『強引と孤独』作:山田文公社
寅吉と言う男はおよそろくな男ではなかった。上流階級の三男坊として生まれ放蕩三昧で家族からも疎まれていた。両親が早くに亡くなり次男が跡を継ぐと(長男は新しい事業を立ち上げてそちらが忙しいため次男になった)寅吉は実家から追い出された。
しかし寅吉には大勢の女がいて追い出されたら、すぐに女の家へと転がりこんだ。計画なく金を借り女に払わせて寅吉は豪遊を続けた。
しかし借金取りの連日の取り立てに精神が参ってしまった女達は、少しずつ寅吉から離れていき、最後には誰もいなくなった。借金取りから殴られ蹴られてたが、支払い能力がないと判断すると、寅吉の兄弟へと取り立てはじめた。
世間体を気にした兄弟はやむを得ず支払った。そして弁護士を通じて寅吉へ『絶縁状』を送りつけたのだ。
寅吉は弁護士から通告され書類とペンを渡された。 弁護士は黙ったまま寅吉をまっすぐに見ている。寅吉にはこの現実が信じられない思いだった。確かに無茶苦茶で幾度となく迷惑をかけたが、まさか兄弟の縁を切る『絶縁状』を叩きつけられるとは思ってなかった。
寅吉はペンを震わせながらペンをへし折って弁護士に投げつけた。
「勝手にしやがれ!!」
そう言い寅吉は生まれて初めての死を決意した。無賃で酒場で浴びるように酒を飲み、支払い出来ない事がばれて散々殴られた後、痛む体を引きずりながら、海へと向かった。こんなに寒い日ならそう時間もかからずに死ぬだろうと、寅吉は判断し、真冬の冷たいへと体を沈めていった。
全身を刺すよう冷たさを感じながら、少しずつ沖へと進んでいく。ガタガタと震えが広がっていくなか、岸から声が聞こえた。
「おい馬鹿な真似は辞めろ!!」
一人の男が寅吉を捕まえて岸に引きずり戻そうとした。寅吉は必死で抵抗したが、腕力で敵わず岸へと引きずり戻された。
そして岸についた寅吉を男は思いきり殴り飛ばした。
「何を考えているんだ!!」 怒鳴る男に負けじと寅吉は叫びかえした。
「うるせぇ!! どこで死のうが俺の勝手だ」
しかし男はふたたび寅吉を殴り、怒鳴りつけた。
「死ぬんなら他で死ね!! これ以上カオリさんを悲しませるな!!」
至って真剣な顔つきで男は言った。
「なんだよ、俺が何かを決めるといつもこうだ、何かにつけて邪魔が入る」
寅吉は悔しそうに膝から崩れ落ちて拳を固め砂浜を渾身の力で叩いた。
「とにかく……死ぬなら余所で死にな」
そう言い男が立ち去ろうとすると、暗い冬の海岸に凛と響きわたる声がした。「伸一さんどうされたの?」
物腰の柔らかそうな、か弱い声をした。肩迄伸びた髪をカチューシャで止めた。白のロングワンピースを着た女が立っていた。
「あら伸一さん、このかた濡れてらっしゃるわ」
そう言うと何も躊躇なく女はハンカチを取りだしで、寅吉を拭きはじめた。寅吉はすっかり女に慣れてたが、その女の前ではまるで純情青年のように身が固まって、言葉を失ってしまった。
女は懸命に拭き、濡れたハンカチを何度も絞り、拭き続けた。寅吉は女の手、髪、顔、眉、鼻、口、そして透き通る瞳を見ていた。時折女は気付いて寅吉を見るのだが、その度に寅吉は視線をそらしていた。
しばらくして男が止めに入って来た。
「お辞めくださいカオリ様!!」
「あら、濡れた方をお拭きするのは、いけない事かしら?」
男……伸一の忠告など聞く耳持たずに寅吉を拭き続けた。
「しかし、こんなどこの馬の骨かもわからぬ者に触れたとあっては、私が旦那様よりお叱りを受けます!」「きっとお父さまも理解してくれますわ」
そう言いとうとう寅吉を拭き終わってしまった。
「さっ、伸一さん、このかたに暖かい食事と服をご用意してあげて」
しかし伸一は不服な顔をした……次の瞬間に雷鳴のような一喝をカオリは伸一に浴びせた。
「伸一命令です!! 早くなさい!!」
その声に従い伸一は着ている上着を寅吉にかけて、耳元で囁いた。
「何者かは知らないが、すぐに追い出してやる」
しかし伸一の言葉は実現はしなかった。追い出されたのは、寅吉ではなく伸一だった。濡れ衣を着せられた伸一は潔く辞表をだして、屋敷を離れていった。
寅吉は信用を得て、ふたたび財を喰い潰しはじめた。寅吉の悪魔のような饒弁にはかつて反省は微塵もなかった。寅吉はカオリはいずれ離れて行くだろうと思っていたが、決して離れる事はなかった。献身的に寅吉へと尽くし続けた。
寅吉は慢心していた。いつまでもこんな生活が続くものだと信じていた。
ある日酒場で寅吉が呑んでいると、少し老けた伸一がやって来た。
「ちょっと良いか……」
酔っていても伸一の、その真剣な言葉に寅吉は体を強ばらせた。
「なんだよ」
寅吉は動揺した。これから何か恐ろしい言葉を伸一から聞かされるの予感した。
「なんだよ」
寅吉は悪態をつきながら、グラスを乱暴に置いた。「俺はお前など嫌いだ」
伸一険悪な目をして懐に手を入れた。寅吉は銃で射たれるか、ナイフで刺されると体を強ばらせたが、出てきたのは無害な手紙だった。
「今朝お嬢様から頂いた」 そう言い伸一は手紙を寅吉の前に差し出した。
伸一は唇を強く結び口を開いた
その様子に寅吉は過去の『絶縁状』を思いだして、手紙を指先で弾いて地面に落とした。
しかしすぐ様伸一は手紙を広い、寅吉へとつきだした。
「良いから読め」
そう良い伸一は寅吉のグラスを一気にあおった。
「いいか!! お前など死のうが何をしようが知った事ではない、だがお嬢様たっての願いを聞いてあげたい、それが私のお嬢様や旦那様への忠義だから……」
続ける伸一に寅吉は怒鳴り返した。
「何が忠義だ、お前は身分もわきまえずカオリを好きになったんだがっ!!」
寅吉が言い終わると伸一は寅吉を殴り飛ばして、再度手紙を寅吉につきつけた。
寅吉はしぶしぶと手紙を開く。そこには伸一に対して、自分が死んだ後の寅吉の面倒をお願いする内容が、5ページにも渡って書かれていた。
手紙を持つ手が震えていた。最後まで読み終わると、また頭から読みはじめた。
「なんだよ……これ!!」
寅吉は涙を浮かべながら伸一の胸元を掴みあげた。「お嬢様はずいぶん以前から体調を崩されていた」
見ると伸一もグラスを手にして、瞳には大きな涙を浮かべていた。
「お嬢様は私の元にやってきて何度も、何度お前の為に頭を私に下げたんだ!!」 そう言い伸一はグラスを飲みほして、再び寅吉の胸元を掴みあげた。
「どんなに惨めかわかるのかっ!! 貴様にっ!!」
そう言い寅吉を殴ろうとして辞めた。
「なぁ……カオリはどこにいるんだ?」
寅吉は情けない声をあげて伸一にしがみついた。
伸一は何も語らなかった。寅吉はただ泣いた。
翌日カオリに遺体が海より上がった。
そこは皮肉にもカオリの兄が自殺し、寅吉も自殺未遂をおこした海岸だった。
伸一はカオリに約束を守ってくれた。間もなく寅吉は厳しい海鮮加工工場へと勤めはじめたが、すぐに問題をおこしてクビになった。伸一はめげずに寅吉へ仕事を紹介し続けた。
寅吉は3日も持たずに辞めてしまう。すると寅吉は悪い癖がはじまった。
とうとう伸一は帰りに酒を飲みながら寅吉へ言った。
「お前は少しも反省してない!!」
寅吉には心あたりはあったが、しらばっくれた。
「何がだ?」
寅吉のその言葉を聞いた伸一はテーブルを強く叩いて、表通りにまで響く声で怒鳴りつけた。
「ふざけるなっ!!」
そう言い取っ組み合いあいになった。
そしてとうとう伸一は寅吉を見放した。
「お前など、どことでも行きくたばっちまえっ!!」
「ああ、ひとりで生きてやるっ!!」
その言葉に寅吉は怒鳴り返して、夜の海へふらふらと向かった。
寅吉は今までひとりってだと思い続けていた。口ひとつで、どうとでも生きて行けると、しかし海辺に崩れた寅吉は、この先どこへ行こうと、永遠にひとりである絶望を知った。
強引さが孤独を招いた。
寅吉はどれだけ周囲に支えられて生きてきたかを知った。空に浮かぶ満月にカオリの姿をみた。
潮の香りにカオリの甘く柔らかい匂いがした。
手をついた場所にはカオリのハンカチがうずもれてあった。
寅吉は何も語らずに泣き続けた。
たったひとりで……泣き続けた。
寅吉の嗚咽が潮に紛れて消えていくまで……。
海岸に立つひとりの青年と初老の男性がいた。
「伸一さん、ここが両親が死んだ場所ですね?」
「ええ、二人共に香吉坊っちゃんに似て素晴らしい方でしたよ」
そう言い二人は静かに手合わせるのだった。
寅吉と言う男はおよそろくな男ではなかった。上流階級の三男坊として生まれ放蕩三昧で家族からも疎まれていた。両親が早くに亡くなり次男が跡を継ぐと(長男は新しい事業を立ち上げてそちらが忙しいため次男になった)寅吉は実家から追い出された。
しかし寅吉には大勢の女がいて追い出されたら、すぐに女の家へと転がりこんだ。計画なく金を借り女に払わせて寅吉は豪遊を続けた。
しかし借金取りの連日の取り立てに精神が参ってしまった女達は、少しずつ寅吉から離れていき、最後には誰もいなくなった。借金取りから殴られ蹴られてたが、支払い能力がないと判断すると、寅吉の兄弟へと取り立てはじめた。
世間体を気にした兄弟はやむを得ず支払った。そして弁護士を通じて寅吉へ『絶縁状』を送りつけたのだ。
寅吉は弁護士から通告され書類とペンを渡された。 弁護士は黙ったまま寅吉をまっすぐに見ている。寅吉にはこの現実が信じられない思いだった。確かに無茶苦茶で幾度となく迷惑をかけたが、まさか兄弟の縁を切る『絶縁状』を叩きつけられるとは思ってなかった。
寅吉はペンを震わせながらペンをへし折って弁護士に投げつけた。
「勝手にしやがれ!!」
そう言い寅吉は生まれて初めての死を決意した。無賃で酒場で浴びるように酒を飲み、支払い出来ない事がばれて散々殴られた後、痛む体を引きずりながら、海へと向かった。こんなに寒い日ならそう時間もかからずに死ぬだろうと、寅吉は判断し、真冬の冷たいへと体を沈めていった。
全身を刺すよう冷たさを感じながら、少しずつ沖へと進んでいく。ガタガタと震えが広がっていくなか、岸から声が聞こえた。
「おい馬鹿な真似は辞めろ!!」
一人の男が寅吉を捕まえて岸に引きずり戻そうとした。寅吉は必死で抵抗したが、腕力で敵わず岸へと引きずり戻された。
そして岸についた寅吉を男は思いきり殴り飛ばした。
「何を考えているんだ!!」 怒鳴る男に負けじと寅吉は叫びかえした。
「うるせぇ!! どこで死のうが俺の勝手だ」
しかし男はふたたび寅吉を殴り、怒鳴りつけた。
「死ぬんなら他で死ね!! これ以上カオリさんを悲しませるな!!」
至って真剣な顔つきで男は言った。
「なんだよ、俺が何かを決めるといつもこうだ、何かにつけて邪魔が入る」
寅吉は悔しそうに膝から崩れ落ちて拳を固め砂浜を渾身の力で叩いた。
「とにかく……死ぬなら余所で死にな」
そう言い男が立ち去ろうとすると、暗い冬の海岸に凛と響きわたる声がした。「伸一さんどうされたの?」
物腰の柔らかそうな、か弱い声をした。肩迄伸びた髪をカチューシャで止めた。白のロングワンピースを着た女が立っていた。
「あら伸一さん、このかた濡れてらっしゃるわ」
そう言うと何も躊躇なく女はハンカチを取りだしで、寅吉を拭きはじめた。寅吉はすっかり女に慣れてたが、その女の前ではまるで純情青年のように身が固まって、言葉を失ってしまった。
女は懸命に拭き、濡れたハンカチを何度も絞り、拭き続けた。寅吉は女の手、髪、顔、眉、鼻、口、そして透き通る瞳を見ていた。時折女は気付いて寅吉を見るのだが、その度に寅吉は視線をそらしていた。
しばらくして男が止めに入って来た。
「お辞めくださいカオリ様!!」
「あら、濡れた方をお拭きするのは、いけない事かしら?」
男……伸一の忠告など聞く耳持たずに寅吉を拭き続けた。
「しかし、こんなどこの馬の骨かもわからぬ者に触れたとあっては、私が旦那様よりお叱りを受けます!」「きっとお父さまも理解してくれますわ」
そう言いとうとう寅吉を拭き終わってしまった。
「さっ、伸一さん、このかたに暖かい食事と服をご用意してあげて」
しかし伸一は不服な顔をした……次の瞬間に雷鳴のような一喝をカオリは伸一に浴びせた。
「伸一命令です!! 早くなさい!!」
その声に従い伸一は着ている上着を寅吉にかけて、耳元で囁いた。
「何者かは知らないが、すぐに追い出してやる」
しかし伸一の言葉は実現はしなかった。追い出されたのは、寅吉ではなく伸一だった。濡れ衣を着せられた伸一は潔く辞表をだして、屋敷を離れていった。
寅吉は信用を得て、ふたたび財を喰い潰しはじめた。寅吉の悪魔のような饒弁にはかつて反省は微塵もなかった。寅吉はカオリはいずれ離れて行くだろうと思っていたが、決して離れる事はなかった。献身的に寅吉へと尽くし続けた。
寅吉は慢心していた。いつまでもこんな生活が続くものだと信じていた。
ある日酒場で寅吉が呑んでいると、少し老けた伸一がやって来た。
「ちょっと良いか……」
酔っていても伸一の、その真剣な言葉に寅吉は体を強ばらせた。
「なんだよ」
寅吉は動揺した。これから何か恐ろしい言葉を伸一から聞かされるの予感した。
「なんだよ」
寅吉は悪態をつきながら、グラスを乱暴に置いた。「俺はお前など嫌いだ」
伸一険悪な目をして懐に手を入れた。寅吉は銃で射たれるか、ナイフで刺されると体を強ばらせたが、出てきたのは無害な手紙だった。
「今朝お嬢様から頂いた」 そう言い伸一は手紙を寅吉の前に差し出した。
伸一は唇を強く結び口を開いた
その様子に寅吉は過去の『絶縁状』を思いだして、手紙を指先で弾いて地面に落とした。
しかしすぐ様伸一は手紙を広い、寅吉へとつきだした。
「良いから読め」
そう良い伸一は寅吉のグラスを一気にあおった。
「いいか!! お前など死のうが何をしようが知った事ではない、だがお嬢様たっての願いを聞いてあげたい、それが私のお嬢様や旦那様への忠義だから……」
続ける伸一に寅吉は怒鳴り返した。
「何が忠義だ、お前は身分もわきまえずカオリを好きになったんだがっ!!」
寅吉が言い終わると伸一は寅吉を殴り飛ばして、再度手紙を寅吉につきつけた。
寅吉はしぶしぶと手紙を開く。そこには伸一に対して、自分が死んだ後の寅吉の面倒をお願いする内容が、5ページにも渡って書かれていた。
手紙を持つ手が震えていた。最後まで読み終わると、また頭から読みはじめた。
「なんだよ……これ!!」
寅吉は涙を浮かべながら伸一の胸元を掴みあげた。「お嬢様はずいぶん以前から体調を崩されていた」
見ると伸一もグラスを手にして、瞳には大きな涙を浮かべていた。
「お嬢様は私の元にやってきて何度も、何度お前の為に頭を私に下げたんだ!!」 そう言い伸一はグラスを飲みほして、再び寅吉の胸元を掴みあげた。
「どんなに惨めかわかるのかっ!! 貴様にっ!!」
そう言い寅吉を殴ろうとして辞めた。
「なぁ……カオリはどこにいるんだ?」
寅吉は情けない声をあげて伸一にしがみついた。
伸一は何も語らなかった。寅吉はただ泣いた。
翌日カオリに遺体が海より上がった。
そこは皮肉にもカオリの兄が自殺し、寅吉も自殺未遂をおこした海岸だった。
伸一はカオリに約束を守ってくれた。間もなく寅吉は厳しい海鮮加工工場へと勤めはじめたが、すぐに問題をおこしてクビになった。伸一はめげずに寅吉へ仕事を紹介し続けた。
寅吉は3日も持たずに辞めてしまう。すると寅吉は悪い癖がはじまった。
とうとう伸一は帰りに酒を飲みながら寅吉へ言った。
「お前は少しも反省してない!!」
寅吉には心あたりはあったが、しらばっくれた。
「何がだ?」
寅吉のその言葉を聞いた伸一はテーブルを強く叩いて、表通りにまで響く声で怒鳴りつけた。
「ふざけるなっ!!」
そう言い取っ組み合いあいになった。
そしてとうとう伸一は寅吉を見放した。
「お前など、どことでも行きくたばっちまえっ!!」
「ああ、ひとりで生きてやるっ!!」
その言葉に寅吉は怒鳴り返して、夜の海へふらふらと向かった。
寅吉は今までひとりってだと思い続けていた。口ひとつで、どうとでも生きて行けると、しかし海辺に崩れた寅吉は、この先どこへ行こうと、永遠にひとりである絶望を知った。
強引さが孤独を招いた。
寅吉はどれだけ周囲に支えられて生きてきたかを知った。空に浮かぶ満月にカオリの姿をみた。
潮の香りにカオリの甘く柔らかい匂いがした。
手をついた場所にはカオリのハンカチがうずもれてあった。
寅吉は何も語らずに泣き続けた。
たったひとりで……泣き続けた。
寅吉の嗚咽が潮に紛れて消えていくまで……。
海岸に立つひとりの青年と初老の男性がいた。
「伸一さん、ここが両親が死んだ場所ですね?」
「ええ、二人共に香吉坊っちゃんに似て素晴らしい方でしたよ」
そう言い二人は静かに手合わせるのだった。