私には弟が二人いますが、今日はすぐ下の弟の誕生日です
11月3日が私の誕生日で、11月4日がその下の弟の誕生日です
弟の誕生日を気に掛ける気持ちは持っているのですが・・・
ほとんど音信不通です
実家にいる弟の奥さんが舅姑である両親を
精神的虐待をしています
3人の娘孫の世話は、両親がしていました。
オムツ替えから、習い事の送迎、
幼稚園、学校で使う袋物などを作ったり、
面倒なことは全て任せたままでした。
弟が子供を海に連れて行く時でさえ
面倒くさいから私は行かないと、
代わりに母が行ったことがあるくらいです。
自分のことしかしたくない人です。
面倒なことが嫌い。優しさなんて見つかりません。
母が帯状疱疹の最悪な状態で入院した時は
「死にぞこないのくそ婆は死ねばいいんだ」
って言ってました。
弟が、病気で、松葉杖をつき
痛みで、2階の寝室に上がれなかった時
1階の部屋に布団を敷いたり、
病院に送って行ったりしたのも
母でした。
食べることに執着して、彼女の実家から母に
頂いたお見舞いの果物さえ、父母にはやらず、
自分と、娘で食べてしまいます。
餃子など作ると、自分と娘の間にお皿を置きます。
食べさせたくないのでしょう。
テーブルに肘をつけて食べている姿は見たくもありません。
父母には最低限の食事だけ、それも夕食だけ用意します。
一食数十円しかかからないようです。
コーヒー、ケーキ、ドーナツ、ヨーグルト、フライドチキン、果物・・・
よく買ってきは自分と娘とで食べています。
娘も少し前までは、おじいちゃん、おばあちゃんに
面倒を見てもらっていたのですが、
今でも時々お小遣いももらったりしていますが、
学校から帰ってきても「ただ今」も言わず、
ほとんど口をききません。
お母さんのやり方そっくりです。
彼女たちは親子で嘘もつきます。
明らかにわかる嘘でも平気でつきます。
私も随分気を使って、姪っ子たちを可愛がり、
義理の妹である彼女から嫌がらせをされても
何も言いませんでした。
盆、正月、実家に行くと
彼女は朝から、実家に泊りに行っています。
お正月の用意も何もありません。
私が、買い物をして、用意をして、皆のお世話をしていました。
両親は当然ですが、弟や姪っ子たちの用意もしてました。
後片づけは、私と私の娘でしていました。
実家に行っても、いつでも食事の用意なんてありません。
それどころか、「今晩は」って挨拶したら、
「私は、夕方6時半に帰ってきてご飯を作っているんですから
挨拶なんてしてられません」
って凄い形相で怒鳴られてしまいました。
帰宅してから、自分だけコーヒーを入れて飲んでいたのですが。
挨拶は5秒で済みますよね。
挨拶ってされたことないなあ~
義理の姉である私から声かけても
斜め下を向いたまま顎をしゃくり上げて
黙ったままです。
それが彼女の挨拶らしいです。
父が見かねて
「食事に出かけてくるから」
って言ったら、大声で恐ろしいほどの剣幕で
「食べないんだったら、早く言ってください!!!用意しているのに!!!」
って怒鳴り散らした。
見たら、まだ、てんぷら鍋にハムカツが5枚揚がっているだけだった。
朝食も昼食も何の用意もしないのだから、
「ハムカツを揚げたから明日食べて」って言えば済むと思うのですが。
冷蔵庫にある食材を使ったら怒鳴り散らす人だから
ハムカツ1枚でも嫌なのでしょう。
とにかく、そんなことで娘の前で親を怒鳴りつけるのです。
「帰るから、そんなに怒らないでやって」
って言うのが精一杯。
悲しいよ。
それでも彼女は気が収まらないようで
「うちには美味しい物なんんか、何もないから
どーぞ、美味しいものを食べに行って来てください!!!」
って、今度は私を怒鳴りつけてきた。
それって
食事の用意をしたのに、こんな不味い物嫌だって言われた
そういう人のセリフだと思うんだけど。
挨拶もせず、コーヒーを入れても自分だけ飲んで、
娘にだけ「ご飯できたわよ」って声掛けて
いつも、自分一人先にご飯を食べています。
私と娘がいる時、酷い時は両親の
夕食の用意もない時があるくらいです。
彼女は、家から5分にある銀行にフルパートに行っています。
毎朝、自分と娘のお弁当だけ時間をかけて
豪華に作っていきます。
弟は自分で白飯だけパックに詰めて持っていきます。
弟も気の毒です。
随分何とかしようとしたようですが、
価値観がここまで違ってしまっては
どうしようもないようです。
言っても初めから普通の感覚がないのですから
どうにもならなかったようで、最近は諦めきっています。
娘たちも、父である弟が全て悪くて、家が貧乏だと思っているようです。
だから自分の父である弟を
「お前が悪いんだ」って皆の前でお前呼ばわりです。
母親である彼女が言っているのでしょう。
その娘たち、高校生の時は芸術の塾に通わせてもらって
東京の私立の芸大に行っています。
その母である彼女は
「芸大に通っているという肩書だけで
何にもならなくていいんだ」
って自分の親に言っていたけど。
社会人になった別の娘は、電車で30分にある
国立大学を出たけど、「通いだと勉強ができない」と
母親を味方につけて大学の近くに一人暮らし。
勉強なんてしません。
キャバ嬢のような恰好をして遊んでいました。
時折見かけました。
卒業しても、就職なんて考えてなかったようで
ネイルやエステにしか興味がなく
そのまま、一人暮らしを続け
それの専門学校に行っているようです。
「肩書さえ取ればいいんだよ」
と言う母親の言葉のままに。
もう一人の娘はこう言っています。
「お母さん、私が大学行ったら一人になっちゃうから、
家から通える大学に行くね」
あなたのお母さんが皆を怒鳴りつけて威張り散らしているのです。
家庭から、話し声や、笑顔を奪ったのですよ。
分からないでしょうね。
娘3人家からいなくなったら、多分夕食の用意もしなくなるでしょう。
今だって、娘のアパートに遊びに行っているのだから、
3人の娘のアパートに代わる代わる行くことになりそうです。
彼女の望んだ、家事炊事をしないで遊んで暮らしたいが、
実現されるだけでしょう。
でも、銀行の人はそんなこと分からないから、
私の母が銀行に用事で行くと、支店長から
「明るくていいお嫁さんですね。日中いないと寂しいでしょう」
って言われたそうです。
銀行では、明るくて、お料理(お弁当)が上手で
何でもやるお嫁さんで通っているみたいです。
法事でお寺さんに行った時、
母に、出されたコーヒーゼリーを手渡して
「お母さん、届かないでしょう。どうぞ。」
って言った時には、空恐ろしかったです。
母も後で言っていたけど
「骨折して、松葉杖ついていた時、
台所にいた○○子さんに
味噌汁よそってって
言ったら嫌です!!!って言われたのに
びっくりした」
余りにも凄く何度も怒鳴られた時
母が「そんなに根性悪く言わなくたっていいんじゃないの」
って言ったことがありましたが、
「よくも根性悪いっていったな」
とまた怒鳴られ何倍にもなって嫌がらせが
続いたといいます。
本当に恐ろしい人です。
父母に声を掛けるときは、些細なことで怒鳴りつける時です。
トイレの電気が点いていた、
冷蔵庫が空いていた、
使った鍋はすぐに洗っておくように、
凄い勢いで怒鳴りつけて、
いつまでもねちねち言い続けます。
彼女の方が、だらしなく、冷蔵庫の中はベタベタで、
洗濯機は掃除もしないから真っ黒で、
水道だって出しっぱなしの時があります。
炊飯ジャーの下には、いつもご飯粒と埃だらけです。
出しっぱなしの味噌はカビていて
5年前の小麦粉は袋の周りが粉だらけで
てんぷら油は揚げカスがいっぱいで
真っ黒で臭いし
それって私の両親にだけ食べさせているのかしら。
フライパンを載せてガスの火を点けたまま
車で出かけてしまうこともあります。
私が見た時は黙って消しておいたのですが。
娘たちも冷蔵庫から出した麦茶は出しっぱなし、
ヨーグルトを食べれば、スプーンを差して
テーブルに置きっぱなし。
ご飯を食べる時も自由、
パソコンに向いたまま食べたり
そのまま食器も置きっぱなしだったり。
彼女は子供たちに対し
自分が邪魔されたり、面倒くさいことが出てきた時だけ
怒るようです。
だから、調子がよくて、嘘ばかりつくのかしら。
母親の顔色ばかり窺って、嘘をついたり
無視したりするのかしら。
病気で苦しんでいた姑に
「死にぞこないは死ねばいいんだ!!!」
って言う人がいる不幸は辛いです。
近所でも評判の人のいい両親です。
苦労してきた両親です。
実家のお嫁さん(義妹)のこと話し出したら
長くなってしまいました。
長すぎでしょ。
両親、弟がいても手におえないお嫁さんが来てしまった時から
兄弟の縁が遠くなりました。
寂しいです。
母は誰かに話しても信じて貰えないし、
どうにもならないから話さないと言います。
確かに、こんなことをする人がいたなんて私も想像もつきませんでした。
父は、○○子さんに優しく接したら、
いつかは分かってくれるだろうから
と言って、怒鳴られても、父にわざとドアをぶつけたり
「台所にいないでください。あっちに行っててください!!!」
邪魔者扱いされても、
田植えをして冷え切ってしまった時も
お風呂は彼女が1番に入って、
父が廊下にお風呂の用意をして待っていても
娘たちを呼んで次々にお風呂に入れました。
娘たちはお風呂にマンガ本を持ち込んで
なかなか出てきません。
年老いた父が体を冷やしながら
重労働をしてきても、誰一人思いやりません。
手伝わないんだったら、せめて優しくしてください。
「冷えて、疲れたでしょう。早くお風呂に入るといいですよ」
そういう気持ちは持ち合わせていないのです。
年寄りは終い湯ですか。
近くに住んでいた父の妹と弟が亡くなった時も
遠くに住んでいた母の兄や弟が亡くなった時も
父母の親が亡くなった時も
亡くなったから行ってくるねって
伝えても大変ですねの一言もなかった。
岩手まで行った時は心配で私が付き添って行ったけど
行ってきますって言っても
相変わらずの顎をしゃくっただけの返事だった。
お父さん、どんなに優しくしても無理だよ。
ますます、仕打ちが酷くなってるよ。
○○子さんに優しくしても酷くなるばかりだから
普通でいいのではないですか。
その分母に優しくしてあげてください。
11月3日が私の誕生日で、11月4日がその下の弟の誕生日です
弟の誕生日を気に掛ける気持ちは持っているのですが・・・
ほとんど音信不通です
実家にいる弟の奥さんが舅姑である両親を
精神的虐待をしています
3人の娘孫の世話は、両親がしていました。
オムツ替えから、習い事の送迎、
幼稚園、学校で使う袋物などを作ったり、
面倒なことは全て任せたままでした。
弟が子供を海に連れて行く時でさえ
面倒くさいから私は行かないと、
代わりに母が行ったことがあるくらいです。
自分のことしかしたくない人です。
面倒なことが嫌い。優しさなんて見つかりません。
母が帯状疱疹の最悪な状態で入院した時は
「死にぞこないのくそ婆は死ねばいいんだ」
って言ってました。
弟が、病気で、松葉杖をつき
痛みで、2階の寝室に上がれなかった時
1階の部屋に布団を敷いたり、
病院に送って行ったりしたのも
母でした。
食べることに執着して、彼女の実家から母に
頂いたお見舞いの果物さえ、父母にはやらず、
自分と、娘で食べてしまいます。
餃子など作ると、自分と娘の間にお皿を置きます。
食べさせたくないのでしょう。
テーブルに肘をつけて食べている姿は見たくもありません。
父母には最低限の食事だけ、それも夕食だけ用意します。
一食数十円しかかからないようです。
コーヒー、ケーキ、ドーナツ、ヨーグルト、フライドチキン、果物・・・
よく買ってきは自分と娘とで食べています。
娘も少し前までは、おじいちゃん、おばあちゃんに
面倒を見てもらっていたのですが、
今でも時々お小遣いももらったりしていますが、
学校から帰ってきても「ただ今」も言わず、
ほとんど口をききません。
お母さんのやり方そっくりです。
彼女たちは親子で嘘もつきます。
明らかにわかる嘘でも平気でつきます。
私も随分気を使って、姪っ子たちを可愛がり、
義理の妹である彼女から嫌がらせをされても
何も言いませんでした。
盆、正月、実家に行くと
彼女は朝から、実家に泊りに行っています。
お正月の用意も何もありません。
私が、買い物をして、用意をして、皆のお世話をしていました。
両親は当然ですが、弟や姪っ子たちの用意もしてました。
後片づけは、私と私の娘でしていました。
実家に行っても、いつでも食事の用意なんてありません。
それどころか、「今晩は」って挨拶したら、
「私は、夕方6時半に帰ってきてご飯を作っているんですから
挨拶なんてしてられません」
って凄い形相で怒鳴られてしまいました。
帰宅してから、自分だけコーヒーを入れて飲んでいたのですが。
挨拶は5秒で済みますよね。
挨拶ってされたことないなあ~
義理の姉である私から声かけても
斜め下を向いたまま顎をしゃくり上げて
黙ったままです。
それが彼女の挨拶らしいです。
父が見かねて
「食事に出かけてくるから」
って言ったら、大声で恐ろしいほどの剣幕で
「食べないんだったら、早く言ってください!!!用意しているのに!!!」
って怒鳴り散らした。
見たら、まだ、てんぷら鍋にハムカツが5枚揚がっているだけだった。
朝食も昼食も何の用意もしないのだから、
「ハムカツを揚げたから明日食べて」って言えば済むと思うのですが。
冷蔵庫にある食材を使ったら怒鳴り散らす人だから
ハムカツ1枚でも嫌なのでしょう。
とにかく、そんなことで娘の前で親を怒鳴りつけるのです。
「帰るから、そんなに怒らないでやって」
って言うのが精一杯。
悲しいよ。
それでも彼女は気が収まらないようで
「うちには美味しい物なんんか、何もないから
どーぞ、美味しいものを食べに行って来てください!!!」
って、今度は私を怒鳴りつけてきた。
それって
食事の用意をしたのに、こんな不味い物嫌だって言われた
そういう人のセリフだと思うんだけど。
挨拶もせず、コーヒーを入れても自分だけ飲んで、
娘にだけ「ご飯できたわよ」って声掛けて
いつも、自分一人先にご飯を食べています。
私と娘がいる時、酷い時は両親の
夕食の用意もない時があるくらいです。
彼女は、家から5分にある銀行にフルパートに行っています。
毎朝、自分と娘のお弁当だけ時間をかけて
豪華に作っていきます。
弟は自分で白飯だけパックに詰めて持っていきます。
弟も気の毒です。
随分何とかしようとしたようですが、
価値観がここまで違ってしまっては
どうしようもないようです。
言っても初めから普通の感覚がないのですから
どうにもならなかったようで、最近は諦めきっています。
娘たちも、父である弟が全て悪くて、家が貧乏だと思っているようです。
だから自分の父である弟を
「お前が悪いんだ」って皆の前でお前呼ばわりです。
母親である彼女が言っているのでしょう。
その娘たち、高校生の時は芸術の塾に通わせてもらって
東京の私立の芸大に行っています。
その母である彼女は
「芸大に通っているという肩書だけで
何にもならなくていいんだ」
って自分の親に言っていたけど。
社会人になった別の娘は、電車で30分にある
国立大学を出たけど、「通いだと勉強ができない」と
母親を味方につけて大学の近くに一人暮らし。
勉強なんてしません。
キャバ嬢のような恰好をして遊んでいました。
時折見かけました。
卒業しても、就職なんて考えてなかったようで
ネイルやエステにしか興味がなく
そのまま、一人暮らしを続け
それの専門学校に行っているようです。
「肩書さえ取ればいいんだよ」
と言う母親の言葉のままに。
もう一人の娘はこう言っています。
「お母さん、私が大学行ったら一人になっちゃうから、
家から通える大学に行くね」
あなたのお母さんが皆を怒鳴りつけて威張り散らしているのです。
家庭から、話し声や、笑顔を奪ったのですよ。
分からないでしょうね。
娘3人家からいなくなったら、多分夕食の用意もしなくなるでしょう。
今だって、娘のアパートに遊びに行っているのだから、
3人の娘のアパートに代わる代わる行くことになりそうです。
彼女の望んだ、家事炊事をしないで遊んで暮らしたいが、
実現されるだけでしょう。
でも、銀行の人はそんなこと分からないから、
私の母が銀行に用事で行くと、支店長から
「明るくていいお嫁さんですね。日中いないと寂しいでしょう」
って言われたそうです。
銀行では、明るくて、お料理(お弁当)が上手で
何でもやるお嫁さんで通っているみたいです。
法事でお寺さんに行った時、
母に、出されたコーヒーゼリーを手渡して
「お母さん、届かないでしょう。どうぞ。」
って言った時には、空恐ろしかったです。
母も後で言っていたけど
「骨折して、松葉杖ついていた時、
台所にいた○○子さんに
味噌汁よそってって
言ったら嫌です!!!って言われたのに
びっくりした」
余りにも凄く何度も怒鳴られた時
母が「そんなに根性悪く言わなくたっていいんじゃないの」
って言ったことがありましたが、
「よくも根性悪いっていったな」
とまた怒鳴られ何倍にもなって嫌がらせが
続いたといいます。
本当に恐ろしい人です。
父母に声を掛けるときは、些細なことで怒鳴りつける時です。
トイレの電気が点いていた、
冷蔵庫が空いていた、
使った鍋はすぐに洗っておくように、
凄い勢いで怒鳴りつけて、
いつまでもねちねち言い続けます。
彼女の方が、だらしなく、冷蔵庫の中はベタベタで、
洗濯機は掃除もしないから真っ黒で、
水道だって出しっぱなしの時があります。
炊飯ジャーの下には、いつもご飯粒と埃だらけです。
出しっぱなしの味噌はカビていて
5年前の小麦粉は袋の周りが粉だらけで
てんぷら油は揚げカスがいっぱいで
真っ黒で臭いし
それって私の両親にだけ食べさせているのかしら。
フライパンを載せてガスの火を点けたまま
車で出かけてしまうこともあります。
私が見た時は黙って消しておいたのですが。
娘たちも冷蔵庫から出した麦茶は出しっぱなし、
ヨーグルトを食べれば、スプーンを差して
テーブルに置きっぱなし。
ご飯を食べる時も自由、
パソコンに向いたまま食べたり
そのまま食器も置きっぱなしだったり。
彼女は子供たちに対し
自分が邪魔されたり、面倒くさいことが出てきた時だけ
怒るようです。
だから、調子がよくて、嘘ばかりつくのかしら。
母親の顔色ばかり窺って、嘘をついたり
無視したりするのかしら。
病気で苦しんでいた姑に
「死にぞこないは死ねばいいんだ!!!」
って言う人がいる不幸は辛いです。
近所でも評判の人のいい両親です。
苦労してきた両親です。
実家のお嫁さん(義妹)のこと話し出したら
長くなってしまいました。
長すぎでしょ。
両親、弟がいても手におえないお嫁さんが来てしまった時から
兄弟の縁が遠くなりました。
寂しいです。
母は誰かに話しても信じて貰えないし、
どうにもならないから話さないと言います。
確かに、こんなことをする人がいたなんて私も想像もつきませんでした。
父は、○○子さんに優しく接したら、
いつかは分かってくれるだろうから
と言って、怒鳴られても、父にわざとドアをぶつけたり
「台所にいないでください。あっちに行っててください!!!」
邪魔者扱いされても、
田植えをして冷え切ってしまった時も
お風呂は彼女が1番に入って、
父が廊下にお風呂の用意をして待っていても
娘たちを呼んで次々にお風呂に入れました。
娘たちはお風呂にマンガ本を持ち込んで
なかなか出てきません。
年老いた父が体を冷やしながら
重労働をしてきても、誰一人思いやりません。
手伝わないんだったら、せめて優しくしてください。
「冷えて、疲れたでしょう。早くお風呂に入るといいですよ」
そういう気持ちは持ち合わせていないのです。
年寄りは終い湯ですか。
近くに住んでいた父の妹と弟が亡くなった時も
遠くに住んでいた母の兄や弟が亡くなった時も
父母の親が亡くなった時も
亡くなったから行ってくるねって
伝えても大変ですねの一言もなかった。
岩手まで行った時は心配で私が付き添って行ったけど
行ってきますって言っても
相変わらずの顎をしゃくっただけの返事だった。
お父さん、どんなに優しくしても無理だよ。
ますます、仕打ちが酷くなってるよ。
○○子さんに優しくしても酷くなるばかりだから
普通でいいのではないですか。
その分母に優しくしてあげてください。