祈り 癒し パワー

Caterina Michikoの備忘録

平和の元后

2020-05-21 | 聖母月

聖母マリアのさまざまな称号の中で、最も古くから呼ばれている名に「神の母」があります。
神の母」の祭日は1月1日ですが、1月1日には、全世界のカトリック教会で祈られていることがあります。
それは、「世界平和祈願の日」ということで、世界平和について祈られると共に、ローマ教皇は毎年、「世界平和祈願の日」に寄せたお手紙を発表しています。
聖母マリアの称号には、「平和の元后」という呼び名もあります。



「平和の元后」は聖マリアの連祷の中にある祈りです。
聖マリアの連願ができたのは16世紀、今から約500年前ですが当時の連祷には「平和の元后」という言葉はありませんでした。
平和の元后は、1915年、第一次世界大戦に心を痛めた教皇ベネディクト15世によって定められました。
教皇パウロ6世は、1968年ベトナム戦争が激化する中で1月1日の神の母聖マリアの祭日を「世界平和祈願の日」と定め、「平和の元后聖マリア」を通して平和が与えられることを祈るよう、全世界に呼びかけました。



上の写真の「平和の元后」は、世界遺産にも登録されている長崎教会群「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺跡」を成す黒島教会の「平和の元后」の聖母マリアのご像です。
「平和の元后」に捧げられている千葉県にある豊四季教会の「平和の元后聖マリア」のご像は、やはりルルドの聖母のように胸の前で手を合わせて祈る姿ですが、違うタイプの聖母像となっています。



御出現の聖母像と異なり、称号の聖母像には特に「これが○○のマリア様だ!」というものはないようです。

★「平和の元后」に捧げられている主な聖堂

平和の聖マリア聖堂 (ローマ属人区長教会)

土浦教会(茨城県土浦市)
豊四季教会(千葉県柏市)
古賀教会(福岡県古賀市)
鳥帽子教会(長崎市佐世保市)

世界平和の日教皇メッセージ


神の母

2020-05-20 | 聖母月

聖母マリアは、さまざまな称号があります。
「○○」と言ったら、そこに「聖母」「聖母マリア」「マリア」という言葉がなかったとしても、聖母を意味するというものです。
そして、その称号には、それぞれの御絵や御像があるものもあります。



「神の母、聖マリア」。
これは、キリスト教会が始まって以来、最初に聖母マリアに与えた称号です。

しかし、マリアを「神の母(テオトコス)」と呼ぶことに対して、神学的な論争も数多くありました。
それは、イエス・キリストを神と見るか、人と見るかによっても変わってきます。
マリアの母性を素直に認めることができなかった人たちも大勢いました。
431年、エフェソでの公会議において、教会は伝統的な神学に基づいて、マリアを「神の母」と宣言しました。

『イエスはマリアから生まれたから神であるのではない。
マリアが神の母であると言われるのは、永遠の神のおん子イエスが、マリアから生まれることによってマリアと同じ人間性をとられたからである。
マリアは神であるおん子に人間性を与えた母親なのだ。
だからマリアなくして神人イエス・キリストは存在しない。』

これが、マリア信心の最も基本的な理由です。
カトリック教会で伝統的に唱えられているアヴェマリアの祈り(天使祝詞、聖母マリアへの祈り)でも、マリア様は「神の母」と呼ばれています。
マリア様を聖母と呼ぶのも、マリア様が「神の母」であるためです。
ローマ・カトリック教会は1931年、エフェソ公会議1500周年に際し、教皇ピウス11世によって1月1日を「神の母」の祝日と制定しました。

アヴェマリアの祈り(2011年6月14日 日本カトリック司教協議会認可)

アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子(おんこ)イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎えるときも、お祈り下さい。
アーメン。

「神の母」にいて、より詳しく知りたい方は、下記もご参照ください。
教皇ベネディクト十六世の122回目の一般謁見演説 神の母マリア
救い主イエス・キリストの母、聖マリア
教皇フランシスコ、2017年1月1日「お告げの祈り」での言葉

★「神の母」に捧げられた主な聖堂

平塚教会(神奈川県平塚市)


ヤスナ・グラの聖母(黒い聖母)

2020-05-18 | 聖母月

2020年5月18日は、『空飛ぶ教皇』とも呼ばれた聖ヨハネ・パウロⅡ世教皇様の生誕100周年です。
聖ヨハネ・パウロⅡのご出身地であるポーランドの在日ポーランド広報文化センターでは、ワルシャワの聖ヨハネ・パウロⅡ世思想センター制作のパネル展示「生誕100周年記念-ヨハネ・パウロ二世の生涯」(原題「カロル・ヴォイティワ――誕生」)の日本語版を制作し、企画展が予定されていました。
しかし、コロナ渦の非常事態宣言の影響を受け、延期となりました。

本日ご紹介するマリア様は、聖ヨハネ・パウロⅡも信心を持っていたポーランドの守護者「ヤスナ・グラの聖母(黒い聖母)」です。



ヤスナ・グラの聖母(チェンストホヴァの聖母)は、ポーランドの古都クラクフ近郊の聖地チェンストホヴァにある聖母マリアに捧げられたヤスナ・グラ修道院で最も貴重な宝とされる幼子イエス・キリストを抱いた聖母マリアの御絵(イコン)
です。
マリア様と幼子イエス様の肌の黒さから、「黒い聖母」とも呼ばれています。
肌が黒いのは、『糸杉という黒っぽい木の板に描かれた』『コンスタンティノープルに置かれていた時に火災があって煤で黒くなった』『マリア様はもともと有色人種で、西洋絵画に表れるように白い肌に描かれる以前のものだから』等々の諸説があります。
また、マリア様の右頬に残る2本の無残な傷跡は1430年、フス戦争後期にフス派に傷付けられたためと伝えられています。

1380年、オポーレ公ヴワディスワフ・オポルチクに招かれてハンガリーからやってきたカトリックの司教団によって、チェンストホヴァに聖パウロ修道会の修道院が建設されました。
2年後の1382年、このイコンはオポーレ公ヴワディスワフ・オポルチクによってエルサレムからチェンストホヴァに運ばれ、修道院に安置されました。
1655年の大洪水時代、スウェーデン軍がポーランドを侵略しました。
ワルシャワやクラクフまでもが占領され、ヤスナ・グラの修道院も包囲されましたが、スウェーデン軍の攻勢に屈せず奇跡的に残ったのは、「黒い聖母」が守った奇跡とされています。
その直後の1656年4月1日、ポーランド王ヤン2世はリヴィウの大聖堂で、神の母の庇護の下に国を捧げることを誓い、彼女を彼の王国の守護者にして女王とすることを宣言しました。
1939年9月3日には、ナチスがチェンストホヴァへ進軍し、1945年1月の解放まで、ドイツ軍によるユダヤ人虐殺とポーランド人の悲劇が続きましたが、このときも、「黒い聖母」がポーランドを国難から守ったと言われています。

ポーランドはカトリック信徒が大多数を占め、「黒い聖母」のイコンもカトリック教会で有名でですが、同イコンはポーランド正し教会でも崇敬されています。
尚、ヤスナ・グラの聖母(黒い聖母)の記念日は、8月26日です。

教皇フランシスコ、チェンストホヴァを巡礼、ポーランド宣教1050年記念ミサ

聖ヨハネ・パウロ2世生誕100年:教皇フランシスコからポーランドの若者たちへ

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写真は、ポーランド人宣教師であるパウロ神父様(SDB)から贈っていただいた我が家の「黒の聖母」です。
パウロ神父様によると、マリア様の右頬の2本の傷は、過去に何度も修復が試みられたそうですが、修復では傷を消すことができなかったそうです。
2本の傷には、何らかの意味があるのだろうとポーランドの人たちは理解しているということでした。

復活節第6主日

2020-05-17 | LiveStream

カトリック東京大司教区


復活節第6主日 LiveStream










カルメル山の聖母

2020-05-16 | 聖母月

聖母月も折り返し日を迎えました。
15日目にご紹介する聖母は、カルメル山の聖母です。

 

カルメル山は、イスラエル北部の地中海沿岸を南東に走る、長さ24km、最高峰524mの丘陵です。
その美しさは聖書の中でしばしば語られ、神の祝福の象徴として用いられるようになりました。(雅歌7.6、イザヤ35.2、エレミヤ50.19、列王上18.17-40、列王下2.25 参照)

十字軍の時代、キリスト教徒の隠遁者がカルメル山の洞窟で生活するようになりました。
カルメル山からはガリラヤの平原を見渡すことができます。
カルメル山は聖母マリアが生活したガリラヤの近くにあります。
カルメル山で生活を始めた人たちは、「カルメル山の幸いなおとめマリアの
兄弟たち」と呼ばれ、この地上において、イエスとの交わりを最も深く生きた聖母マリアの生き方を模範とし、また、聖母のご保護のもとで生きました。
13世紀に入ると、彼らは集まって一つの修道家族を作り、エルサレムの総大司教アルベルトが与えた会則を受け入れて、カルメル会が発足しました。
カルメル会士は、やがて
イスラム教徒に追われてヨーロッパに移住し、定着して広がっていきました。

1251年7月16日、英国県と州エイルズフォードのカルメル会修道院の院長であった聖シモン・ストックにスカプラリオ(肩布)を手に下聖母マリアが現れました。
そして、「これは、あなたと全てのカルメル会員の特権となるものです。これを身にまとって死ぬ人は誰でも、永遠の炎の中で苦しむことはないでしょう」と約束され、茶色のスカプラリオを与えられました。
この時以来、カルメル会員はスカプラリオを身につけるようになりました。

13世紀の末には早くも一部の信者はカルメル会士の霊性に従って、自分の生涯を聖母マリアに捧げたいとの望みを表しました。
聖母への奉献の目に見える印として、カルメル会の服装であるスカプラリオを身にける許しを得ました。
そして、スカプラリオは次第に、聖母からの優れた贈り物とみなされ、「マリアの服」つまり聖母マリアを保護者、母とする服となりました。
15世紀になってから、スカプラリオの信心には、死後できるだけ速やかに、特に土曜日に煉獄から解放される≪土曜日の特権≫が加えられました。
16世紀以降、1530年のクレメンス7世教皇の認可によって、この信心はゆるぎないものとなりました。
聖ピオ10世教皇は、初めてスカプラリオ代用のメダイを許しましたが、スカプラリオは本質的に聖母マリアの服であり、メダイはそれを思い起こす手段です。

「カルメル山の聖母」とは、スカプラリオをお与えになった聖母を呼びます。
スカプラリオの聖母の記念日は7月16日です。

聖母がファティマで牧童たちにお現われになられたときにも、第6回目の出現の際に、スカプラリオの聖母の姿を3人の牧童たちは見ました。

尚、本日5月16日は、聖母からスカプラリオを与えられた聖シモン・ストックの記念日です。
聖シモン・ストックは1247年、82歳でカルメル会の第6代総長に選出されています。

★スカプラリオのカルメル山の聖母への祈り

スカプラリオのカルメル山の聖母よ、
スカプラリオの恵みを授けられ
あなたの愛する子らに加えられた私たちに、
主イエス・キリストの奥義を悟らせてください。
ご自分をあなたにすっかり委ねたイエスに倣って、
わたしのすべてを御手に委ねます。
主イエスはあなたによて人となり全ての人を贖われた。
み母マリアよ、あなたを通してイエスがわたしを受けいれてくださるように、
今、あなたの弱い子どもであるわたしは、
母であるあなたの御手のうちに、
わたしの洗礼の約束を新たにし、
悪魔と、その虚栄と、そのわざをことごとく捨てることを誓います。
またわたしをあなたの清純なみ心に捧げ、
わたしのすべて、
わたしの体と霊魂、物質的、精神的ないっさいの持ち物、
わたしの過去、現在、未来のすべての善業をあなたに委ねます。
わたしに関するいっさいをあますところなく、
あなたの望みのままに神のご栄光のために用いてください。
今から万事につけ、あなたを敬い、あなたに従うことを望みます。
わたしの汚れない御母よ、
いつもわたしを神である、あなたの御子イエスの忠実な弟子としてください。
わたしが生きるのはもうわたしではなく、
わたしのうちにキリストが聖霊とともに生きておられると言えるほどにしてください。
アーメン。

★スカプラリオの恵みを受ける条件(カトリック信者のみ)

1.最初にスカプラリオを受ける時は、スカプラリオを授ける司祭から祝別されねばならない。
2.日夜常にスカプラリオ(または代用のメダイ)を身に付けていなければならない。
 **土曜日の特典のためには次のことを守る。**
3.それぞれの身分(既婚、未婚)に応じて貞潔を守ること。
4.理想的なことは、ロザリオを唱えることであるが、 スカプラリオを授ける司祭がその代わりの祈りを決めることができる。

カルメル山の聖母の”茶色のスカプラリオ”は洗礼を受けたカトリック信者のみが着用することができます。