古事記で前にも少し書いたけど、大和郡山に「賣太神社」と言うのがあります。
古事記編纂にあたって、記憶をしていた、人間ハードディスクの「稗田阿礼」の神社です。
確か、神様は「須佐之男命」だったと思いますが、見渡しても書いていません。
場所は「稗田町」で、付近は「稗田環濠」として有名、というか、知っている人しか知りませんが・・・
この神社のまわりの集落はぐるりと溝のような堀で囲まれているのです。
この神社は少しだけ土塀がありますが、周りがほとんど生け垣ですので、普通の田舎の神社と言った佇まいです。
今まで「稗田阿礼」、と言う事は知っていて、確か秋には「阿礼祭」が模様されるらしいのですが、見た事はありません。
とにかく近所の子供を集めてやるらしい・・・
で、とにかく、ホテルの部屋に常備してある「古事記」をちらっと見て、少しレポートしてみようとおもったのです。
でも、思いつきで行動しているので、初詣、それも正月二日と言った、少し横着な初詣次いでに写真を撮った程度です。
後日わかった事を少しづつレポートしますが・・・
興味のある人しか見ないでしょうが・・
ま、とにかくそんな神社ですので、アピールと言う事は全然していません。
本当に「古事記」ゆかりの史跡なのか?と、思いますが。
でも少しだけ史跡説明看板がありました。
正月二日ですと、もう、殆どの人は初詣を済ましたらしく、人影もまばら。
いかにも近所の人しか参詣しない・・・
静かに佇む本殿です。
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