【 日本国民たちが、 自らの足元の地下を開いて、 地上での、 避難リスクら、と、 避難所リスクらを、 ゼロへ、近づける、 避難経路ら、と、
住める避難所らを、 地下に作り拡げてゆく過程らにおいては、 古代の日本人らの事らを明らかにする事に役立つ、 遺跡らや、 遺物らなどを発見する度合を増す事になる。
今までは、 それらを保存し、 それらの伝え得る事らを解き明かす事を助ける向きの予算を付けては、 来ていない、 反日員として機能してある、
実態性を成して観せて来ている、 役人らと、
政治家らによる、 不作為型の、邪魔立て行為ら等を、はね除けて、 日本の生い立ちようら等への、
知見らを成し得る機会らを、 日本国民らは、
ふんだんに得てゆく事になる 】 。
blog 腹筋崩壊ニュース ;
旧約聖書を書いたのは、 誰
2016/ 11/5 2016/ 11/22
☆ 長い間を、 ヨーロッパ等では、
旧約聖書 、 という書物は、
「 神から、 預言者へ直に伝えられた啓示 」
≒ ロゴスら ≒ 言葉ら、 論理性ら、
倫理事項ら 、 を、 そのまま、
書き留めたもの、 という、 位置付けでした。
であるからして、そこに書かれた内容事らに、 間違いなどは、 ないはずだ。
となると、 自動的に、 旧約聖書に描かれた、
イスラエルの民族員らの壮大な歴史事項らもまた、
「 真実事項らであるはず 」 でした。
旧約聖書は、 39の文書らの集まりでしたね。
このうちの、 最初の5つ
( 創世記、 出エジプト記、 レビ記、
民数記、 申命記 ) は、
【 唯一の全知全能な神から、 人々の成すべき倫理事項らである、 言葉らを、授かり、 預けられて、
その倫理事項らを、 人々へ、触れ回るべき、
役務を与えられた者である、 】
預言者、 の、 モーセ
≒ 古代エジプトの言葉として、 『 息子 』 、を意味する 、が、 直々に書いたもの、 と、
言い伝えられ、
特別に、 「 モーセ五書 」、 と、 呼ばれます。
モーセは、 紀元前の13世紀頃の人物、
と、されていますので、
「 モーセ五書 」 もまた、 その頃に書かれた、
書物 、 ということになります。
預言者モーセ。 B.C.1391〜B.C.1271。
長生き過ぎ。
その内容は、 天地創造から、 モーセの死までの歴史事ら。
そして、いくつもの教義や規定集。
内容的にも、 著者的にも、 「 モーセ五書 」は、
ユダヤ教の中心であり、 他とは、 段違いに、
重要な聖典なのであります。
本当の著者は?
「 モーセ五書 」 は、 モーセが書いた。
これは、 少なくとも、 中世までは、
「 疑いようのない常識 」 でした。
疑ったら、 教会に、ぶっ殺される、
という意味で。
「 モーセ五書 」 の、 5番目の書物の、
『 申命記 』 には、
モーセの死の様子が書かれています。
mosess_death ;
該当部分を軽く引用してみます。
申命記 34章 5節 ;
こうして、 主の僕 シモベ の、 モーセは、
主の命令によって、 モアブの地で、 死んだ。
申命記 34章 6節 ;
主は、 モーセを、 ベト・ペオルの近くの、
モアブの地にある谷に葬られたが、
今日に至るまで、
誰も、 彼が葬られた場所を知らない
(中略)
申命記 34章 10節 ;
イスラエルには、 再び、 モーセのような、
預言者は現れなかった。
だが、 待ってほしい。
いくら、 偉大な預言者だからって、
さすがに、 「 自分が死んだこと 」 まで、
自分で書くのは、 無理ではないだろうか。
さらに、 「 今日に至るまで 」 や、
「 再び、 モーセのような預言者は、
現れなかった 」 、 の部分なんて、
まるで、 遥か未来から、 自分が死んだ時のことを振り返ったかのような表現です。
@ 西の一神教らの中には、
全知全能な阿弥陀如来を観たり、 信仰したりする、 東の一神教らの、個々の人の精神系における、
阿弥陀如来性である、 仏性、 に相当する、
聖霊 、 の概念があるから、
モーセ氏に化身して、 現れ出ていた、
聖霊、が、 モーセ氏の死を成した後にも、
働きらを成して、 自らの事らをも伝え得た、
といった、 考えようを、
より、 古きに、 旧約聖書を編纂した、人々は、
成していたのかも知れない 。
であれば、 その人々においては、
モーセ氏が、 自らの死後にも、 事らを、 人々へ、伝え得た、 という事に、
矛盾性は 、 無かった事になる 。
また、 モーセ、 という、 誰かの息子を意味する、 名前の、 部族長らが、 複数が居て、
ある、部族か、部族らの、 代々の長 オサ らが、
モーセ 、 と、 呼びならわされており、
部族社会らからも成る、 社会にあった、
古代のユダヤの人々の一定数は、
その事を心得ており、
そうした人々が、 旧約聖書の編纂に達致した事もあったのであれば、 その人々が、
代々のモーセ氏が、 自らの部族らの内外の人々へ、 彼らの唯一の神との約束事らと絡めて、
自らの見聞きし得た事らを伝え、
その後継者ではあっても、 モーセ、を、
襲名しない様に成っていた、 長ら等が、
そうした事らを人々へ伝えた事らも、 合わせて、
モーセ氏の伝えた事らとして、 一くくりにする事について、 自らの先祖らの事らを、
後の今の自分たちの代の事として、
受け継ぐ、 部族社会員としての、 極当たり前な、 自然な感覚で、 それを成したのかも知れない 。
・・同じような時系列の矛盾は、
他にもあります。
例えば、 『創世記』の次のような記述。
創世記 36章 31節 ;
イスラエルの人々を治める王が、
まだいなかった時代に、
エドム地方を治めていた王たちは、
次のとおりである。
「 王がまだ、いなかった時代 」 、 という、
表現の裏には、 「 今は、 王がいる 」 、
という、 前提の事が、隠れています。
しかし、 「 イスラエルの人々を治める王 」 が、 初めて登場したとされるのは、
紀元前の、 千50年くらいのこと。
モーセが死んでから、 2百年以上も、
後のことであり、 モーセが、
この文章を書けるはずがありません。
こうしたテキスト上の時代錯誤が、
示唆しているのは、 「 モーセ五書 」の著者は、
モーセではない、 という可能性なのであります。
文書仮説 ;
この「モーセとモーセ五書って、関係なくね?」、という、 疑問は、
ローマ時代くらいから、 コソコソと、
指摘はされてきました。
おおっぴらに指摘すると、 牢屋にぶち込まれるので、あくまで、 コソコソとね。
しかし、 時代が進んで、 近世に突入すると、
わりと、 自由に、 聖書を研究できる雰囲気が、
広がっていきました。
そうすると、 それまで、 くすぶっていた疑問点らに、 どうにか、 合理的な説明をつけよう、
という機、 運が高まるわけです。
二柱 フタハシラ の神様ら ;
旧約聖書の中身についての、 疑問は、
山ほどありました。
著者の問題だけでなく、
話の辻褄が合わなかったり、
2重記述や、 3重記述がある部分などなど。
何故に、 ひと続きの文書のはずなのに、
こうした矛盾や重複表現があるのか、
多くの神学者や研究者らが、 頭を悩ませますが、
なかなか、 うまい説明がつかない。
そんな中で、 提唱された画期的な仮説が、
文書仮説だったのであります。
その骨子は、
「 旧約聖書は、 幾つかの元ネタを切り貼りして、
構築されている 」 、 というもの。
この仮説に至った、 最初の手がかりは、
旧約聖書において、 神が、
2種類の呼ばれ方をしている点でした。
旧約聖書の、 ある箇所では、
「 ヤハウェ 」 、
また、 別の箇所では、 「 エロヒム 」 、
という風に、 神の呼称には、 ブレがあるのです。
従来は、 ヤハウェは、 固有名詞、
エロヒムは、 「 神 」 を表す、 普通名詞、
という風に解釈されてきました。
しかし、 試しに、 旧約聖書のテキストを、
「 ヤハウェ部分 」 、と、 「 エロヒム部分 」 に、 分けてみたところ、
ディテール ≒ 細部 、の異なる、
2つの物語らが、 姿を現したのです。
単に、 2つの物語らになった、
というだけではなく、
ヤハウェ、と、 エロヒムは、 明らかに、
そのキャラクター設定も、異なっており、
もともとは、 別々の神話だった、 という線が、
濃厚になったのです。
ヤハウィスト ;
例えば、 ヤハウェの方は、
・肉体を持っていて、散歩とか肉弾戦とかする。
・自ら奇跡を起こす。
・感情豊か ( 怒りっぽい、 嫉妬深い ) 。
といった、 特徴らがあります。
また、 こちらの物語では、
登場する地名らの多くが、
南の、 ユダ王国と、 ※北の、 イスラエル王国とへ分裂した後の、 片方に属するものでした。
従って、 ヤハウェ系の物語は、
ユダ王国で成立したものである可能性が、
非常に高い。
そこで、 研究者たちは、
ヤハウェ系の物語を書いた人々を、
「 ヤハウィスト Jahwist 」、
その文書を、 「 J資料 」、 と名付けました。
エロヒスト ;
一方のエロヒムは、
・肉体なし。
・奇跡は、 預言者に指示して、起こさせる。
・感情は表に出さない。
みたいな感じ。
また、 まるで、 J資料と対比するように、
こちらの物語には、
北の、 イスラエル王国に属する、 地名が、
多く登場し、扱うエピソードも、
北イスラエル王国のものばっかり。
となると、 こちらは、
北イスラエル王国で成立したものである
可能性が高くなります。
このエロヒム系の物語の作者を、
「 エロヒスト Elohist 」 、
その文書を、 「 E資料 」、 と呼びます。
祭司資料 ;
旧約聖書を、 用語や文体を元に、
もっともっと、 分類していくと、
どうも、 元ネタは、 2つだけじゃなさそうだ、と、 分かってきます。
その一つが、「祭司資料」と呼ばれる部分。
これに分類される部分では、
祭壇の寸法や、 材料を、 細かく指定したり、
日付に、こだわったりと、
とにかく、 祭儀の留縷 ルル ≒ ルール 、らに、 深い関心を持って書かれています。
また、 「 イスラエルの民の統一には、
祭司が、 欠かせないよ 」 、 という、
メッセージが、 繰り返し登場するのも、特徴です。
祭儀のルールに、 強い関心があり、
祭司の重要性を主張するのは、 誰か。
聖職者に、 決まっていますね。
なので、 この部分を、 「祭司資料」 、
と、 呼ぶわけです。
これは、祭司 ( Priesterschrift ) の、
頭文字をとって、 「 P資料 」 、 と言います。
P資料の成立 ;
P資料が編集されたのは、
B.C.576年の、 バビロン捕囚以後のこと。
アッシリア帝国によって、
故郷の、 イスラエルから、 無理やりに、
バビロンに移住させられた、 イスラエル人達。
彼らは、 大都会の、 バビロンに、 もう、
すっかり染まってしまい、
イスラエル人としてのアイデンティティーは、
風前の灯火。
そんな彼らをして、 もう一度を、
ユダヤ人としてまとめ上げたのが、
この祭司たちでした。
彼らは、 ユダヤ教の、 教義やしきたりを、
整理し直し、 さらに、 既にあった、
J資料と、 E資料を、 切り貼りし、
一つの壮大な聖典と歴史書を作り上げたのです。
documentary_hypothesis
創世記から、 民数記までを、 元ネタらで、
色分けした図 ;
祭司たちは、 百年以上もかけて、 編集を続け、
B.C.450年くらいになって、 ようやく、
現在に伝わる、 旧約聖書の原型に近いものが、
出来上がったのであります。
申命記資料 ;
4つ目の元ネタは、「申命記資料」というもの。
その名の通り、『申命記』のことです。
もう少し具体的に言うと、
『申命記』は、 モーセが語るという体で、
数々の掟が書かれています。
曰く、 「 ヤハウェ以外への崇拝は、 NG 」 、
「 エルサレム以外での礼拝は、 NG 」 、
などなど。
これと、 全く同じ内容で、
ヨシヤ 、 という王様が、 B.C.622年に、
異教徒らへの弾圧でもある、
宗教改革を行っています。
したがって、 『 申命記 』 は、 実際には、
この、 ヨシヤ王による、 宗教改革のための、
プロパガンダ文書である、 とも、
見なされています。
この部分は、 申命記 ( Deuteronomist ) の、
頭文字をとって、 「D資料」 、 と言います。
いつ、 書かれたか ;
というわけで、 旧約聖書には、 大まかには、
J・E・P・Dの、 4種類の元ネタらがあることが、
明らかとなりました。
問題は、「いつ書かれたか」であります。
D資料で語られる、
「 エルサレム以外での礼拝は、 NG 」 、
という掟。
この掟は、 J資料とE資料には、
全く、 登場しません。
逆に、 P資料では、 当たり前のこととして、
捉えられています。
となると、 D資料を基準として、
J資料とE資料は、 それより古く、
P資料は、 新しい、 ということになります。
ここまでの事らをまとめると、
次のような、 流れになります。
B.C.922 ;
イスラエル王国が、 南北に分裂。
南のユダ王国で、 J資料が成立。
B.C.850 ;
北イスラエル王国で、 E資料が成立。
B.C.722 ;
北イスラエル王国が滅亡。
B.C.700頃 ;
北王国から逃げてきた人々により、
JとEが統合されて、 JE資料になる 。
B.C.622 ;
ヨシヤ王の改革が行われる。
この時に、 マニュアルが作成される。
これが、 D資料。
B.C.586以降 ;
バビロン捕囚で、 心が折れたイスラエル人らを、
祭司たちが、 宗教で、 まとめる。
その時に、 P資料も作る。
↓
JEとPが、 統合される。
B.C.400頃 ;
JEPに、 Dも合体して、 全体を、 もう一度を編集。
↓
旧約聖書が、 完成!
bible_timeline ;
この図から、 分かることは、
「 モーセ五書を、 モーセが書いた、 というのは、 全くの嘘 」、 ということだけでは、
ありません。
イスラエルの壮大な歴史における、
ターニング・ポイント
≒ 転換点 、 は、 幾つもあります。
B.C.2000年頃 ;
ユダヤ人らの父祖の、 アブラハムが、
神の啓示を受けて、 パレスチナへ移住。
B.C.1700年頃 ;
アブラハムの子孫の、 ヤコブ一族員らが、
エジプトに移住し、 奴隷化される。
B.C.1290〜1250年頃 ;
・イスラエルの民族員らが、
モーセに率いられて、 エジプトから脱出。
・エジプトを脱出後に、
40年間を、 荒野をさまよった。
・モーセが、死亡。
B.C.1250〜1200年頃 ;
モーセの後継者の、 ヨシュアが、
パレスチナを征服。
B.C.1020年 ;
サウル王が、 統一イスラエル王国を建国。
文書仮説に則るのならば、
これらの出来事らは、
旧約聖書は、 おろか、 その元ネタの成立よりも、
遥かに昔のことになってしまいます。
旧約聖書に書かれた歴史事らは、
まあまあ、 本当だろう、 と、
多くの人らは、 考えています。
元になる出来事らは、 実際に起きたもので、
多少の誇張や歪曲は、 ありつつも、
ユダヤ人なりの解釈で、記録をしたものであると。
しかし、 実際のところ、
古代世界に生きる人々が、 何百年も昔のことを、
どこまで正確に、 記録できるのでしょうか。
しかも、 旧約聖書の元ネタらのうちの、
P資料とD資料は、 純粋な記録ではなく、
プロパガンダ文書である、 という現実。
下手すると、 大半がフ、 ィクションなんじゃないか、 という、 疑いすらが、 浮上してきます。
聖書考古学 ;
そこで、「本当の歴史」を知るために役立つのが、考古学であります。
考古学は、 文献だけの、
一方的な歴史解釈とは違って、
第三者が見ても、 納得出来る、
「証拠」らを提示することができます。
したがって、 旧約聖書のテキストと、
パレスチナの近郊の発掘の状況を、
照らし合わせてみれば、
イスラエルの民の歴史は、 かなり正確に、
確認ができるはずなのです。
というわけで、 次回の、
「 パレスチナでは
何も、 発見されていない 」 に続きます。
bible_author
@ 2016/ 11/5 ( 土 ) 15:52:38
更新やっときた。
今回も面白い。
管理人さん、忙しいとは思うけど、
早く、 次回の更新して欲しい 。
@ 次回への予告で、既に、 次回のオチを出す、
と言う、 斬新なスタイル
@ ノアの箱船は、 複数の話らを、無理やり、
一つに纏めたって印象だったけど。
今回は、その時代ごとに、
都合の良いように、 話を作り変えられてるって
感じ。 年表で見ると、 面白いですね 。
@ 民話集に、 為政者と、 聖職者の思惑が、
トッピングされた民族意識高揚本やね。
@ 聖書アラビア起源説を 、 今度に、
図書館で探してみようと思います。
アシール地方は、 今も、
サウジアラビアの領域なので、
観光では、 外国人には、 入国が厳しい
地域らしいですが、
研究者のHPを見ると、 なかなか面白い風習が残ってるそうなので、 興味深い地域ですよね。
@ ユダヤ教徒や、キリスト教徒でありながら、
考古学に携わって、 聖書を批判している人間は、
山ほどいるよ 。
神の存在を否定しているんじゃなくて、
聖書の内容事らを批判しているだけだけどね 。
彼らの全体が、 宗教家という訳じゃないけど、
その中には、 宗教家に属する人らがいるのも、
確か 。
狂信者として、 考古学を否定したり、
都合のいい部分らだけを採用したりする人も、
いるけど 。
@ 今までの流れが合わさってきて、
それが、 骨子となって、 聖書の成り立ちが、
より、 はっきりと見えてきてる感じだな 。
ユダヤ教に関しては、 なんとなく、
成立について、わかって、 面白かった
ここから、 キリスト教やイスラム教に、
どう繋がっていくのかも、気になる 。
@ そりゃそうだよなって感じ。
印刷もなかったし、 書き写される度に、
その人 ( や、 地方・政治 ) ごとの意思が、
入っていったことは、 ほぼ確実だろうし、
日本で言えば、 対外向けの、「日本書紀」と、
内政向けの、 「古事記」とで、
内容が違うとか、 重点の置き所も、
可成り違うとかね、
一人の英雄、あるいは、 オオキミを、
複数にバラしたり、
あるいは、 そのままでは、 歴史の中に埋もれていた、 功労者譚を、 一人の英雄としてまとめ上げたり、そういうのは、 当たり前だろうし、
時代を考えたら、 仕方ないよね。
厄介なのは、 その何千年~二千年前の、
古い考えや規律に固執しちゃうことだ。
これは、 西洋や中東の一神教三兄弟に関わらず、 「 中華思想 」 、 と言った物も、同様、
カースト 、 という「制度」も、 同様だ。
アンタッチャブルなところに触れないように、
現代まで来て、 世界中の距離や情報だけが縮まってしまったが故に、
物凄く険悪な時代に突入している。
@ ユダヤ教への初心者には、
分かりやすくて、 ありがたい解説だわ 。
@ パレスチナでは、
何も、 発掘されていないのか…
聖書に出てくる地名で、今現在も、
記述と同じ名前で呼ばれている場所は、
チグリス・ユーフラテス川沿いに多いな。
ウルとか、 が、 そのまんま。
今現在は、 その大部分は、 イラク領内だから、
発掘作業も捗らない。
@ 管理人さんは、 いつも、 難しい話題を、
わかりやすくまとめてくれるから、ありがたい。
次も、 楽しみにしています 。
@ 聖書の考古学的な視点で、 分析した内容の本に、
旧約聖書には、 新約聖書の編集前の文書が、
入っているとか、 ないとか言うのを、
どこかで読んだのだが
( 72人聖書とか言うのか? ) 、
旧約聖書が、 完全に成立 ( 文書化したのは )
AC 70年頃だとかいうのを読んだな。
ここでの推論とは、 時代的に、 直には、
関係がないが、 現在へ伝わる、
旧約聖書って、
キリスト教の普及ぶりらを見て、
ユダヤ教の旧約聖書をベースに、
急きょ作ったのかなあ。
どちらにしろ、 次回が、 楽しみだ。
@ 次回まで、 待てないなら、
長谷川修一氏の、 「 聖書考古学 」、
「 旧約聖書の謎 」 、
を読めば、 いろいろ、 このあたり書いてるよ
@ 申命記の最後の章を読んだだけでも、
モーセによって、 そこが書かれた様子もなく、
それを隠す仕草もないし、
あくまで、 モーセに由来する文書群って事で、
問題は、 ないでしょ。
申命記の34章だけでも、読んでみると良いですよ。
現代のキリスト教徒の立場からすれば、
神の霊感を受けた、 モーセたちによって、
先祖以来の伝承事らが、
神の霊感に導かれて、
整理、編纂されていったが、
神の律法を捨て、 イスラエルが、 一度、は、
滅亡した後の、 いわゆる、 捕囚の後に、
それらの残された文書らにより、
国が再建され、 正典の編纂がなされていった。
それらの過程事らも含め、
神の霊感に導かれている、と、 捉えているわけで。
実際に、 聖書は、 おびただしい人々が書いた文書らの集合体で、
それらが、 神に導かれて、 編纂されて、
神のメッセージらが残された物と捉えるのが、
信仰なわけで。
それが、 ただの寄せ集めの文書だと言われれば、 神の導きがないとなれば、そうなるかもだけど、
大騒ぎするほどの事じゃないですよ。
@ この記事の ( というか、 文書仮説の、 )
主張は、
「 モーセ五書は、 モーセが記したとされていたが、 実は、 後世に記された複数の文書らを、
合わせたものだった 」 、 です。
あなたは、 「 そんなことは、 普通に読んだら、分かるでしょ、 常識的に考えて 」 、 と、
考えているかもしれないですが、
そうは、 考えない人らもいるために、
この記事があるんじゃないでしょうか。
個人的には、とても大騒ぎする事だと思いますね。
もし、 文書仮説が、 事実であり、
例えば、 聖地が、 アラビア半島にあったなんて事を示すような、
確たる証拠が出てきたりなんかしたら、
宇宙人発見以上のインパクトがあると思います。
なにせ、世界中で、 二千年も信じられてきた事が、 誤りだったたかもしれないのですから。
@ K.シュミート氏の、
『 旧約聖書文学史入門 』 ; 教文館刊は、
次回の話の関連の本。
ここのサイトが書いてることよりも、
もっと過激だよ。
当然、 キリスト教の人が書いてる本 。
@ 別に、 モーセ自身が書いたことを、
否定したがってるわけじゃなくて。
本当は、 いったい、 誰彼らが書いたのか、を、
ある仮説をもとに、 紐解 ヒモト いていくことで、 聖書や、 ユダヤ教の成り立ちに関する、
歴史ミステリーを堪能してもらおうって、
記事なんだからさ。
ちゃんと読めば、 わかるとか、
教会が、 どう主張してるかなんてのは、
この際、 どーだっていいことなのよ。
それこそ、一連の記事をちゃんと読んでれば、
今回の内容が、 管理人さんの本当に書きたいことには、 まだ、 全然、 到達していない、
導入部分だってこと、は、
誰にだって、 分かると思うんだけどね・・。
イスラエル王国 、 とも言われるが
大抵は、 ヘブライ王国との名義が、 一般的。
後に分裂して、 北のイスラエル王国と、
南のユダ王国とを 区別する為。
あと、 【 P資料の成立 】 の、
バビロン捕囚のとこ 。
アッシリアじゃなくて、 カルデア王国
『 新バビロニア 』 だと思うんだけどな・・。
4王国分立時代には、 アッシリアは、
既に滅んでたはずだし。
@ エロヒムが、父、 ヤハウェが、 子 。
ただ、 その神の名を、 みだりに唱えてはならないから、 宗教って、 だいたい、 普段にも言える、
別名があるわけで 。
@ そもそも、 今のイスラエル人は、
今風に言うなら、 ハザール系などの、 後付けの、 ユダヤ人な、 『移民』に乗っ取られた民族だし 。
@ 瑣末な指摘をします。 近世って、
日本史以外にはない時代区分だったかと思います。
ヨーロッパとか日本以外の地域では、
中世の次は、 近代だったかと 。
近代の誤記と思って読みましたけどねw
住める避難所らを、 地下に作り拡げてゆく過程らにおいては、 古代の日本人らの事らを明らかにする事に役立つ、 遺跡らや、 遺物らなどを発見する度合を増す事になる。
今までは、 それらを保存し、 それらの伝え得る事らを解き明かす事を助ける向きの予算を付けては、 来ていない、 反日員として機能してある、
実態性を成して観せて来ている、 役人らと、
政治家らによる、 不作為型の、邪魔立て行為ら等を、はね除けて、 日本の生い立ちようら等への、
知見らを成し得る機会らを、 日本国民らは、
ふんだんに得てゆく事になる 】 。
blog 腹筋崩壊ニュース ;
旧約聖書を書いたのは、 誰
2016/ 11/5 2016/ 11/22
☆ 長い間を、 ヨーロッパ等では、
旧約聖書 、 という書物は、
「 神から、 預言者へ直に伝えられた啓示 」
≒ ロゴスら ≒ 言葉ら、 論理性ら、
倫理事項ら 、 を、 そのまま、
書き留めたもの、 という、 位置付けでした。
であるからして、そこに書かれた内容事らに、 間違いなどは、 ないはずだ。
となると、 自動的に、 旧約聖書に描かれた、
イスラエルの民族員らの壮大な歴史事項らもまた、
「 真実事項らであるはず 」 でした。
旧約聖書は、 39の文書らの集まりでしたね。
このうちの、 最初の5つ
( 創世記、 出エジプト記、 レビ記、
民数記、 申命記 ) は、
【 唯一の全知全能な神から、 人々の成すべき倫理事項らである、 言葉らを、授かり、 預けられて、
その倫理事項らを、 人々へ、触れ回るべき、
役務を与えられた者である、 】
預言者、 の、 モーセ
≒ 古代エジプトの言葉として、 『 息子 』 、を意味する 、が、 直々に書いたもの、 と、
言い伝えられ、
特別に、 「 モーセ五書 」、 と、 呼ばれます。
モーセは、 紀元前の13世紀頃の人物、
と、されていますので、
「 モーセ五書 」 もまた、 その頃に書かれた、
書物 、 ということになります。
預言者モーセ。 B.C.1391〜B.C.1271。
長生き過ぎ。
その内容は、 天地創造から、 モーセの死までの歴史事ら。
そして、いくつもの教義や規定集。
内容的にも、 著者的にも、 「 モーセ五書 」は、
ユダヤ教の中心であり、 他とは、 段違いに、
重要な聖典なのであります。
本当の著者は?
「 モーセ五書 」 は、 モーセが書いた。
これは、 少なくとも、 中世までは、
「 疑いようのない常識 」 でした。
疑ったら、 教会に、ぶっ殺される、
という意味で。
「 モーセ五書 」 の、 5番目の書物の、
『 申命記 』 には、
モーセの死の様子が書かれています。
mosess_death ;
該当部分を軽く引用してみます。
申命記 34章 5節 ;
こうして、 主の僕 シモベ の、 モーセは、
主の命令によって、 モアブの地で、 死んだ。
申命記 34章 6節 ;
主は、 モーセを、 ベト・ペオルの近くの、
モアブの地にある谷に葬られたが、
今日に至るまで、
誰も、 彼が葬られた場所を知らない
(中略)
申命記 34章 10節 ;
イスラエルには、 再び、 モーセのような、
預言者は現れなかった。
だが、 待ってほしい。
いくら、 偉大な預言者だからって、
さすがに、 「 自分が死んだこと 」 まで、
自分で書くのは、 無理ではないだろうか。
さらに、 「 今日に至るまで 」 や、
「 再び、 モーセのような預言者は、
現れなかった 」 、 の部分なんて、
まるで、 遥か未来から、 自分が死んだ時のことを振り返ったかのような表現です。
@ 西の一神教らの中には、
全知全能な阿弥陀如来を観たり、 信仰したりする、 東の一神教らの、個々の人の精神系における、
阿弥陀如来性である、 仏性、 に相当する、
聖霊 、 の概念があるから、
モーセ氏に化身して、 現れ出ていた、
聖霊、が、 モーセ氏の死を成した後にも、
働きらを成して、 自らの事らをも伝え得た、
といった、 考えようを、
より、 古きに、 旧約聖書を編纂した、人々は、
成していたのかも知れない 。
であれば、 その人々においては、
モーセ氏が、 自らの死後にも、 事らを、 人々へ、伝え得た、 という事に、
矛盾性は 、 無かった事になる 。
また、 モーセ、 という、 誰かの息子を意味する、 名前の、 部族長らが、 複数が居て、
ある、部族か、部族らの、 代々の長 オサ らが、
モーセ 、 と、 呼びならわされており、
部族社会らからも成る、 社会にあった、
古代のユダヤの人々の一定数は、
その事を心得ており、
そうした人々が、 旧約聖書の編纂に達致した事もあったのであれば、 その人々が、
代々のモーセ氏が、 自らの部族らの内外の人々へ、 彼らの唯一の神との約束事らと絡めて、
自らの見聞きし得た事らを伝え、
その後継者ではあっても、 モーセ、を、
襲名しない様に成っていた、 長ら等が、
そうした事らを人々へ伝えた事らも、 合わせて、
モーセ氏の伝えた事らとして、 一くくりにする事について、 自らの先祖らの事らを、
後の今の自分たちの代の事として、
受け継ぐ、 部族社会員としての、 極当たり前な、 自然な感覚で、 それを成したのかも知れない 。
・・同じような時系列の矛盾は、
他にもあります。
例えば、 『創世記』の次のような記述。
創世記 36章 31節 ;
イスラエルの人々を治める王が、
まだいなかった時代に、
エドム地方を治めていた王たちは、
次のとおりである。
「 王がまだ、いなかった時代 」 、 という、
表現の裏には、 「 今は、 王がいる 」 、
という、 前提の事が、隠れています。
しかし、 「 イスラエルの人々を治める王 」 が、 初めて登場したとされるのは、
紀元前の、 千50年くらいのこと。
モーセが死んでから、 2百年以上も、
後のことであり、 モーセが、
この文章を書けるはずがありません。
こうしたテキスト上の時代錯誤が、
示唆しているのは、 「 モーセ五書 」の著者は、
モーセではない、 という可能性なのであります。
文書仮説 ;
この「モーセとモーセ五書って、関係なくね?」、という、 疑問は、
ローマ時代くらいから、 コソコソと、
指摘はされてきました。
おおっぴらに指摘すると、 牢屋にぶち込まれるので、あくまで、 コソコソとね。
しかし、 時代が進んで、 近世に突入すると、
わりと、 自由に、 聖書を研究できる雰囲気が、
広がっていきました。
そうすると、 それまで、 くすぶっていた疑問点らに、 どうにか、 合理的な説明をつけよう、
という機、 運が高まるわけです。
二柱 フタハシラ の神様ら ;
旧約聖書の中身についての、 疑問は、
山ほどありました。
著者の問題だけでなく、
話の辻褄が合わなかったり、
2重記述や、 3重記述がある部分などなど。
何故に、 ひと続きの文書のはずなのに、
こうした矛盾や重複表現があるのか、
多くの神学者や研究者らが、 頭を悩ませますが、
なかなか、 うまい説明がつかない。
そんな中で、 提唱された画期的な仮説が、
文書仮説だったのであります。
その骨子は、
「 旧約聖書は、 幾つかの元ネタを切り貼りして、
構築されている 」 、 というもの。
この仮説に至った、 最初の手がかりは、
旧約聖書において、 神が、
2種類の呼ばれ方をしている点でした。
旧約聖書の、 ある箇所では、
「 ヤハウェ 」 、
また、 別の箇所では、 「 エロヒム 」 、
という風に、 神の呼称には、 ブレがあるのです。
従来は、 ヤハウェは、 固有名詞、
エロヒムは、 「 神 」 を表す、 普通名詞、
という風に解釈されてきました。
しかし、 試しに、 旧約聖書のテキストを、
「 ヤハウェ部分 」 、と、 「 エロヒム部分 」 に、 分けてみたところ、
ディテール ≒ 細部 、の異なる、
2つの物語らが、 姿を現したのです。
単に、 2つの物語らになった、
というだけではなく、
ヤハウェ、と、 エロヒムは、 明らかに、
そのキャラクター設定も、異なっており、
もともとは、 別々の神話だった、 という線が、
濃厚になったのです。
ヤハウィスト ;
例えば、 ヤハウェの方は、
・肉体を持っていて、散歩とか肉弾戦とかする。
・自ら奇跡を起こす。
・感情豊か ( 怒りっぽい、 嫉妬深い ) 。
といった、 特徴らがあります。
また、 こちらの物語では、
登場する地名らの多くが、
南の、 ユダ王国と、 ※北の、 イスラエル王国とへ分裂した後の、 片方に属するものでした。
従って、 ヤハウェ系の物語は、
ユダ王国で成立したものである可能性が、
非常に高い。
そこで、 研究者たちは、
ヤハウェ系の物語を書いた人々を、
「 ヤハウィスト Jahwist 」、
その文書を、 「 J資料 」、 と名付けました。
エロヒスト ;
一方のエロヒムは、
・肉体なし。
・奇跡は、 預言者に指示して、起こさせる。
・感情は表に出さない。
みたいな感じ。
また、 まるで、 J資料と対比するように、
こちらの物語には、
北の、 イスラエル王国に属する、 地名が、
多く登場し、扱うエピソードも、
北イスラエル王国のものばっかり。
となると、 こちらは、
北イスラエル王国で成立したものである
可能性が高くなります。
このエロヒム系の物語の作者を、
「 エロヒスト Elohist 」 、
その文書を、 「 E資料 」、 と呼びます。
祭司資料 ;
旧約聖書を、 用語や文体を元に、
もっともっと、 分類していくと、
どうも、 元ネタは、 2つだけじゃなさそうだ、と、 分かってきます。
その一つが、「祭司資料」と呼ばれる部分。
これに分類される部分では、
祭壇の寸法や、 材料を、 細かく指定したり、
日付に、こだわったりと、
とにかく、 祭儀の留縷 ルル ≒ ルール 、らに、 深い関心を持って書かれています。
また、 「 イスラエルの民の統一には、
祭司が、 欠かせないよ 」 、 という、
メッセージが、 繰り返し登場するのも、特徴です。
祭儀のルールに、 強い関心があり、
祭司の重要性を主張するのは、 誰か。
聖職者に、 決まっていますね。
なので、 この部分を、 「祭司資料」 、
と、 呼ぶわけです。
これは、祭司 ( Priesterschrift ) の、
頭文字をとって、 「 P資料 」 、 と言います。
P資料の成立 ;
P資料が編集されたのは、
B.C.576年の、 バビロン捕囚以後のこと。
アッシリア帝国によって、
故郷の、 イスラエルから、 無理やりに、
バビロンに移住させられた、 イスラエル人達。
彼らは、 大都会の、 バビロンに、 もう、
すっかり染まってしまい、
イスラエル人としてのアイデンティティーは、
風前の灯火。
そんな彼らをして、 もう一度を、
ユダヤ人としてまとめ上げたのが、
この祭司たちでした。
彼らは、 ユダヤ教の、 教義やしきたりを、
整理し直し、 さらに、 既にあった、
J資料と、 E資料を、 切り貼りし、
一つの壮大な聖典と歴史書を作り上げたのです。
documentary_hypothesis
創世記から、 民数記までを、 元ネタらで、
色分けした図 ;
祭司たちは、 百年以上もかけて、 編集を続け、
B.C.450年くらいになって、 ようやく、
現在に伝わる、 旧約聖書の原型に近いものが、
出来上がったのであります。
申命記資料 ;
4つ目の元ネタは、「申命記資料」というもの。
その名の通り、『申命記』のことです。
もう少し具体的に言うと、
『申命記』は、 モーセが語るという体で、
数々の掟が書かれています。
曰く、 「 ヤハウェ以外への崇拝は、 NG 」 、
「 エルサレム以外での礼拝は、 NG 」 、
などなど。
これと、 全く同じ内容で、
ヨシヤ 、 という王様が、 B.C.622年に、
異教徒らへの弾圧でもある、
宗教改革を行っています。
したがって、 『 申命記 』 は、 実際には、
この、 ヨシヤ王による、 宗教改革のための、
プロパガンダ文書である、 とも、
見なされています。
この部分は、 申命記 ( Deuteronomist ) の、
頭文字をとって、 「D資料」 、 と言います。
いつ、 書かれたか ;
というわけで、 旧約聖書には、 大まかには、
J・E・P・Dの、 4種類の元ネタらがあることが、
明らかとなりました。
問題は、「いつ書かれたか」であります。
D資料で語られる、
「 エルサレム以外での礼拝は、 NG 」 、
という掟。
この掟は、 J資料とE資料には、
全く、 登場しません。
逆に、 P資料では、 当たり前のこととして、
捉えられています。
となると、 D資料を基準として、
J資料とE資料は、 それより古く、
P資料は、 新しい、 ということになります。
ここまでの事らをまとめると、
次のような、 流れになります。
B.C.922 ;
イスラエル王国が、 南北に分裂。
南のユダ王国で、 J資料が成立。
B.C.850 ;
北イスラエル王国で、 E資料が成立。
B.C.722 ;
北イスラエル王国が滅亡。
B.C.700頃 ;
北王国から逃げてきた人々により、
JとEが統合されて、 JE資料になる 。
B.C.622 ;
ヨシヤ王の改革が行われる。
この時に、 マニュアルが作成される。
これが、 D資料。
B.C.586以降 ;
バビロン捕囚で、 心が折れたイスラエル人らを、
祭司たちが、 宗教で、 まとめる。
その時に、 P資料も作る。
↓
JEとPが、 統合される。
B.C.400頃 ;
JEPに、 Dも合体して、 全体を、 もう一度を編集。
↓
旧約聖書が、 完成!
bible_timeline ;
この図から、 分かることは、
「 モーセ五書を、 モーセが書いた、 というのは、 全くの嘘 」、 ということだけでは、
ありません。
イスラエルの壮大な歴史における、
ターニング・ポイント
≒ 転換点 、 は、 幾つもあります。
B.C.2000年頃 ;
ユダヤ人らの父祖の、 アブラハムが、
神の啓示を受けて、 パレスチナへ移住。
B.C.1700年頃 ;
アブラハムの子孫の、 ヤコブ一族員らが、
エジプトに移住し、 奴隷化される。
B.C.1290〜1250年頃 ;
・イスラエルの民族員らが、
モーセに率いられて、 エジプトから脱出。
・エジプトを脱出後に、
40年間を、 荒野をさまよった。
・モーセが、死亡。
B.C.1250〜1200年頃 ;
モーセの後継者の、 ヨシュアが、
パレスチナを征服。
B.C.1020年 ;
サウル王が、 統一イスラエル王国を建国。
文書仮説に則るのならば、
これらの出来事らは、
旧約聖書は、 おろか、 その元ネタの成立よりも、
遥かに昔のことになってしまいます。
旧約聖書に書かれた歴史事らは、
まあまあ、 本当だろう、 と、
多くの人らは、 考えています。
元になる出来事らは、 実際に起きたもので、
多少の誇張や歪曲は、 ありつつも、
ユダヤ人なりの解釈で、記録をしたものであると。
しかし、 実際のところ、
古代世界に生きる人々が、 何百年も昔のことを、
どこまで正確に、 記録できるのでしょうか。
しかも、 旧約聖書の元ネタらのうちの、
P資料とD資料は、 純粋な記録ではなく、
プロパガンダ文書である、 という現実。
下手すると、 大半がフ、 ィクションなんじゃないか、 という、 疑いすらが、 浮上してきます。
聖書考古学 ;
そこで、「本当の歴史」を知るために役立つのが、考古学であります。
考古学は、 文献だけの、
一方的な歴史解釈とは違って、
第三者が見ても、 納得出来る、
「証拠」らを提示することができます。
したがって、 旧約聖書のテキストと、
パレスチナの近郊の発掘の状況を、
照らし合わせてみれば、
イスラエルの民の歴史は、 かなり正確に、
確認ができるはずなのです。
というわけで、 次回の、
「 パレスチナでは
何も、 発見されていない 」 に続きます。
bible_author
@ 2016/ 11/5 ( 土 ) 15:52:38
更新やっときた。
今回も面白い。
管理人さん、忙しいとは思うけど、
早く、 次回の更新して欲しい 。
@ 次回への予告で、既に、 次回のオチを出す、
と言う、 斬新なスタイル
@ ノアの箱船は、 複数の話らを、無理やり、
一つに纏めたって印象だったけど。
今回は、その時代ごとに、
都合の良いように、 話を作り変えられてるって
感じ。 年表で見ると、 面白いですね 。
@ 民話集に、 為政者と、 聖職者の思惑が、
トッピングされた民族意識高揚本やね。
@ 聖書アラビア起源説を 、 今度に、
図書館で探してみようと思います。
アシール地方は、 今も、
サウジアラビアの領域なので、
観光では、 外国人には、 入国が厳しい
地域らしいですが、
研究者のHPを見ると、 なかなか面白い風習が残ってるそうなので、 興味深い地域ですよね。
@ ユダヤ教徒や、キリスト教徒でありながら、
考古学に携わって、 聖書を批判している人間は、
山ほどいるよ 。
神の存在を否定しているんじゃなくて、
聖書の内容事らを批判しているだけだけどね 。
彼らの全体が、 宗教家という訳じゃないけど、
その中には、 宗教家に属する人らがいるのも、
確か 。
狂信者として、 考古学を否定したり、
都合のいい部分らだけを採用したりする人も、
いるけど 。
@ 今までの流れが合わさってきて、
それが、 骨子となって、 聖書の成り立ちが、
より、 はっきりと見えてきてる感じだな 。
ユダヤ教に関しては、 なんとなく、
成立について、わかって、 面白かった
ここから、 キリスト教やイスラム教に、
どう繋がっていくのかも、気になる 。
@ そりゃそうだよなって感じ。
印刷もなかったし、 書き写される度に、
その人 ( や、 地方・政治 ) ごとの意思が、
入っていったことは、 ほぼ確実だろうし、
日本で言えば、 対外向けの、「日本書紀」と、
内政向けの、 「古事記」とで、
内容が違うとか、 重点の置き所も、
可成り違うとかね、
一人の英雄、あるいは、 オオキミを、
複数にバラしたり、
あるいは、 そのままでは、 歴史の中に埋もれていた、 功労者譚を、 一人の英雄としてまとめ上げたり、そういうのは、 当たり前だろうし、
時代を考えたら、 仕方ないよね。
厄介なのは、 その何千年~二千年前の、
古い考えや規律に固執しちゃうことだ。
これは、 西洋や中東の一神教三兄弟に関わらず、 「 中華思想 」 、 と言った物も、同様、
カースト 、 という「制度」も、 同様だ。
アンタッチャブルなところに触れないように、
現代まで来て、 世界中の距離や情報だけが縮まってしまったが故に、
物凄く険悪な時代に突入している。
@ ユダヤ教への初心者には、
分かりやすくて、 ありがたい解説だわ 。
@ パレスチナでは、
何も、 発掘されていないのか…
聖書に出てくる地名で、今現在も、
記述と同じ名前で呼ばれている場所は、
チグリス・ユーフラテス川沿いに多いな。
ウルとか、 が、 そのまんま。
今現在は、 その大部分は、 イラク領内だから、
発掘作業も捗らない。
@ 管理人さんは、 いつも、 難しい話題を、
わかりやすくまとめてくれるから、ありがたい。
次も、 楽しみにしています 。
@ 聖書の考古学的な視点で、 分析した内容の本に、
旧約聖書には、 新約聖書の編集前の文書が、
入っているとか、 ないとか言うのを、
どこかで読んだのだが
( 72人聖書とか言うのか? ) 、
旧約聖書が、 完全に成立 ( 文書化したのは )
AC 70年頃だとかいうのを読んだな。
ここでの推論とは、 時代的に、 直には、
関係がないが、 現在へ伝わる、
旧約聖書って、
キリスト教の普及ぶりらを見て、
ユダヤ教の旧約聖書をベースに、
急きょ作ったのかなあ。
どちらにしろ、 次回が、 楽しみだ。
@ 次回まで、 待てないなら、
長谷川修一氏の、 「 聖書考古学 」、
「 旧約聖書の謎 」 、
を読めば、 いろいろ、 このあたり書いてるよ
@ 申命記の最後の章を読んだだけでも、
モーセによって、 そこが書かれた様子もなく、
それを隠す仕草もないし、
あくまで、 モーセに由来する文書群って事で、
問題は、 ないでしょ。
申命記の34章だけでも、読んでみると良いですよ。
現代のキリスト教徒の立場からすれば、
神の霊感を受けた、 モーセたちによって、
先祖以来の伝承事らが、
神の霊感に導かれて、
整理、編纂されていったが、
神の律法を捨て、 イスラエルが、 一度、は、
滅亡した後の、 いわゆる、 捕囚の後に、
それらの残された文書らにより、
国が再建され、 正典の編纂がなされていった。
それらの過程事らも含め、
神の霊感に導かれている、と、 捉えているわけで。
実際に、 聖書は、 おびただしい人々が書いた文書らの集合体で、
それらが、 神に導かれて、 編纂されて、
神のメッセージらが残された物と捉えるのが、
信仰なわけで。
それが、 ただの寄せ集めの文書だと言われれば、 神の導きがないとなれば、そうなるかもだけど、
大騒ぎするほどの事じゃないですよ。
@ この記事の ( というか、 文書仮説の、 )
主張は、
「 モーセ五書は、 モーセが記したとされていたが、 実は、 後世に記された複数の文書らを、
合わせたものだった 」 、 です。
あなたは、 「 そんなことは、 普通に読んだら、分かるでしょ、 常識的に考えて 」 、 と、
考えているかもしれないですが、
そうは、 考えない人らもいるために、
この記事があるんじゃないでしょうか。
個人的には、とても大騒ぎする事だと思いますね。
もし、 文書仮説が、 事実であり、
例えば、 聖地が、 アラビア半島にあったなんて事を示すような、
確たる証拠が出てきたりなんかしたら、
宇宙人発見以上のインパクトがあると思います。
なにせ、世界中で、 二千年も信じられてきた事が、 誤りだったたかもしれないのですから。
@ K.シュミート氏の、
『 旧約聖書文学史入門 』 ; 教文館刊は、
次回の話の関連の本。
ここのサイトが書いてることよりも、
もっと過激だよ。
当然、 キリスト教の人が書いてる本 。
@ 別に、 モーセ自身が書いたことを、
否定したがってるわけじゃなくて。
本当は、 いったい、 誰彼らが書いたのか、を、
ある仮説をもとに、 紐解 ヒモト いていくことで、 聖書や、 ユダヤ教の成り立ちに関する、
歴史ミステリーを堪能してもらおうって、
記事なんだからさ。
ちゃんと読めば、 わかるとか、
教会が、 どう主張してるかなんてのは、
この際、 どーだっていいことなのよ。
それこそ、一連の記事をちゃんと読んでれば、
今回の内容が、 管理人さんの本当に書きたいことには、 まだ、 全然、 到達していない、
導入部分だってこと、は、
誰にだって、 分かると思うんだけどね・・。
イスラエル王国 、 とも言われるが
大抵は、 ヘブライ王国との名義が、 一般的。
後に分裂して、 北のイスラエル王国と、
南のユダ王国とを 区別する為。
あと、 【 P資料の成立 】 の、
バビロン捕囚のとこ 。
アッシリアじゃなくて、 カルデア王国
『 新バビロニア 』 だと思うんだけどな・・。
4王国分立時代には、 アッシリアは、
既に滅んでたはずだし。
@ エロヒムが、父、 ヤハウェが、 子 。
ただ、 その神の名を、 みだりに唱えてはならないから、 宗教って、 だいたい、 普段にも言える、
別名があるわけで 。
@ そもそも、 今のイスラエル人は、
今風に言うなら、 ハザール系などの、 後付けの、 ユダヤ人な、 『移民』に乗っ取られた民族だし 。
@ 瑣末な指摘をします。 近世って、
日本史以外にはない時代区分だったかと思います。
ヨーロッパとか日本以外の地域では、
中世の次は、 近代だったかと 。
近代の誤記と思って読みましたけどねw