DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

逃走論(イスラエルとパレスチナ3)

変わって、「世界のサブカルチャー 日本の60s-90s」から、浅田彰の逃走論と、新世紀エヴァンゲリオンの対比。80年代はまだ余裕があり、逃げられるならどんどん逃げろ、と浅田は書いたが(おそらく、ゴダールの「勝手に逃げろSauve qui peut」も似たような隠喩に思える)、95年を境に日本の没落が確たるものとなり、逃げる場所はない。だから「逃げちゃダメだ」という名セリフに繋がったと。
今でも、いじめやハラスメントに会ったら、逃げるべきだ、というのが定説。その一方、被害者は今いる場所に執着する。規模は違うが、これもまた、イスラエルとパレスチナの悲劇と相似形に思える。
ウクライナは、逃げるべきなのか?しかし、逃げたら国土は二度と戻ってこない、というウクライナ国民の想い。コロナで千葉から岩手へ逃げてきた私個人は、逃げても良い、と思っているのだが、果たして。
#ということで、ゴダール追悼映画の前売り買わないとw。
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