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私がなぜこれ程に「ホーリーランド」に傾倒してしまうかと言うことについて、考えてみました。アクションがかっこいい、それだけでなく、それは、玉木宏目当てで見た「変身」と言う東野圭吾原作の映画に共通した点が感じられました。全く違う作品ではありますが。
変身もの、二重人格ものに随分以前から魅力を感じていました。自身の内向的な性格ゆえに何か言われても言い返せなかったり、反論できなかったり。その性格の上に、小学校高学年に親の仕事の都合で転校を繰り返し、正直、学校での居場所はありませんでした。自分から声を掛けて友達を作るなんて、とんでもない無理なことでした。妄想はもっと小さい頃からの癖でした。自分が強くかっこいい皆がうらやむ様な人間に変身するんです。いつも嫌がらせを受けている男の子をやっつける強い人間に。
映画「変身」は純愛色が強いですが、原作は、もっと深くそしてサスペンスです。成瀬純一は、脳を一部移植された事によって、その脳の持ち主の性格に変身して行くのですが、原作では、穏やかな性格の成瀬純一の元々内にあった押し殺された、抑圧された思い、性格、鬱憤が、京極の性格との相乗効果で強まり、狂暴、極悪な人格が形成されたのです。消し去りたいいじめられた過去、自分が抵抗できず失ってしまった大切な女性。映画ではその辺はいっさい描かれていません。
穏やかで、自分に自信なさげな成瀬純一が、傲慢で、狂暴な男に変身して行く。ずっと文章が僕が・・だったのがいつの間にか俺が・・に変わっている。でも、その強引な自信たっぷりの姿に、私はひどく魅力を感じてしまう。
「ホーリーランド」の神代ユウは、学校でひどいいじめを受け、2年間引きこもり家庭でも蔑まれた様な視線を感じてどちらにも居場所がなく感じ、夜の街へ出て徘徊する。そこで絡んできた不良(ヤンキー)に対して反撃し、撃退してしまう。それが度重なりヤンキー狩りと呼ばれるようになってしまう。
あまりに長くなってしまったので、中断。