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15:00スタートだが到着は16時過ぎ、16:30の渚よう子から。職安前広場にはたくさんの人。なんかもう、ここのコンサートにしかない空気がガッチリとある。このブルージーな昭和歌謡歌手、バックの演奏者(女横町痺れ腰)もバックダンサー(デリシャススイートス)もいちいち濃い存在感が立ち込めていて、目が離せない。
Summertimeのコブシ回しとか、観客が熱狂、やはり昭和歌謡は生を体験するとクセになる。タンカを切るセリフなんかもメチャクチャカッコイイ!クセはあっても過剰な自己主張ではない、強烈な“表現者”としての泥臭い存在感がたまらない。ゲストの山崎春美とか狂気が生々し過ぎてヤバい。まあフジロックとかサマソニとか高いし遠いしでなかなか行かなくなったが、そういうフェスと寿町とではまた異なる空気がある。簡単に言ってしまえば“人間臭い”と言うことだが、そんな一言では表し切れない奥の深さがある。何しろステージ合間の司会進行の人の注意にすら寿町夏祭りとしてのメッセージ性を感じられるくらい。
渋さ知ラズはセッティングで15分くらい押した。渚さんのステージでも一瞬共演したが、なんだあの人数!ともうそんなところだけでも祭り感全開で素晴らしい。
渋さ知ラズはもともとオーケストラを名乗っていたくらいだから様々な楽器とプレイヤーがステージ上をひしめいて、それだけでもカオス感がすごい。ジャズもブルースもごっちゃになって、ダンサーもまたベクトルの異なる踊り手が自由に踊る。しかし、やはり盛り上がるのはホーンセクションのパート。リズムはパーカッションが先導するが、観客をグルーヴに巻き込むのはやはりトランペットやトロンボーン。そこで大人のおとぎ話の世界が繰り広げられる。
こういう昭和っぽい空気感が良いのは、神経質ではない、と言うところかなあ。デジタル社会に入って、情緒的な判断が排除される世界。誰か特定の人と言うより社会全体が冷たくつまらない平成。最近は入れ墨と言うだけでヤクザあるいはろくでもない人と言うレッテルが貼られたり、社会の許容範囲がどんどん狭くなっているが、去年亡くなった2人の銀幕のスター、ヤクザ役で一世を風靡した高倉健と菅原文太を応援していた日本人はどこへ行った?と言う感じである。そういう訳の分からない偏見がPCによって減るどころか増えてしまった21世紀の世の中で、このどや街の真ん中で一晩てはあるが老いも若きも男も女も熱狂の時間を共有できる奇跡を信じずにいられるか。
次の李政美は一転してアコースティック、森山良子的な存在感はあったが(在日韓国人であることを自然に表現するのは、ここ寿町にも在日日雇い労働者の皆さんがたくさんおられるからだろう)、寿町フリーコンサートに求める音ではないな、と言うのと、やはり頭痛がしんどくなってきた、と言うのがあり、帰ることに。結局雨に見舞われることはなく、今夜も暑いのだった。