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台湾在住8年目🌻やや暗い過去のことも書きます

もみじ饅頭🍁と広島の叔父さん

2024-11-23 04:18:00 | 日記

今台南の三越新天地で日本の物産展が開催されているので、散歩がてら見に行ってみた。


高いから何も買わないつもりだったけど、うっかりもみじ饅頭を購入。叔父が広島に住んでいたから、昔頻繁にもみじ饅頭を食べていたので懐かしくて…




今は生もみじ饅頭なんて物も出てたり、チョコレートだとかチーズクリームだとか種類もいろいろあって、記憶の中のそれよりずっとおいしかった。


ところで叔父さんにはもうきっと20年近く会ってない…

うちは親戚付き合いは元々少ない方だったけど、祖父母が亡くなって実家を引っ越した辺りから本当にほぼゼロみたいな状態になった気がする。


父はわからないけど、母は親戚やご近所との付き合いは苦手な様子だったから、そういうストレスがなくなってせいせいしてたのかも。

大人になってからポツポツと当時の人間関係について母が話しているのを食卓で聞いたことがあるけど、そんな苦労を子どもだった私におくびにも出さないでいてくれたことに感謝したし、母は強しと思った。

なんだかんだ、両親はいつも私を尊重して大切にしてくれてたということに今ごろになってやっと気づけた。

それだけで、私の人生はもう十分幸せだったといえると思う。






誰にもしなかった、兄の話2/2

2024-11-02 05:55:00 | 日記


私がまだ実家にいた頃、時々母が兄にお金の話をしているのを見かけたことがある。

兄は働いていなかったので、母が兄の為に積み立ててきた貯金と祖母からの遺産(私も貰ったけど、かなりの額だった。私は台湾へ来てたった数年で溶かしたけど)を切り崩して渡していたようである。


無理もないけど、母は兄にかなり冷たく当たっていた。

父は楽天的なお人よしタイプなので冷たく当たるようなことはしないが、必要以上に触れようとせず、腫れ物のように扱っているような感じがした。


兄と両親が普通に家族らしい会話しているのももう15年くらい見ていない。

私も実家に帰った時に気軽に兄に話しかけてみたら案外普通に話せるんじゃないかと思ったけど、結局勇気が出なかった。


いつか兄が爆発して両親を襲ったり家をめちゃくちゃにしたりするんじゃないかという不安を感じることも時々ある。


だから私は今1人で台湾にいて正直ほっとしている。

今思えば、私の日本での生活は暗すぎた。

本来最も落ち着くはずの我が家が私には息苦しいものだった。


いつしか精神的に追い込まれて、動悸がしたり夜眠れなくなったりすることがしょっちゅうあった。台湾に来てからはもちろんなくなった。台湾に来た理由をしばしば聞かれるけど、さすがにすべて正直には話していない。


しばらく兄のことは記憶に蓋をするように忘れていたのだけど、今回の書留の件でブワッと思い出してしまった。


そして、ついに兄が死んだんじゃないか?なんて不謹慎なことを思った。

兄が死ぬとしたら自殺だろうと思う。

最悪、両親を殺して自分も死ぬという方法も取りかねないと本気で思っている。


結局のところ、今回の書留の中身は、A4封筒に入った開封されてない年金のお知らせと母からの普通の手紙で、誰も死んでいなかった。

大きいサイズの封筒は書留でしか送れなかったんだろうか。


もう2年以上日本に帰っていないんだけど、まだしばらく実家に帰ることは辞めておこうと思う。


誰にもしなかった、兄の話1/2

2024-11-02 05:36:00 | 日記


この前、ポストに郵便局の不在票が入っていたのだけど、それが実家の母からの国際郵便書留という配達記録付き郵便だったので少しドキッとした。


普段は普通のエアメールで手紙をくれる母なので、よっぽど緊急性がある何かだと思って身内の不幸だとか嫌な想像までした。


さすがにそれだったら電話するか、と思ったけど家族は私の電話番号を知らない。

辛うじて父は私のメールアドレスを知っているので、ならばそっちに連絡するだろうと思ったけど、もしかしたら父の不幸だったりして…とも思った。

父はもう75歳だし、何かあっても別におかしくない。


もしくは兄が死んだかなと思った。

私は兄とは15年以上話していない。

学生の頃の兄はたまに癇癪を起こしてキレたり物を壊したり、やや暴力的な面があった。そういうことがなければ、一緒にゲームしたりふざけあったりする普通の兄妹だった。


兄が変わったのは高校に入ってからだった。

勉強も友人関係も上手くいかなかった様子で、家族の食卓で急に大号泣して中退、からの高卒認定試験を受けて晴れて大学に入ったけどまともに通わないまま結局中退した。


それからはほぼ引きこもり状態となり、まともに働いてる様子を一度も見たことがない。私も8年前に家を出てしまったのでずっと見ていた訳ではないけど、たまに実家に帰った時も相変わらず何もしていない様子だった。


引きこもりといえど、夕飯はいつも家族と一緒に食べていた。

一言も発しないし、両親もまるで兄がいないかのような様子でテレビを見ながら2人で話していた。


私はというと兄の横で気まずくて、テレビも見れずひたすら食事に集中した。どんな表情でそこにいればいいのか分からず、夕飯の時間がいつも憂鬱だった。


そして決まって両親は、兄が席を立ってからやっと私に話しかけた。

両親は私とは普通に話すのだけど、特に盛り上がるわけでもなく、二言三言話して終わるのが常だった。両親は私にもまた変に気を遣っているように見えた。


2/2へ続きます