五代友厚 才覚示す貴重な史料が
若き五代さま、商才示す新史料 長崎で幕末の証文を発見
(朝日新聞) 15:29
http://news.goo.ne.jp/topstories/trend/984/8ab3e5910ccda9d757c794a70a2a4266.html
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍、脚光を浴びた実業家、五代友厚(ともあつ、1836〜85)が幕末、長崎の豪商に7500両を貸したことを示す証文が見つかった。当時20代半ば。のちに大阪商工業の近代化に努めて「大阪の恩人」といわれた五代が、若いころから大金を動かす才覚があったことがわかる貴重な史料だという。
証文は長崎の豪商として知られた小曽根家の12代当主六左衛門らあてで、17代当主吉郎(きちろう)さん(68)の長崎市の自宅にあった。タテ19・5センチ、ヨコ89・5センチ。中袋に入れられ、宛先を書いた包み紙にくるまれていたという。薩摩藩や明治維新の歴史に詳しい歴史作家、桐野作人(さくじん)さん(61)=東京都在住=が昨年暮れに訪ね、確認した。
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http://news.goo.ne.jp/article/asahi/trend/ASJ1W77NPJ1WUTIL04J.html
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍、脚光を浴びた実業家、五代友厚(ともあつ、1836〜85)が幕末、長崎の豪商に7500両を貸したことを示す証文が見つかった。当時20代半ば。のちに大阪商工業の近代化に努めて「大阪の恩人」といわれた五代が、若いころから大金を動かす才覚があったことがわかる貴重な史料だという。
証文は長崎の豪商として知られた小曽根家の12代当主六左衛門らあてで、17代当主吉郎(きちろう)さん(68)の長崎市の自宅にあった。タテ19・5センチ、ヨコ89・5センチ。中袋に入れられ、宛先を書いた包み紙にくるまれていたという。薩摩藩や明治維新の歴史に詳しい歴史作家、桐野作人(さくじん)さん(61)=東京都在住=が昨年暮れに訪ね、確認した。
冒頭に「金子御取替申候一札之事」(金をご融資することの一札)とあり、7500両を利息7%で貸すという内容。「拙者自金之筋」(自分の金)を世話すると書かれ、翌年から年に1500両ずつ返済するよう求めている。長崎の本博多町の家屋と土蔵に残る品や平戸町の土地を担保にし、返済が滞ればそれらを引き揚げる、としている。
末尾には、文久元(1861)年12月という日付とともに、「薩州」「五代才助」(友厚を名乗る前の名前)という署名があった。
小曽根家は越前藩の御用商人を務めるなど長崎有数の豪商で、その後に、坂本龍馬がつくった貿易結社「亀山社中」(のちの海援隊)を支援したことでも知られる。
利息7%は当時の相場の半分程度であることから、融資は援助の意味合いが強く、五代と小曽根家の間に親密な関係があったと桐野さんはみる。ただ、本当に7500両もの大金を薩摩藩の下級武士だった五代自らが出せたかは疑問だという。
そのうえで資金の出所について、(1)長崎に駐在していた五代が薩摩藩から預かった蒸気船の購入資金の一部を流用した(2)蒸気船の購入を通じて親密な関係にあった英国商人グラバーから支援された資金をあてた――などと推測。「いずれにしても、若いころからこれだけの金を融通する能力があったことを示す貴重な史料。その後、実業家として活躍する五代の理財家としての片鱗(へんりん)を見ることができる」と話している。(編集委員・大久保真紀)
■薩長同盟につながった証拠で「お宝」
「あさが来た」の時代考証を担当する志學館大学の原口泉教授(日本近代史)の話 7500両を1両7万円で換算すると5億2500万円。1両5万円としても3億7500万円という大変な金額だ。五代がこれだけ大きな金を運用していたということだ。証文では自分の金と書いているが、おそらく薩摩藩の金が何らかの形で絡んでいたのだろうし、藩の重臣だった小松帯刀も了解していただろう。当時の小曽根家は埋め立て造成した私有地の半分を長崎奉行所に外国人居留地に組み入れられるなどして困窮していたとみられる。小曽根家は坂本龍馬や勝海舟とも深いつながりがあり、大金を融資した五代との強い絆が1866年の薩長同盟への動きにつながったといえる。この証文はその証拠で、「お宝」だ。
◇
〈五代友厚〉 薩摩藩(鹿児島県)出身の実業家。薩摩藩士時代、長崎の海軍伝習所で航海、砲術、測量などを学ぶ。その後、長崎で薩摩藩の船奉行副役を務め、蒸気船購入に奔走。1865年には薩摩藩の留学生らを率いて欧州諸国を視察した。明治維新後、官僚から実業家に転じ、大阪株式取引所(現・大阪取引所)の設立に尽力するなど、大阪の経済発展に貢献した。大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)の初代会頭。「東の渋沢(栄一)、西の五代」と称された。
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「あさが来た」五代さま効果で来館者10倍 福島・桑折の企画展
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朝ドラの原案者「びっくりぽん」 執筆きっかけは辞典
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五代は幕末から鉱山業を富国策に掲げた
“五代さま”政府より先に探鉱指示 史料見つかる
(神戸新聞) 16:30
「五代ロス」五代友厚のワイルドな人生 薩英戦争で捕虜に 長崎に潜伏、近代化に目覚め渡欧 実業家に
(withnews) 01月28日 07:00
若き五代さま、商才示す新史料 長崎で幕末の証文を発見
(朝日新聞) 15:29
http://news.goo.ne.jp/topstories/trend/984/8ab3e5910ccda9d757c794a70a2a4266.html
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍、脚光を浴びた実業家、五代友厚(ともあつ、1836〜85)が幕末、長崎の豪商に7500両を貸したことを示す証文が見つかった。当時20代半ば。のちに大阪商工業の近代化に努めて「大阪の恩人」といわれた五代が、若いころから大金を動かす才覚があったことがわかる貴重な史料だという。
証文は長崎の豪商として知られた小曽根家の12代当主六左衛門らあてで、17代当主吉郎(きちろう)さん(68)の長崎市の自宅にあった。タテ19・5センチ、ヨコ89・5センチ。中袋に入れられ、宛先を書いた包み紙にくるまれていたという。薩摩藩や明治維新の歴史に詳しい歴史作家、桐野作人(さくじん)さん(61)=東京都在住=が昨年暮れに訪ね、確認した。
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http://news.goo.ne.jp/article/asahi/trend/ASJ1W77NPJ1WUTIL04J.html
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍、脚光を浴びた実業家、五代友厚(ともあつ、1836〜85)が幕末、長崎の豪商に7500両を貸したことを示す証文が見つかった。当時20代半ば。のちに大阪商工業の近代化に努めて「大阪の恩人」といわれた五代が、若いころから大金を動かす才覚があったことがわかる貴重な史料だという。
証文は長崎の豪商として知られた小曽根家の12代当主六左衛門らあてで、17代当主吉郎(きちろう)さん(68)の長崎市の自宅にあった。タテ19・5センチ、ヨコ89・5センチ。中袋に入れられ、宛先を書いた包み紙にくるまれていたという。薩摩藩や明治維新の歴史に詳しい歴史作家、桐野作人(さくじん)さん(61)=東京都在住=が昨年暮れに訪ね、確認した。
冒頭に「金子御取替申候一札之事」(金をご融資することの一札)とあり、7500両を利息7%で貸すという内容。「拙者自金之筋」(自分の金)を世話すると書かれ、翌年から年に1500両ずつ返済するよう求めている。長崎の本博多町の家屋と土蔵に残る品や平戸町の土地を担保にし、返済が滞ればそれらを引き揚げる、としている。
末尾には、文久元(1861)年12月という日付とともに、「薩州」「五代才助」(友厚を名乗る前の名前)という署名があった。
小曽根家は越前藩の御用商人を務めるなど長崎有数の豪商で、その後に、坂本龍馬がつくった貿易結社「亀山社中」(のちの海援隊)を支援したことでも知られる。
利息7%は当時の相場の半分程度であることから、融資は援助の意味合いが強く、五代と小曽根家の間に親密な関係があったと桐野さんはみる。ただ、本当に7500両もの大金を薩摩藩の下級武士だった五代自らが出せたかは疑問だという。
そのうえで資金の出所について、(1)長崎に駐在していた五代が薩摩藩から預かった蒸気船の購入資金の一部を流用した(2)蒸気船の購入を通じて親密な関係にあった英国商人グラバーから支援された資金をあてた――などと推測。「いずれにしても、若いころからこれだけの金を融通する能力があったことを示す貴重な史料。その後、実業家として活躍する五代の理財家としての片鱗(へんりん)を見ることができる」と話している。(編集委員・大久保真紀)
■薩長同盟につながった証拠で「お宝」
「あさが来た」の時代考証を担当する志學館大学の原口泉教授(日本近代史)の話 7500両を1両7万円で換算すると5億2500万円。1両5万円としても3億7500万円という大変な金額だ。五代がこれだけ大きな金を運用していたということだ。証文では自分の金と書いているが、おそらく薩摩藩の金が何らかの形で絡んでいたのだろうし、藩の重臣だった小松帯刀も了解していただろう。当時の小曽根家は埋め立て造成した私有地の半分を長崎奉行所に外国人居留地に組み入れられるなどして困窮していたとみられる。小曽根家は坂本龍馬や勝海舟とも深いつながりがあり、大金を融資した五代との強い絆が1866年の薩長同盟への動きにつながったといえる。この証文はその証拠で、「お宝」だ。
◇
〈五代友厚〉 薩摩藩(鹿児島県)出身の実業家。薩摩藩士時代、長崎の海軍伝習所で航海、砲術、測量などを学ぶ。その後、長崎で薩摩藩の船奉行副役を務め、蒸気船購入に奔走。1865年には薩摩藩の留学生らを率いて欧州諸国を視察した。明治維新後、官僚から実業家に転じ、大阪株式取引所(現・大阪取引所)の設立に尽力するなど、大阪の経済発展に貢献した。大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)の初代会頭。「東の渋沢(栄一)、西の五代」と称された。
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「あさが来た」ディーン・フジオカ、忍者に 迫力の殺陣
五代さま、死す…朝ドラファン、ゆかりの地で惜しむ
「あさが来た」五代さま効果で来館者10倍 福島・桑折の企画展
女傑イメージ、囲碁の打ち筋は「堅実」 朝ドラ主人公モデル・広岡浅子
朝ドラの原案者「びっくりぽん」 執筆きっかけは辞典
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五代は幕末から鉱山業を富国策に掲げた
“五代さま”政府より先に探鉱指示 史料見つかる
(神戸新聞) 16:30
「五代ロス」五代友厚のワイルドな人生 薩英戦争で捕虜に 長崎に潜伏、近代化に目覚め渡欧 実業家に
(withnews) 01月28日 07:00
五代さんの色んな情報、なるほどと感心しながら読ませていただきました。確かに色んなな物を作った方でしたが、借金がかなりあったともいわれています。今は大阪にある銅像には沢山の方がいらしているとききます。そうそう福島にも桑折町にも関連があるといわれていますね!残念ながら見にはいかれてないわたしですが、行ければいきたいんですが…。沢山日本の経済を作った方なんですね!今の私達の生活が出来ているんですね!
昨日のぴったんこカンカンを見ながら思いました。ディーンさんって海外が長いのに、キチンとしてらしてますね。そうそうお酒も得意じゃないんですってね!
なんか意外です。ドラマとはちがう~。
ぱくぱくるんるんさんの所は雪大丈夫だったんですね。家はかなり積もりました、周りの景色は真っ白です!明後日大丈夫か不安…。体調には十分きをつけましょうね。お互いに…
スマホからコメ返ししようと思ったら無理でした~
ぴったんこカンカンにおディーン様出演してたんですね。知りませんでした。お酒も得意じゃないの?私もそうです。
海外が長かったんですね。日本に戻ってきてくれてありがたいですね。
実家の方は雪が積もってました。車が走るところは雪が無くてほっとしました。朝晩はほんとに寒いです。体調管理に気をつけます。