ここにはアタシが専門学校を卒業時に封建的に凝り固まった担任の婆ァに個人的な希望は完全無視され強制的にインターン先として充てがわれ働かされた美容室が未だにある。
その店の名は‥巴里院(パリイン)だぜ。(笑)
1980年代半ばでもこのセンスはヒデぇと思ったよ。
当時はバブル景気が始まった頃でこんな美容室でもアタシ以外に女の子2人が一緒にインターンに入ったが巴里院のセンスに付いて行けずにすぐに辞めていき、アタシも辞めたくて仕方なかったが「最後の1人」だったためになかなか辞めづらく結局2年近くいたんだよな。
妙齢の女性に昔の麻丘めぐみみたいなカットを無理矢理して泣かせたり、当時流行ってた近藤真彦の髪型にして欲しいと言う若者にそういう髪型は原宿の美容室でやれば良いと言い放ったり、 巴里院のセンスの古さとヒドさは枚挙に暇が無かったが、アタシが一番屈辱的に感じたのはそんなセンスの無いパーマ屋のイカず後家のオバちゃんを「先生」と呼ばなければならなかった事だった。
「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし。」
これはアタシの座右の銘の1つでもある。
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