2013年9月のヘラルド経済のMR.MRテイくんの記事を訳してみました。(翻訳機+意訳)
続きです。
★元記事は
こちら
[ホットデビュー日記] MR.MR テイ ②
"小さいこと一つに感謝するまで"
ミスターミスターの[ホットデビュー日記] その四回目の主人公はテイである。
子どもの頃は明るくて陽気で、歌うことがとても好きな子だった。
教会の聖歌隊を初めに、音楽の魅力にはまり「歌手」になるという夢を抱いた。
一人の力で芸術高校に進学した後 目標に向かってさらに力強く走った。
▶高1、時間が惜しいという考え
望んでいた学校に入学したから一生懸命頑張りました。先生からも褒められました。奨学金も受けました。
校内でCCMを歌うようになりましたが、それも実力の成長にとても役立つことが多かったです。
望んでいた学校に来たという事実に満たされていたということが大きかったのか、1年生の時は友だちと一緒に遊ぶことも
たくさんしました。でも、ふと友だちと遊び場で話をしている時に「時間がもったいない」という気がしたんです。
高1の後半には、大切な時間になぜ僕はゲームをしているんだろう?と自分に問うようになったんです。
だからまた一つの目標を立てました。行きたい大学、それを達成するためにまた最善を尽くしました。
高2のときは友達たちとも会わなかったです。ひたすら大学だけを目指して考えてました。1年中鬼のように練習をしました。
兄が歌の先生をしている塾にこっそり入って練習室で歌を歌いました。 歌の塾をでて、ちょっと不足したと思えば
家の近所の教会の牧師様に了解を得て、また練習をしました。 それを1年間繰り返したので実力もどんどん増えていきましたよ。
音域がかなり高くなり、整えられました。 高3の時は、変わっている、やわらかくなっているということを
さらに明確に分かりましたよ。 本来はとても厚い声でした。 訓練を経て作られていったのです。
▶練習の虫、機会が訪れてくる
高2の時でした。こっそり練習室で練習をしていると、院長が塾を訪ねてこられたんです。僕を院長室に呼ばれて行ってる間、
「どのくらい怒られるんだろう」と心配が山のようでした。でも院長が歌ってみろと言われたんです。なので、
イ・ジョク先輩の「하늘을 달리다(空を駆ける)」と、フィソン先輩の歌を歌いました。そしたら、院長が
「明日会社に出てこい」と話しをされて。そのあとから、本格的な歌手としての道を歩くことになったようです。
院長が新しいエンターテイメントを作ろうとされていて練習生をさがしておられたんです。運良く僕を気に入って下さって、
一週間で契約をしました。
▶ミスターミスターの名前を取得するまで
それから4年間の練習生時代を経ました。初めはソロとしての話が出ていたんですが、グループに流れました。
チャンジェ兄さんが入ってきて続々と一人ずつ練習生として入ってきました。
信頼が強かったです。子どもの頃からそうでしたが「できる」という自信も大きかったし、また、それだけ運がついてきました。
でも、大学に進学して1年生頃、自ら怠けていったんです。 休学を決めて、4年間練習生しているという現実が
もどかしかったんですよ。 家に少しでも助けになりたいと考えて、アルバイトを始めました。 それを会社には知らせないで、
練習室も行かなかったんです。
「いつデビューするのか」という周囲の軽い言葉がみなストレスでした。両親はやはり期待が大きかったですが、
4年間何の成果もないので気に障られたでしょう。 そして交通費や、食事代を大きくなってまで両親にもらうのが
申し訳ありませんでした。いつまでもデビューを待つだけではだめだという考えに3ヶ月の間会社と連絡を切って
仕事を始めました。友だち同士でインディーズバンドを組んで、ホンデで歌を歌ったりしたし、アルバイトも一生懸命しました。
練習生時代に経験してないお金を稼ぐということもできました。初月給でお母さんに財布をプレゼントしました。
胸がいっぱいで、喜んでくれる姿をみたら、とても幸せだったんですよ。
そうして3ヶ月が流れていってたのですが、チャンジェ兄さんとジン兄さんが家を訪ねてきたんです。
一緒に頑張ろうと説得してくれて、お互いの力を合わせましたよ。もう一度してみようと意気投合した瞬間でした。
僕もやはりメンバーがありがたかったです。そうして僕はまた練習生に戻りました。
男兄弟なので、僕が娘の役割をしていました。今も母とショッピングに一緒に行き、マッサージ、キスもします。
愛しているという表現もたくさんしますし。家族との絆が厚いですが、その中でも祖母が私を最も大切にしてくれていました。
歳をとるにつれて、動くことも不便になってきていたから、僕は毎晩そんな祖母を助けてトイレに一緒に行きました。
子供心に面倒くさいときもありましたが、今考えてみたら本当に申し訳ないです。誰より僕のデビューを待ってましたが、
それを見ることなく亡くなりました。 デビュー2週間前ぐらいに...考えただけでも涙があふれます。
デビューの日が決まって、忙しくなり家によく帰ることもできなくて、電話だけで祖母に「もうすぐテレビにでるから
待っててほしい」と言ったのですが見てもらえませんでした。葬儀にはメンバーたちと一緒に行きました。
祖母を失ったという悲しみに ある日は地下鉄の中でずっと泣いていました。何もしてあげられなかったことだけが
思い出されて、時には宿舎で祖母の料理が食べたくなる時が多いです。思い出一つ一つがすべて思い出されます。
祖母が僕を愛してくださったおかげで、僕も他の人々に愛を与えることができる人になったと思います。
感謝するという言葉、ぜひ伝えたいと思います。
ついに、MR.MRのテイになりました。舞台の上に上がるということ自体に感謝してます。
これからが始まりです。もっと熱心に、最善を尽くすことだけが残ったと思ってます。
期待したほどではなく、失望する時もありますが、「また他の道をもう一度行け」という注意を受け入れて、
心がけを楽に受け入れることができました。 もうすぐミュージカル舞台にも立ちます。
夢に向かって一歩一歩、進む姿に 僕を信じてくれるすべての方々に報いるでしょう。