坂道を写真に撮ることはできても、
傾斜の迫力を表現するのは難しいですね。
なかなか思った通りには写らない。
以前にも書きましたが富士山も月も
私の顔も思ったふうに撮れたことがない。
それはスマホカメラのせいではなく、
たぶん私のセンスのなさなのでしょう。
あるいはあるがままを認めない了見の狭さ(笑)。
”こうしたい”という強い意志がありながら
そうならないのは写真の世界ばかりではなく
さまざまなところで起こっていること。
それを”こうしたい”に近づけていくためには
学んだり工夫したり発想を転換させたりが
必要なんじゃないかと思ったわけです。
だけど上手くいかない場合がほとんどですね。
上手くいかない期間が続いていくと
今度は”こうしたい”という意思の輪郭が
次第にぼやけてきてしまうんです。
意志の輪郭がぼやけていくと
それは妥協や諦めに変わっていく。
いったん”こうしたい”と思ったら
妥協や諦めの気持ちになるのは
絶対にイヤですね。
”こうしたい”が本物であればあるほど
輪郭はいつまでもくっきりしていて
いつも目の前で像を結んでいそうです。
そしていつか届きそうな気がします。
時に強い意志は周りからわがままと
受け取られかねないけど本物であれば
怯む必要はないんじゃないかなぁ。
たかが何気なく撮った写真の話なんですが
家に帰って同期してあるPCで
この写真を拡大して眺めながら
いろいろなことを思いました。
強い意志は情熱、強い意志は愛。
なんだか自分で書いていて
すごく恥ずかしいですが
このふたつをなくしてしまったら
なにもできなくなるような気がします。
ジブンよ、情熱と愛だ!
照れながらも、それだけは忘れないように。