが、スズキは今も元気に毎日オルガンを弾き続けている。
因みに、「最近は もう、ほとんど銀座へ出かけることはない」そうである。
現在ご高齢の方で、当時ニッポン放送を聴いておられた方もいらっしゃるかもしれないが、毎日午後2時から放送されていた音楽番組【日産・ミュージックギャラリー(司会は「ケン田島」さん)】という番組を覚えておられるだろうか?
この番組は約2年間続き、その間は ほぼ毎日オルガンの生演奏が行われていたそうで、当時『鈴木博』の名でそのオルガンを弾いていたのが 現在の『スズキ清勝』である。
オルガンはカワイの電子オルガン【ET-6ドリマトーン】。まだこのタイプのオルガン自体が珍しかった時代で、人々がスズキと楽器に注ぐ視線は熱く、駆け出しの若きオルガニストは毎日汗を流しながら(汗掻きなのは今も変わっていないが)、ガラス張りのスタジオ内で緊張して演奏していたそうである。
曲はほとんどが洋楽で、当時の人々がラジオでよく聴いていたポピュラーソングであったというが、ラジオから流れていたこれらの曲は どれもオーケストラや数人編成のバンド等で録音されたものである。それをシンプルなたった一台のオルガンで表現しなければならいというのはそんなに簡単なことではなかったハズである。
しかも、当時はこれら洋楽のCメロ(簡単なメロディーラインとコード名のみ書かれたプロ用一段譜)も、国産のものはほとんど手に入らなかった時代で、スズキ青年は耳コピとやっと手に入れたアメリカ製のCメロで、何とか駆け出しとしての2年間を無事に終えたそうである。
スズキのそのボロボロになったCメロ譜を見せてもらうと(なにせ、スズキは物持ちがいい人なのである)、何となく当時の雰囲気が伝わってくるから不思議である。
それから何十年かが経ち、時代は当時の高度成長期からバブル崩壊を経て今日のようなインターネット社会へと大きく変わって行くのだが・・・・。
「オレはこれしかできないからさあ~」」
場所こそ自身の小さなスタジオへと移したが、スズキは今も元気に毎日オルガンを弾き続けている。
因みに、「最近は もう、ほとんど銀座へ出かけることはない」そうである。
(2008年8月の当ブログ記事より)
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〒350-0324 埼玉県鳩山町大豆戸105-6
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