えんじゃけん

人の命の軽量化

先日、奈良で小学校一年生の少女が連れ去られ殺害された。
今ニュースでもよく取り上げられている事件である。
猟奇的殺人とも言われるこの事件。

犯罪心理学者はこの犯人は少女がもがき苦しむのを楽しんで
やったものだろうと言っていた。
ナイフで切られて、泣きわめく少女を見て楽しみ、
それに飽きたら歯を抜き、痛がる様子を楽しみ、
それが終わったら溺れ苦しんでいる様子を楽しみながら水死させる。
そして動かなくなり不要になったその遺体を溝に押し込め捨てる。

このような事件は私はこの先増えて行くのだろうと思う、残念だけど。
物質的に恵まれて育ってきた世代は、生きることについての大変さを
知らないから、命の尊さを知らない。
・・・・・・と、いう私もその世代だけど(^^;)。

話は変わるけど、イラクの人質で殺された人いましたよね。
向こうの国の殺した人たちは命の尊さを知っているから、
殺したんだろうと思います。
人一人の命は国一つの重さくらいに考えているからこそ、
そのような行動に出たように思います。
それくらい人一人の命を重く感じているんだと思う。

けど、これからの日本ではこの手は通用しなくなるように思います。
命の尊さを感じない人が増えているのだから。
「現地に出たその人の自己責任だろう。」
「そんなの自分に関係ないし。」
「遠くの国での話で、ここは日本だし。」

ある意味、イラクの人質事件はまだ日本人を人として見てくれているから
起きる事件なのかなぁと思います。
最初の人質が殺されなかったのは、向こうだって殺すまでは
したくなかったのではないか?と思います。
だから脅すだけで解放した。
けど、日本はその人質を責めるばかりで、国としての姿勢は変えなかった。
それが脅すだけでは駄目だと相手に感じさせ、人質が殺されてしまったのでは
ないだろうか?

そして人質を殺しても通用しないと感じさせる国になってしまった時。
日本も戦場の一つになるのかなぁと思います。
個人の問題ではないんです。
結局は国全体の問題になるんです。

『政府の勧告を無視した3人の命と引き換えに国民の運命を捨て去る
(政府が悪いと判断した選択肢に変更する)ことはできない。』

上のような記事を発見したけど、そんな流暢な事は言ってられないと思います。

私は思うんだけど、少数の命より、全体の命!って
考えも大切かも知れないけど、
その全体のもとって、一人一人の人間だと思うんです。
一人一人を大切にしないで全体を大切にできるのでしょうか?
少数、全体と分けれるものではないと思うのです。

国の考え方も少し改めるべき点はあるのではないかと思います。
目先の安全、利益に目をやるだけでなく・・・。
多少のリスク(貧しさ)を伴うとも今やらなければ、
目先の安全、利益は今はよくてもいつか避けられない大きな問題
(国民の運命の関わる問題)へと発展しそうに思います。
そしてそういった国の姿勢が、今回の奈良のような殺人犯を
生み出しているようにも思えるのです。
他の人の事や先の事を考えず、今現在の自分の快楽だけを追い求める人間。

まぁ、よく分かってないからこうやって好き勝手言えるんだろうけどね(-_-)。
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