高架線と言うよりガード下だけどね。
日暮里駅から新三河島駅の間にはそんなガード下に
飲み屋、接骨院、雑貨屋、倉庫などがひしめいたが
何しろ戦前の建築物なので耐久性の問題で立ち退きが始まってから久しい。
お店の他に民家もかなりこのガード下にあったなあ。
小学生の時、ガード下の民家の友達の家に遊びに行ったことがあるけど
電車が通過するときの騒音と振動で辟易した思い出がある。
中学の時の友達の家は上が常磐線のガード隣が貨物線‥!
住めば都とよく人は言うが‥。
新三河島駅方向へ望む。
このガード下に商店や民家が‥。
今はハーモニカ状態。しかし、まだ数件が粘っている。
確かここは倉庫だったと思う。
羽目板が外されてコンクリートがむき出しに。
そこに「南米食堂」の文字が‥。しかも右から書かれている。
矢張り、戦前の建築物なのだと再認識。
大衆食堂「竹屋」営業はしていなかったが物干し台には洗濯物が干されていた。
昔、ここの脇にエロ本の自動販売機があり、中学の時の僕はたまに利用させてもらいました。
今、日暮里界隈は再開発とやらで高層ビルが建ったり画一化された街に変わりつつあるが
僕はうらぶれた小便臭い鉛色の町の昔の日暮里界隈が好きです。
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