年が明けて2019年。
1月1週目からまたぞろ呼吸が苦しくなって、病院が始まるやいなや外来に。
即日入院を言い渡され病棟へ。
今回は嫌に熱っぽく体温を測ると37度を超えてるやん。念の為検査をするとあんに違わずインフルエンザ。すぐさま個室に移動。差額無しで個室を専有、ラッキーって言っとる場合か!
3日後にはインフル感染者が増えたため、全員大部屋に移動させられたのはご愛嬌。
肺に溜まった水も順調に抜けて10日ほどで退院。
そして運命の2月26日を迎える。
3日くらい前からまた息苦し我慢できなくなって飛び込みで外来へ。
循環器内科の私の担当医が不在だったため院長直々の診察。
院長は私の病歴を知らなかったため以前のカルテを精査してくれて、
院長「Tさん、非常に悪化してますね。」
私 「どうしたら良うなるんですか? これだけ入退院繰り返して全然良うならんやないですか。手術でもなんでもやって何とかしてください!」
院長「おっしゃるとおりですね。ここまで悪くなると手術しかないですね。検査をするのでこのまま入院してください」
院長曰く、心臓の4つある弁のうち3ヶ所の弁がうまく閉じず血液が大量に逆流しているとのこと。エコーの動画を見せてもらったら初期の頃に比べてかなり悪化してるのが素人目線でもわかるほど。
なんでやねん! 循環器内科の先生そんなこと一言も言うてなかったで。
手術でもなんでもして何とかしてくれてって何度も言うたけど、そこ迄酷くはないですって言うてたやないか!
んな訳で入院生活が始まった。
入院当初は循環器内科が担当医に。顔馴染みのU医師で、「Tさん、しばらくは循環器内科が担当で術前検査しますが途中から心臓血管外科に担当が変わります。ホントに手術するんですね?」
まだ言うとる。
内科は薬で外科はメスで治療、とはよく言ったもんで手術することに不満みたい。
それからは、肺に溜まった水を抜きながら検査検査の日々。
日が経つにつれ点滴の針がさせる場所が無くなりついに首から入れる事に。
それが冒頭に写真。まるでインディアンの羽飾り状態。
なんでも首の血管に15センチ位入ってるそうな。
検査の最後はカテーテルで心臓血管系の造影検査。腕には挿入失敗の跡が。めっちゃ痛かったわ。
街なかで警察の職質受けて腕を見られたらジャンキーと間違われるんちゃう?
この下手くそな説明書はU医師のもの。
これでめでたく?心臓血管外科に引き渡された。
このあと心外の手術担当医(美人女医)から手術の概要説明があり、手術日が告げられた。
手術日は3月20日、そう丁度1年前の今日。
3月16日に詳細説明。
大動脈弁、僧帽弁、三尖弁の置換、形成。メイズ手術4種を同時に行うこと。
正中切開による開胸手術で心臓を一時的に止め人工心肺を使うこと。
時間は5時間位。
なんやかんや説明を受けたが、ドクターXみたいに「私、失敗しないので」とは流石に言わなかった。ほんま言うてほしかった😅
手術前日、剃毛も済まし(恥ずかしいから自分でやった)たら何もやることが無くなったので、持ち込んでいたスマホで万一の時に備えて書き置きをしたためておいた。
あれこれ考えていたらなかなか寝付けなかったので睡眠導入剤をもらい夜中に眠りについた。
3月20日当日、何時ものように6時に目覚めるとトイレを済ませ、ナースステーションで検温、血圧測定、体重測定をやってベッドに戻る。
午前8時頃嫁はんが来たが、息子と娘は来ないらしい。なんちゅう薄情なやっちゃ。
8時半頃ナースが来て、14時位に手術室に入ると告げる。
腹が減っているが食ったらあかんのでどうしようもない。テレビ見たり嫁はんととりとめのない話をしながら時間が過ぎていく。
ヘルニア手術のときもそうだったが、手術の前っていうのは執行を待つ死刑囚みたい。
いよいよ時間が来て看護師が迎えに来て出発。同室のオッサン連中に「ほな、行って決まっさ」と挨拶して嫁と一緒に手術室に向かう。
頑張ってなと言う声を聞いて「アホ抜かせ、ワシが頑張ってもしゃあないんや。頑張ってもらわなアカンのは医者の方や」と腹の中で毒づくも、勿論声には出さない。
手術室に向かう途中、出会う看護師みんなから頑張ってと声を掛けられる。
最後に会ったS看護師長が一言「Tさん、手術痛いよぅ」って言いやがった。
いらんこと言うな、わしゃただでさえ怖がりやのになんちゅう事言うんや。
手術室の二重扉の前で嫁はんと別れ、看護師も手術室の人と交代いよいよ人生で一番長い日が始まった。
つ・づ・く...