NHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」。草笛光子演ずる比企尼(ひきのあま)は、頼朝の乳母(めのと)として京都で頼朝を育てた女性。頼朝が罪人として伊豆に流された後も仕送りを行った人物。
向かいの佐藤二朗演じる比企能員(よしかず)は、比企尼の養子で頼朝の死後十三人合議制の一人となるも北条時政と対立し比企の乱で暗殺されてしまう。比企の乱後、比企能員の娘「若狭局」が逃げてきて暮らしたのが「比丘尼山(びくにやま)」と言われている。
比丘尼山は現在の武蔵丘陵森林公園中央口のすぐ近く。ここに若狭局は寿昌寺をつくり、夫の源頼家を弔ったと言われている。
冒頭の比企尼と比企能員が会っているシーンも、実際の場所はこの比丘尼山付近の草庵と思われる。
↓寿昌寺は現存せず、頼家の位牌は近くの宗悟寺にある。
↓また、若狭局が夫を失った悲しみを忘れるために、形見であった鎌倉彫の櫛を投げ入れたと伝承される「櫛引沼」。ゴルフ場の隅にあった。
↓沼のすぐ下に頼家桜の木が並ぶ。伊豆修繕時の篤志家から送られたものを植樹したとある。
↓武蔵丘陵森林公園の中にある古鎌倉街道。関東武士が鎌倉に馳せ参じる際に利用したという。
↓中川大志演じる畠山重忠の館跡は嵐山町にある。
目下、多くの若い女性が訪れている。
館跡付近には堀の跡。畠山重忠の死後に掘られたものらしい。二俣川(神奈川県)で北条氏により非業の死を遂げた際も、この地から出発したと思われる。47歳だった。
↓また嵐山町には木曽義仲が産湯をつかったとされる鎌形八幡神社。
先日のドラマでも頼朝が木曽義仲に援軍を頼めと指示していた。このように多くのゆかりの地があるけれど、当地にとってはハッピーエンドに至らないのが残念。
比企の乱についても諸説ある。