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高畑勲監督

2018-04-14 19:00:27 | 映画・ドラマ・海外ドラマなど


昨夜は別の番組にチャンネルが取られていたので「火垂るの墓」は見られず。
録画しておいたので今日の昼間にやっと拝見できました。
本当に久しぶりです。
悲しい映画だとわかっていたので全部観られるかしら・・・と思っていましたがなんとか観ることができました。

映画本編の放送前は高畑監督の軌跡についての内容でした。
素晴らしい作品を届けてくださり誠に感謝の気持ちでいっぱいです。

監督の実際の戦争体験もお話しなさってましたね。

貴重なお話です。ずっと語り継がれていくことを願います。



画面と字幕が合っていないものは一部編集させていただいちゃいました。すみません。()括弧内は私のつぶやきです。



東映動画に入社



32歳で長編アニメーション




当時の部下には宮崎駿さんも






ハイジ











高畑監督はリアリズムの追及の為、アニメーションで初めての試みを行います。
それは作品の原作の舞台であるスイスまで現地取材に行くことでした。






それから11年後 宮崎駿さんとスタジオジブリ設立。高畑監督は新しいアニメーションの表現を追い求めます。



こちらは宮崎駿さん



高畑監督と鈴木敏夫さん



スタジオジブリでの監督第一作となったのが「火垂るの墓」。
この作品には高畑勲監督の実体験も反映されています。

高畑勲監督は9歳の時に街の大半を消失した岡山大空襲に巻き込まれました。


(九段下にこういう施設があるのですね。知りませんでした。)



(かぐや姫の声優さんと)






体験談





11歳



11歳






火垂るの墓での空襲場面

















2作目「おもひでぽろぽろ」では、自分探しの旅に出た主人公の表情や生活をリアルに描き、女性たちの大きな共感を集めました。
結果、その年の邦画No.1大ヒットとなります。



高畑勲監督と 宮崎駿さんと 石川牧子アナ 
「1994 夢の対談 高畑勲と宮崎駿」 1994年放送



宮崎駿さん
「僕は大体あのー記憶だけでごまかす方なんですよ。記憶にあるものだけで作っているから。」


宮崎駿監督「高畑さんは勉強好きなんです。」


石川牧子アナ



高畑勲監督








宮崎駿監督「全然この人は勉強するの苦じゃないんです。」


高畑勲監督「だけど好きなことしかやらないんです。」



勉強熱心な高畑監督は常に新しい表現に挑み続けました。
「平成狸合戦ぽんぽこ」では狸たちを主人公に自然と人間の対立と共存というテーマをコミカルに描きました。

(ぽんぽこ きっと昭和の人にしかわからないこの服装にこのポーズ マドロスさん)






「ホーホケキョ となりの山田くん」で挑んだのは世界初の水彩画風のフルデジタル長編アニメーション


 (なぜかかぐや姫がいる。(^^))



そして遺作となった「かぐや姫の物語」ではその技術の更なる進化に挑みます。


誰も見たことがないアニメーション技法に世界中が驚嘆。圧倒的な賞賛を受けました。
西村プロデューサーと



アニメーション界を長年引っ張ってきた高畑監督が映画演出で目指したものはなんだったのでしょうか?



















高畑監督が生涯をかけて描こうとしたリアルな命の輝き、その頂点ともいえる「火垂るの墓」

 (高畑勲監督追悼の文字が)


高畑勲監督に心より感謝と哀悼の意を表します。



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