なんとかしなきゃ!崖っぷち家計!

崖っぷち家計の4人家族。頑張って再生します!

過去の話。

2020-01-15 09:07:00 | 日記
おはようございます


今日も今から出勤。
働かざる者食うべからずの我が家なので
仕事嫌でも頑張るしかないー。


まだまだこのブログにも慣れませんが
よろしくお願いします



さて、私が初めてお金を借りたのは
大学生の頃。



そう、奨学金ですね。



元々貧乏な家庭だったのに
私のワガママで大学に通いたいと言ったので
もちろん親からの援助は無し。


学費は奨学金で賄いました。
入学金だけは
お祝い代わりに祖父が出してくれて
すごく助かったのを覚えています。


私立の大学。
文系とはいえ
四年制大学なので400万くらいの学費が必要と言われてますよね。


なので、私は毎月10万の融資を受けていました。
学費以外に教科書やパソコンを買うお金もここから出しました。


もちろんアルバイトもしていましたが
実家暮らしということもあり
アルバイト=お小遣いのような感覚でした。


その後、無事に大学を卒業し
小売業の会社に就職することになります。


慣れない仕事に疲労は蓄積し
ストレスで耳が聞こえにくくなったり(今は改善しています)
精神的に追いこまれた頃もありましたが
何がなんでも辞めるわけにはいかないのです。


そう、奨学金の返還が始まっていました。
有利子、日本学生支援機構に借りた奨学金は約400万円。


毎月2万弱を数十年かけて返していく計算です。(繰上げ返済しなければ、です)


その上、しばらくして父が脳出血で倒れ、意識不明状態に。
莫大な医療費と実家の家賃や生活費なども足りない状況になり、
私と母と当時高校生だった妹は
極貧生活を余儀なくされました。


もちろん、父の医療費は限度額認定をしていましたが
それでも、毎月8万ほどかかるし
貧乏ゆえ医療保険なんてものは解約してしまっていたので
私の給料と母のパート代だけが頼りでした。


父も会社員でしたので
傷病手当金が出るのでは?と思われる方もいるでしょう。


私ももちろんそれを調べて
父の会社に問い合わせました。


すると
健康保険組合に聞いてくださいと言われ
会社の健康保険組合に電話すると
「書類を送ります」という連絡以降、
全く連絡が取れなくなりました。


父は、大手のメーカーに20年以上勤めていましたが
その後、リストラに遭い、
トラックの運転手をしていたのです。
それが、なかなかブラックな会社で
超過勤務は当たり前。
残業代は未払い。
休みは月に3日あればいい方。



きっと、
父が倒れなくても
そのままの体制が続けば
他の社員が倒れていたでしょう‥


会社とも健康保険組合とも連絡が取れなくなり
途方に暮れた私たちは
社会保険労務士をしている叔父に泣きつきます。



では、仕事に行ってきまーす。
また続き書きにきますねー





2 コメント

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Unknown (harutarooo)
2020-01-15 09:37:06
おはようございます!
お仕事行ってらっしゃいです。。

なかなかハードな
人生ですね(´・ω・`)

お金は大事ですね。。
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Unknown (coconutsmilk)
2020-01-15 17:05:00
コメントありがとうございます(*´꒳`*)

今も色々とありますが、この時がどん底かな?と今となっては思います(笑)
私よりも、母の方が大変だったと思いますが、本当にお金は大事です。。
あと、健康も大事ですね。
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