・コロナ感染拡大により、今年は様々なイベントが中止されたり無観客開催を余儀なくされた。こうしたことで、縮小しつつあるスポーツと音楽・芸術の存在意義を問い直す必要に迫られた。今回はこれらの意義を考えたい。
●スポーツの意義、芸術の意義
○スポーツの意義
・健康増進
・フェアプレー精神の習得
・努力の意味の習得
○芸術の意義
・表現の自由、表現の可能性の追求
・言語以外のコミュニケーション
●やる人、見る人
・いずれも学校教育の基礎があり、多くの人が観戦、鑑賞。やる側の人も多い。つまりスポーツも音楽・芸術も十分に人間社会の重要なインフラとなっている。近年、アールブリュットと呼ばれて障害者アートが注目されているが、まだ大衆レベルまで広がっているとは言い難い。
●政府、自治体の支援
○スポーツ
・スポーツに関しては文部科学省配下にスポーツ庁があり、公的な支援も高い。障害者教育においてもスポーツの意義は大きい。一方で、プロでやっていける競技、オリンピックでメダルが期待できる競技への支援に偏りがあり、そこから外れる競技種目は選手が自腹でトレーニングしている。
○音楽・芸術
・教育レベルでの公的支援はある。しかし音楽・芸術は「高尚文化」と「サブカルチャー」との間にギャップがあり、両者は支援に大きな隔たりがある。(後者はむしろ現行政府と距離を取る立場から、積極的に公的支援を拒否する面もある)
●メディア
・スポーツには新聞と言うメディアがあるが、音楽芸術は専門誌メディアがあるだけで、一般ニュースに取り上げられるのはごく一部(スポーツ紙の芸能欄は音楽芸術を扱っているとは言い難い)。
・その一方、スポーツは勝負のリアルタイム性が重視され、既製のテレビ・ラジオなどのメディアには馴染んでいたが、YouTubeなどのある程度の記録的、バックアップ的側面を持ったメディアでは、音楽・芸術の発信、受信の方が幅広く利用されている。スポーツはネットメディアを「名場面集」的にしか用いていない。(その代わり、地上波テレビでの音楽番組は以前より減少している)
●筆写結論
・スポーツは「チームを応援」と言う側面があり、大勢で楽しむ、応援する、と言う集団性があり、そのため教育上も公的支援も愛好者も音楽・芸術より一回り多いと思われる。その一方で、大衆性の強さを政治やビジネスに利用されてしまう場面が今日では目立つ。
・音楽・芸術はスポーツに比べて市場も小さく(といいながら、今回の自粛で収入減少を余儀なくされた関係者は裾野が広く大きな影響を被った)、「個人ごとの」楽しみ、の側面が強いが、その分政治やビジネスから一歩引いた活動が可能。(今回のコロナ禍でようやく「物申す」芸能人が現れるようになった)
・いずれにせよ、「人々が協力し合って社会を運営していくこと」のベースにはスポーツが、「社会がフェアでないときの訴える手段、不幸な時の精神的癒し」として音楽・芸術が人間社会には必要。
・支援の仕方はスポーツと音楽・芸術でアプローチを変える必要はあるが、いずれもコロナ感染終息後も必要。
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