インテリア・家具 横浜元町[ダニエル] 家具店主 咲寿義輝のブログ

家具・インテリアショップ 日本の洋家具発祥の地:横浜元町から インテリアに興味のある方への情報ブログ

ダニエル家具の魅力を紹介 no.1 インテリアショップ体験記より

2021-10-15 | つぶやき

確かな技術を継承し続ける横浜クラシック家具「ダニエル」

西洋文化息づく横浜で、クラシック家具の伝統を継承し続けているダニエル

今なお西洋文化が息づく街横浜に店を構える「ダニエル」元町本店訪問記

「ダニエル」は1941年の創業以来、職人技が生み出すクラシック家具の製作販売をはじめ、イギリス老舗家具メーカー「アーコール」の総代理店を務めるなど、横浜クラシック家具の文化を牽引している老舗家具ブランドです。
また家具の製作販売のほかに修理や人材育成など幅広く事業を展開し、次世代に向けた技術の継承にも力を注いでいます。
今回はそんな横浜クラシック家具の文化を牽引し継承し続ける「ダニエル」について代表の咲寿さんにお話を伺いました。

横浜クラシック家具を守り続ける「ダニエル」とは

ーー「ダニエル」とはどのようなブランドですか?

家具メーカーとして、ショップ、ショールームの他にモノづくりをする会社です。神奈川県下(横浜市・伊勢原市)に工場があり、椅子張り、ソファや椅子のフレームから箱もの家具、塗装まで一貫している製造部門と、「家具の病院」という修理をする部門、その他に人材育成と学びの場として、「家具の学校」も行っています。

職人の誇りと責任が詰まった刻印がダニエルの真髄を感じる

ーー「ダニエル」というブランドが生まれた経緯を教えてください。

明治維新の開国後、もともと横浜に移り住んできた外国人の洋家具を見様見真似で作ったり、修復していくことで、私たち日本人は洋家具を学んで制作できるようになっていったのですが、関東大震災や戦災の影響で、洋家具というものが一時衰退してしまいました。
そこで私の祖父の代が、技術を持つ職人を集めて「協業組合ヨコハマクラシック家具」という組合組織を作ったのが始まりです。

ダニエルの発祥には横浜での洋家具衰退の歴史が大きく関わっているとダニエル代表の咲寿さんは語る

ーーなるほど、最初に協業組合を作ったのですね。

明治維新後に、英国からお雇い外国人として来たジョサイア・コンドル氏と縁戚関係にあった祖父や父が、洋家具文化と横浜の家具文化を残そうという事で「協業組合ヨコハマクラシック家具」を作りました。丁稚奉公を募って若い人を育てていく環境を作りながら、今度は彼らが作ったものをブランドとして世の中に発表していこうということで「ダニエル」というブランドが生まれたのです。

ーー元々は色々な家具屋があって、それらの若手を集めてブランディングされたのが今の「ダニエル」ということですね。

「家具の病院」が提唱する直すという考え方

ーーモノづくりと修理というのは、そのやり方も違えば考え方も違うと思うのですが、なぜ家具の病院を始められたのですか?

横浜における家具製作は、外国から日本に持ち込まれた家具を修理することから始まっていますので、ダニエルではもともとアフターケアをしながら永く使ってもらうことを前提に洋家具を製作しています。

「家具の病院」というセクションとしては1998年に立ち上げましたが、家具の修理自体は創業以来というか、その前から横浜の文化として当たり前にありました。

そのためモノづくりをする時、壊れても直せるように、無垢であることや木組みにもこだわり、修理をすれば新品同様に戻せて、次の世代へ受け継ぐことができるように、ということは念頭に置いています。家具を作れる職人だからこそできる修理というものがあると思っています。

ーー修理する方法にも違いがあるということですね。一般的に家具の修理は壊れた箇所を金物等で補強などすることなのかと思っているのですが、そのような修理との違いは何でしょうか?

そうですね。それは確かに修理は修理ですが100%ではないと思っています。
例えばグラつきを止める方法は幾つかあっても、ちゃんと木組みを理解していない人は一旦分解したあと組み直すことはできないですよね。でも分解せずには本来の修理とは言えないと私たちは考えています。家具作りのイロハを理解した上でできる修理が大切だと考えています。

資格を持った技術者が修理を行うということが信頼へも繋がっている

ーー作り手としてプロの方が修理をしているので、壊れる前の状態より良くして直すことが可能になっているのですね。

国家資格で一級技能士というものが各部門であるのですが、私たちダニエルでは基本的にその技能士が修理も行うようにしています。しっかりと資格を持っている職人が見る、修繕するということが基本だと思っています。家具を作るメーカーだからこその考え方かもしれないですが、より永く使っていただくためにとても大事にしていることです。

歴史と共に培われた確かな技術力

ーー自社で製作した家具を修理することは今までのお話でわかりましたが、他社の製品を修理することを始めたきっかけはありますか?

高度経済成長期で日本は大量生産・大量消費の時代を過ごしてきました。ところがその時代が終わりを告げようとしたときに、愛着あるモノ、継承していきたいものを直して使いたいと思ったときに、それを可能にしてくれるところが無かったのです。

私たちは1998年に「家具の病院」という修理部門を立ち上げましたが、実はそれ以前から他社メーカーの家具修理も行なっていました。ただ、より多くの方にわかりやすくする為に、「家具の病院」と称したことが今につながっています。

職人が長年培ってきた技術がどんな家具でも修理するという家具の病院を支えている

また、昔の職人は生涯現役という方が多くいましたが、現代は60歳ないし65歳で定年退職を迎えます。その時期を迎えた職人の中には「自分たちの親方や先輩は80歳まで現役だったのに、自分は定年後のあと20年、何をしたらいいのか?」と不安を抱える方も多くいたのです。そこで、私たちの事業にお力添えいただけないかとその方々にご協力を呼びかけたところ、その声に応じてくださったのは、丁稚奉公から修業を積み、様々な家具に触れてきた経験豊富な職人たちでした。その職人たちとともに「家具の病院」が生まれたのです。

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