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「立憲君主」について

2015-04-14 08:31:26 | 日記
彼女が即位した際の英国王位はいまだ大きな政治的権力を備えていた。とりわけ首相や閣僚の任免、および外交について大きな影響力を持っていた。イギリスは不文憲法の国であり、王の権限も曖昧なところがあった。公的な地位にあったわけでもないアルバートがヴィクトリアに代わって王権を発揮するようなことができたのもそのためだった。
アルバート存命期に王権は伸長したが、彼の死とともに王権は弱体化し、ヴィクトリア朝末期にはイギリス史上かつてないほど王権は小さくなり、立憲君主制が確立されることになった。しかしヴィクトリア当人は自分が持っている物を手放すことに非常に抵抗を感じる性質であり、立憲君主になる意思などなく、受動的にそうなってしまっただけであった。
女王が意見する権利は法律で認められているが、ヴィクトリアはその枠に留まるつもりはなく、首相や陸軍大臣を無視して退任した首相や軍部などに政治について積極的に諮問した。また政府が気に入らない法案を推し進めると退位すると脅迫し、自らを批判する者に対しては怒り狂って反撃した。政府や議会の決定を阻止することができないとしても、その頑固さによって遅延させた。政界の人事にも大きな影響力を持ち、積極的に介入した。
特に女王に独断で政治を進める傾向があったパーマストン子爵に対して「女王の下僕(公務員)や大臣が女王に何も相談せずに行動を起こすことは許さない」という戒めの手紙を送ったことがあった。またその時のパーマストンの上司ジョン・ラッセル首相に対して「1、外務大臣は何を行おうとしているか女王に明確に述べること、女王が何に裁可を与えたか把握するためである。2、一度女王が裁可を与えた場合にはそれ以降外務大臣は独断で政策を変更・修正してはならない。そのような行為は王冠に対する不誠実であり、行われた場合には大臣罷免の憲法上の権限を行使するであろう」と通達している。
アルバートもまた立憲君主の枠に収められるつもりはなかった。彼の側近クリスティアン・フリードリヒ・フォン・シュトックマー(ドイツ語版)男爵は「首相は一時的な指導者に過ぎず、君主こそが永遠の指導者である」と考えており、国王には首相を罷免する権限があると考えていた。アルバートは王に首相を罷免する権利があるかどうかは分からないが、あったとしても罷免を実行すれば最終的に王権が危うくなると考えていたと言われる。
ヴィクトリアは君主としての能力が乏しかったが、アルバートにはその能力があった。アルバートは薨去直前の段階ですでに政府にとっても議会にとってもなくてはならない存在となっていた。エルメス 財布 エルメスベアン その彼がもっと長く生存していたならば、イギリスは立憲君主制とはならなかったのではないかという指摘もある。ディズレーリは「アルバート殿下の薨去によって我々は我々の君主を埋めたのである。このドイツ人君主は歴代イギリス王が誰も持たなかった知力と精力でもって21年間我が国を統治した。彼が我ら老練な政治家たちより長生きしたとすれば、彼は我々に絶対君主制をプレゼントしてくれただろう」と語っている。
アルバートの死後、ヴィクトリアの王権は低下する一方であった。それはなんといっても大臣たちの優秀さの賜物であった。彼らは「政治の素人」の彼女が政治に口を出そうとするのを適切に拒否したのである。晩年の彼女は電報を送る権利さえ奪われそうになった。

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