>>> その2からの続きです >>>
集合場所:2
コレド日本橋、若しくは「名水白木屋の井戸」 東京メトロ「日本橋」 銀座線・東西線
(解散) 東京メトロ「三越前」 銀座線・半蔵門線
集合場所:2
コレド日本橋、若しくは「名水白木屋の井戸」 東京メトロ「日本橋」 銀座線・東西線
訪問ポイント | 寸評 | |
コレド日本橋 | 日本橋三井タワーと共に、日本橋再開発のランドマークの一つ | |
老舗「白木屋」 | 江戸時代に大呉服店となり、明治時代以降は百貨店として発展した | |
名水白木屋の井戸 | ||
老舗 「高島屋」 | 屋号は飯田新七の養父が近江の国高島郡の出身であることによる | |
老舗 「山本山」 | 煎茶と玉露で人気。 山本山とは「山本家の山」の意味で、山とは茶畑のこと | |
老舗 「寝具の西川」 | ふとんの西川は明治になってから | |
日本橋 | 初めて架けられたのは、慶長9年。 擬宝珠で飾られているのは、橋の高い格を示すもの | |
高札場と晒し場 | ここだけにしか設置されない高札が掲げられていた | |
日本国道路元標 | 昭和48年日本橋中央の「東京市道路元標」は日本橋北詰西側の広場に移設さた | |
日本橋魚河岸跡 | 碑の背後にある乙姫像は旧日本橋魚市場関係者が建立した | |
三浦按針屋敷跡 | 三浦按針は、領地三浦郡と羅針盤の針を按ずるという意味から名付けられた | |
老舗 「はんぺん神茂」 | 元禄元年、魚河岸が日本橋にあった頃から商い続ける練り物専門店 | |
老舗 「日本橋鮒佐」 | 「発句なり 松尾桃青 宿の春」の句碑が店の前に見られる | |
老舗 「弁松総本店」 | 食べ切れないものを折に詰めこれが評判を呼んだ。 日本最初の弁当屋 | |
老舗 「日本橋貝新」 | 佃煮 日本橋貝新は、大正3年の暖簾分けの一つ | |
老舗 割烹「日本橋とよ田」 | 初代豊田米吉が「金座」に近い本石町で寿司の屋台を開いたのが始まり | |
老舗 「にんべん」 | にんべんの軒先の門松の松をお守りにして持っていると火事にならない | |
福徳神社 | 現在は建物の屋上にあるが、維新までは木々が生い茂る広い境内であった由 | |
日本橋三井タワー | コレド日本橋と共に、日本橋再開発のランドマークの一つ | |
老舗 「千疋屋総本店」 | 天保6年、果物と野菜類を商う店を構えたのが始まり | |
老舗 「海老屋美術店」 | 所謂宮内省(現在の宮内庁)御用達の店 | |
老舗 「眼鏡舗 村田長兵衛商店」 | 昭和天皇御愛用の眼鏡も当店で作ったもの | |
十軒店跡 | 十軒店は雛市の立つ場所として知られていた | |
長崎屋 | 阿蘭陀商館長の定宿になった長崎屋という薬種屋があった | |
石町の鐘 | 江戸城下の人々に時刻を知らせた時の鐘 | |
老舗「佐々木印店」 | 創業享保10年、徳川家康入府の時鉄砲鍛冶として従ったのがこの店の祖先 | |
常盤橋御門跡 | ここは江戸城大手外郭の正門に当り、江戸初期には奥州に通ずる重要な場所であった | |
常盤橋 | 常磐橋は天正19年の架橋と言われ、東京では最も古い橋の一つである | |
一石橋 | ・名前の由来・八つ見の橋・迷子しらせ石標・親柱 | |
呉服橋 | 門前にあった町が幕府呉服御用の後藤家の屋敷を含む呉服町であったことに由来する | |
日本銀行本店本館 | 明治24年現在の本店本館が竣工した | |
金座跡 | 江戸時代の金貨鋳造所「金座」のあったところ | |
町年寄名主 | 江戸の町人を町奉行所はたった300~351人で支配出来た訳 | |
三井本館 | 三井財閥の本拠地 | |
老舗 「木屋」 | 打刃物、三味線、化粧品、文房具、象牙等、複数の木屋があった | |
老舗 「山本海苔店」 | 同店の(梅)「マルウメ」マークの由来 | |
老舗 「八木長」 | 八木長の鰹節でとった出汁で作る味噌汁は具がいらない程美味しくできる | |
三越百貨店 | 老舗 「三井越後屋呉服店」:「棚売り現金掛値なし」などの商法が評判となり富を築いた |
(解散) 東京メトロ「三越前」 銀座線・半蔵門線