春三月というのに今日も雪まじりの冷たい雨が降っている
65年前のちょうど今頃を思い出します
昭和33年(1958年)の3月に北海道から内地(本州のことそう言っていた)に戻ることになり 子供三人だけで一足先に上京しました 近所の人たちからたくさんもらったお菓子を抱えて
成人してすでに東京で暮らしていた姉が中学生の兄と小学生の私を引き連れての上京です 美唄から列車に乗り札幌で乗り換え函館に 夕方 青函連絡船に乗り 兄と風の吹く甲板ではしゃぎ回って 青森で船から降りてホームに辿り着いて列車に乗ったのを覚えています 時間の経過は曖昧ですが
硬い座席で痛いと痛いと文句を言いながら一晩を過ごし車窓から明るくなっていく景色が美しかったと記憶しています
あの列車は蒸気機関車だったのでしょうか?食事はどうしたのでしょうか?
上野について何度か電車(何両も電車がくっついているのに驚きでした)に乗り継ぎ目的の駅に 必死に姉ついて行きながら慣れた様子で人混みを歩く姉は頼り甲斐のあるまさに大人でした
東京にはこんなにも人がたくさんいて電車も 車も 家もいっぱい 狭い 塀がある!
丸一日以上の旅だったと思います
ついた家は長らく空き家だったので親戚の人たちが掃除を済ませて待っていてくれました これから住む家は大きく、それも二階屋 雨戸もある 嬉しかった 興奮した
チッキで荷物が届いているよと・・・チッキって国鉄に乗ると乗車券の切符に荷物の切符(チッキ)がおまけについていたような
詳しい方 教えてください
東京は寒かった そして翌日から雪
北海道は外は寒くても家の中は四六時中暖房されていて真冬でもセーター一枚で過ごしていたのの
着いた東京では小さな火鉢だけ 小さな掘り炬燵はあったけどヤグラも布団もない
雪が降ってるのに こんなに寒いのにと 北海道がよかった と 泣いた
東京で育ち働き、地方に移り住み長い年月が流れました
朧げな記憶が次から次への蘇る 懐かしい
両親はもちろん姉も兄も鬼籍の人だ
昔語りできる人はもういない
私の残り時間もあとわずか 寂しい 恋しい
春の雪に 何か 心をそっと置きたくなりました