DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

つれづれと 4/12

 要するに昨日の愚痴の続きですが(笑)。

・忙しくて日記こそほとんど書いてないが、3月は盛岡と東京を2往復し、平日帰宅後や土日も私物PCで仕事していた驚異的な忙しさであった。にもかかわらず、本業の派遣先とは別の仕事だった上に自宅作業は完全に自己裁量制、つまり残業代なんか1円もついていない。それどころかプロジェクトメンバーは皆異なる場所で働いていたので電話代が半端ではなく、むしろ給与的にマイナスとさえなる。他のメンバーはこういうビッグプロジェクトのチャンスはそうそうあるものではなく、やりきった感があるので後悔はないと言うが、やはり自分はこういうプロジェクトX的な“大きな仕事”をするタイプではない(単なるわがまま以上のものであることは後で書く)。盛岡へ2回行けたこと以外は消化不良で疲れただけ。
・逆に、あらためて自分は人間嫌いなんだな、と今の赤坂見附の仕事も含めて思う。自分に他者を思いやる気持ちがない訳ではない。ただ、「相手の気持ちになったらきっとこうして欲しいんじゃないかな?」と言う上司先輩の諭しに対し、ふうんとは思うものの、心の底から府に落ちた、と言う経験はない。僕が相手の立場だったら放っておいて欲しいけどな。事業を起こしている人、プロジェクトを引っ張ってる人の気持ちは自分がやったことがないから分からないし、そもそもそういう生き方に全く共感できない。

・で、そんなビジネスと言うものにとことん嫌悪感しか抱けない自分(他の人に役にたちたい、と言う気持ちがない訳ではない。そうではなく、なんでかわいそうな人のためではなく金を持った人のために頑張る、と言うモチベーションを持てるのか?そこには“お金”と言う理由付けしか思い付かない)。もともと組織人として立派なことを成し遂げた人を尊敬したことはなく、むしろ社会からつま弾きにされて自分独自の世界を作った人や、社会から認められるどころか反対に刑務所に服役していたような人ばかり尊敬してしまう。前者はHenry Dargerに代表されるようなアウトサイダーアーティストであり、後者はAntonio Negriに代表される左翼思想家である。
 一言で要約するなら、「他の人が誰も思い付かない、自分にしかできない」ことをやった人を尊敬する。会社の社長なんておそらく自分がやらなくても必ず他の人がやる、お金の匂いに誰もが抗えないからだ。例えばビルゲイツとか堀江貴文みたいなビジネスセンスだけでのしあがった人間なんて自分にはむしろ侮蔑すべき対象。松下幸之助のような人材を大切にした経営者(せめてこのタイプの経営者が増えてくれれば日本は今よりずっと生きやすくなると思うのだが)も、美談として語るに値するとは思うが、だからといって尊敬の対象とまでは言えない。「周囲の理解を集める」なんて基本的なビジネスのルールが嫌い、むしろ死後何十年も経ってやっと世間が追い付くくらいの突飛なアイディアしかない自分には現世で生きること自体が苦しい。

・前にSNSの日記はマイミクなど他者とのコミュニケーションよりも、1分後、1年後、10年後の自分とのコミュニケーションのため、と書いた。今は更に死後何十年か後の誰かとコミュニケーションしたいから、と言う気持ちが大きくなってきた。ブラタモリでタモリさんが見つけてくる“歴史の痕跡”、ひっそりと今の私たちの暮らしを支えているのは歴史なのであって、最新のインフラなんかではない。スマホなどのモバイル機器は信州大学学長に揶揄されるほどの中毒者ホイホイ(中毒者からお金も時間も容赦なく巻き上げる機械)であり、派遣先の職場が高層ビルだったりすると、大地震が来たら運命共同体としてみんなと一緒に死ぬんだなあ、と言う漠とした絶望感を覚える。新幹線で2時間ちょっとで行けるようになったら、盛岡が自分の故郷、みたいな愛郷心はこれから薄らいで行くのではないか?
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