仏師 中村克丸
1916年(大正5年)滋賀県長浜生れ
没年?
仏像彫刻と接するようになったのは青年期からで、少年時代は彦根の仏具小で奉公の辛酸を経て、のち大津で仏門に入り、奈良・今日との仏師等と交流するうちに、勝山同様に仏像彫刻の道の虜となり、後年縁あって信州の木匠庵の山崎五左衛門や同房の竹内勝山に師事し、その卓抜した技法は昭和の数少ない仏師の間でもでも定評があった。
仏師 中村克丸
1916年(大正5年)滋賀県長浜生れ
没年?
仏像彫刻と接するようになったのは青年期からで、少年時代は彦根の仏具小で奉公の辛酸を経て、のち大津で仏門に入り、奈良・今日との仏師等と交流するうちに、勝山同様に仏像彫刻の道の虜となり、後年縁あって信州の木匠庵の山崎五左衛門や同房の竹内勝山に師事し、その卓抜した技法は昭和の数少ない仏師の間でもでも定評があった。
仏師 竹内勝山
1865年(慶応元年)山形県生れ
1937年(昭和12年)九州国東半島行脚先で没
没年73歳
幼少時代に僧籍に入り、雲水となって諸国を行脚するうち仏像の魅力が勝山を捉え、一念発起仏像彫刻の道に入った。
その後、明治末期から約30年間信州善光寺に仏所を構える当時仏師の第一人者 山崎五左衛門の薫陶を受けて技を磨き、百数十体に及ぶすくれた作品を遺している。