凌美

エルメスバッグ専門店-BAG HERMES
http://www.bag-hermes.com

日本におけるシャネル

2014-12-30 13:36:53 | 日記
1994年、シャネルブティック本店(銀座並木通り)を開店。次いで1996年に大阪・心斎橋店を開店。心斎橋店が日本において当時最大の店舗であったが、2001年に東京・表参道店が開店し、こちらが日本最大となった。2004年12月には、ヘアアクセサリー卸売 銀座3丁目に旗艦店となる銀座シャネルビルがオープンした。
店舗以外では、千葉県船橋市に日本をはじめとするアジア市場での流通・開発拠点となるコーポレートオペレーションズセンターが立地している。
メディア・広告関連の事業を担当する代理店はADK。
日本法人の代表はリシャール・コラスで、フランス本国では作家としても知られている。
商品の輸入総代理店は以下の通りである。


ヘアアクセサリー卸売



宝飾品

2014-12-30 13:36:53 | 日記
シャネルは1924年に模造宝石をつかったビジュ・ファンデジの発表後、1932年本物のダイヤモンドを使ったハイ・ジュエリーラインを発表しており、1939年に店舗を閉鎖した際も、アクセサリーラインを扱う店舗は残していた。
1990年代後半に、新たなデザイナーを迎えファインジュエリーの販売を開始した。
CMキャラクター
他のハイブランドと同様に、商品ごとに違ったCMキャラクターを起用している。キャラクターとなる人物は、欧米 の人気モデル・女優が中心。
マドモアゼル(バッグ) - ブレイク・ライヴリー
ココ・マドモアゼル(香水) - キーラ・ナイトレイ
ルージュ・ココ(リップ) - ヴァネッサ・パラディ
また、デザイナーのイメージを具現化し世間に広めるイメージモデルをミューズ(女神)と呼ぶことがある。ミューズは、商品ごとのイメージモデルとは違い、ブランド自体のイメージモデルである。1980年代にはイネス・ド・ラ・フレサンジュ、1990年代にはクラウディア・シファー、2000年代はアンジェラ・リンドヴァル、ダリア・ウェーボウィ、フレジャ・ベハらを頻繁に広告起用し、コレクションの常連ステラ・テナントにおいても「シャネルのミューズ」と呼ばれている。


中国 ブランド ショップ



歴史

2014-12-22 15:20:32 | 日記
1910年、ココ・シャネルがパリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という帽子専門店を開店したのが始まり。1913年、リゾート地ドーヴィルに第1号のモードブティックを開店。続いて1915年、ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンして、ココはオートクチュールのデザイナーとして本格的にデビューする。
1916年に第1回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表。安くシンプルで着心地がよく、無駄のない、ジャージ素材を取り入れたドレスが話題となる。
1921年、本店をカンボン通り31番地に移転。調香師のエルネスト・ボーにより、シャネル初の香水「No.5」を同年の5月5日に発売。数字の「5」に縁起を担いで発売をこの日にしたと言われている[要出典]。脂肪族アルデヒドを大胆に使用した香調で話題となる。「No.5」の名前は試作品番号から取られた。
1939年9月の、第二次世界大戦の勃発とともに、香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖。ココがドイツによるフランス北部占領中を通じドイツ軍将校のヴァルター・シェレンベルクと愛人関係にあったため、1944年の連合国軍によるフランス解放後は「売国奴」として非難されスイスへの逃亡を余儀なくされる。
シャネルは1944年より10年間、その晩年をスイス、レマン湖地方のローザンヌで過ごした。レマン湖畔に佇むホテル、ボーリヴァージュ・パレスは、シャネルがローザンヌでの住まいとしたお気に入りのホテルであった。
フランス開放後10年を経た、1954年になって閉鎖店舗が復活。カンボン通りの店を再開し、オートクチュール・コレクションも復活させる。
1970年、香水「No.19」(en)を発表するが、翌1971年、住居としていたオテル・リッツで、ココが死去。その後、カール・ラガーフェルドがデザイナーに就任。ココのスタイルを守りながら、時代の空気を取り入れた新しいシャネルを提案し、ブランドとしての再興を果たす。2000年代以降は「メティエダール・コレクション」と呼ばれる、通常のパリ・コレクション出展ルックと異なるテーマのコレクションも展開している。
製品の大多数は自社工場で製造されているが、サングラス・メガネフレームはイタリアのルックスオティカ社がライセンスを受けて生産している。

中国 chanel 財布



シャネル

2014-12-16 10:29:54 | 日記
シャネル (Chanel)は、ココ・シャネルが興したファッションブランド、および同ブランドを展開する企業である。レディース商品を中心に展開しており、服飾・化粧品・香水・宝飾品・時計と展開分野は幅広い。
ウーマン・リブ的な「古い価値観にとらわれない女性像」がブランドポリシー。喪服用途であった黒い服を「リトル・ブラック・ドレス」として広汎的に広め、また自立した働く女性のためのジャージ素材、ツイード素材のスーツを打ち出すなどファッションの歴史を次々と刷新していった。
2014年現在のデザインディレクターはカール・ラガーフェルド。

日本観測史上最大の規模

2014-12-14 09:30:07 | 日記
気象庁は当初マグニチュードを、気象庁マグニチュードで7.9と速報値を発表したが、後に8.4という暫定値を発表した。その後、新たにモーメントマグニチュードで8.8と発表し、1900年以降で最大だった1933年昭和三陸地震のMw8.4や1963年択捉島沖地震のMw8.5を上回って、日本の近代地震観測史上最大となった。さらに、3月13日には外国の安定した遠地波形データも用いて9.0と発表した。通常、日本の地震で使用されるマグニチュードは「気象庁マグニチュード (Mj)」と呼ばれるもので、発表されたM7.9、8.4は気象庁マグニチュードの値であったが、M8.8、9.0は「モーメントマグニチュード (Mw)」の値であった。M9.0は、大正関東地震(1923年)の約45倍、兵庫県南部地震(1995年)の約1450倍のエネルギーに当たる。
気象庁は、地震発生3分後にMj7.9と推定した時点ではマグニチュードの「頭打ち」が起こっているとは認識できず、想定されていた宮城県沖地震が発生したものと判断した。しかし実際には地震があまりに巨大だったため、地震発生から約1時間14分後(16時)に発表された暫定値の気象庁マグニチュード8.4でも正確な規模の把握はできなかった。通常15分程度で算出できるモーメントマグニチュードも、国内の広帯域地震計がほぼ振り切れたため対応できず、国外の地震波形データを用いMw8.8と算出したのは約54分後(15時40分)と時間が掛かった(報道発表は精査後の17時30分、地震発生から約2時間44分後)。しかし、長野県長野市松代にある気象庁精密地震観測室では、アメリカ地質調査所 (USGS) が運営するライブ・インターネット地震サーバー (LISS:Live Internet Seismic Server) などのデータを解析し地震から約10分後にはM9を算出していたがこの計算結果は警報に使用されなかった。また、アメリカ地質調査所は当初、モーメントマグニチュードを8.8と発表、地震発生から約34分後に8.9、約6時間後に9.0と速報値、同15日に確定値を発表し、1900年以降に世界で発生した地震の中で4番目の規模と発表した。