見送って
慌ただしくしていました。
あまり派手な式は好きでない人だったので
こぢんまりと。
沢山手術をし大変だったと思います。
都合のよい病院に転院したりしましたが
まあいろいろ曰く付きの病院で。。
いずれにせよ、治る見込みはなく、
できるだけ見舞いに通い。
母は毎日毎日見舞いに通いました。
わたしも仕事合間に通いました。
やれるだけのことはやりました。
あーすればよかったこーすればよかったはありますが。
あまり食べれなくなってからも
さいごのほうで寿司ネタとプリン一個たべれました。
最後までポジティブでした(笑)
最近は末期がんでもオピオイド系の
頭ははっきりしながら痛みだけ止める薬があり。
痛みは感じないようでした。
腹水は4リットルとかすごい量でしたが。
腹水をぬかないと圧迫され、ご飯が入らないのです。
苦しい戦いから解放され、
黄泉の帝王トート閣下のもとに旅立ちました。
(わかる人はわかるネタ…)
エリザベートという大ヒットミュージカル。
宝塚で日本初演。一路さんがトートでしたかな?
わざと不協和音をぶつける不気味な曲
作曲のリーヴァイさんは、ブラボーブラボーと
拍手しました。
宝塚では異色の作品でしたが
皆中毒になるようなハマり方の作品になりました。
それを父が伴奏できて
嬉しかったです。
団伊玖磨のオペラ夕鶴も団伊玖磨の指揮でやりましたし
日本のオーケストラの草分け
近衛秀麿指揮でもやりましたし。
本当に父は私の誇りです。