茶花(saka)日記

2011年3月、脳腫瘍で旅立った夫とともに。
お茶と花に癒されて、日々の出来事を綴ります。

リハビリ病院(4)

2011-09-28 23:46:13 | 病気2(リハビリ病院)
2009年秋、リハビリ病院に転院して1~2ヶ月目(手術から4~5ヶ月)。
できることも増えてきて、このまま治っていくのではないかと錯覚をするほど穏やかな日々だった。
月に1回、リハビリ病院に外出届けを出し、大学病院へ。
MRIと診察、テモダールを5日分。
妹夫婦や親戚のT君が毎月送迎をしてくれた。
片道1時間半ほどだったが、夫は眠ることも無く、車窓からずっと外の景色を見ていた。

平日は相変わらずリハビリで、結構忙しそう。
病院内には歯科もあり、車椅子のままで診察・治療が可能だった。
虫歯は幸い無かったが、口腔内のチェックに月1~2回通った。

土日は私も朝から行けるのでゆっくり夫と過ごせた。
爪を切ったり、ひげを剃ったり、散髪をしたり。
散髪は家庭用の散髪セットを買って、病院の庭で私がカットした。
妹夫婦もよく来てくれて、妹の夫のMちゃんも夫の散髪をしてくれた。
Mちゃんの方が私より上手にカットできるので、いつからかMちゃんにしてもらうようになった。

今から2年前、丁度今頃の季節・・・
秋の光に包まれて、静かにカットをしてもらっている夫の姿を思い出すと、幸せな気持ちになる。
幸せなんて言っていられない状況だったけれど、何故か今「幸せだった」という気持ちが蘇る。

あの庭でのひととき。
ベンチに腰掛けた私の隣に、車椅子の夫がいる。
話すことはできなかったけれど、隣に座っているということが嬉しかった。
戻れるのなら病気になる前に戻りたいけれど、この頃にもちょっと戻りたいような気がして・・・
思い出しながら涙が出た。




リハビリ病院(3)

2011-07-11 15:44:21 | 病気2(リハビリ病院)
リハビリ病院は、広い敷地に病院・学校・研修センター・グラウンド等様々な施設があった。
木々に囲まれてのんびりできる環境だ。

入院早々、夫と車椅子で敷地内を散歩した。
ある日、散歩中突然口笛を吹いた。
また、ある日は、虫除けのためパーカーのフードを被せたら、
「サンドー~バッグに~」と口ずさんだ。
それは確かに「明日のジョー」の歌だった。
そういえば、ジョーはよくフードを被ってランニングしているイメージがあったが、
夫もそれで歌ったのだろうか。
口笛も、ジョーの歌もそのとき限りだったが、心和むひとときだった。

病院の食事は基本的に食堂で食べることになっていた。
1ヶ月もしないうちに、食事の案内に従い、車椅子を左足でこいで、
一人で食堂に行き、自分のテーブルについて食事ができるようになっていた。

アナログの時計も読めていたようだった。
リハビリの時間割があり、前夜に看護師さんが念のため連絡してくださるのだが、
だいたいその時間になるとエレベーターのところまで行き、介助の方を待つようになった。
昔から時間には厳しく、私はよく怒られたのだが、その性格は残っていたようで、
介助の方が忙しくて遅れそうなときは、一人でエレベーターに乗ってしまうこともあったようだ。

その頃になると、私が帰る時はエレベーターまで送ってくれるようにもなった。

だんだん、できることが増えて嬉しかったが、言葉の回復は絶望的だった。
せめて、痛いところがあったら、指差すことだけでもできればと、
言語聴覚士の先生にお願いした。

リハビリ病院(2)

2011-07-09 16:17:03 | 病気2(リハビリ病院)
いよいよ本格的なリハビリが始まった。
とにかく最小限の介助で自宅療養ができることを目標にした。

平日5日間は理学療法・作業療法・言語療法を毎日各40分ずつ。
それと同時にトイレ・歯磨き・着替え・食事等は担当の看護師さんが、
その都度、様子を見ながら指導してくださった。

病棟はナースステーションとトイレ・洗面所を中心として囲むように手すりの付いた通路があり、
通路の外側に沿って病室・浴室・食堂がある。
リハビリのない時間や、土日はその通路を看護師さんに付き添われて歩くことができる。
杖だけで一人で歩く人、車の付いた歩行器で歩く人、看護師さんや家族と歩く人。
時にはぶつかりそうになるほど、患者さん達が行き交う。

夫は大学病院にいるときに作った補そう具を付けて歩く。
補そう具は、右足の膝から下をサポートするものだった。
靴はマジックテープで脱着するサンダルのようなもの。

大学病院入院中に、この靴を買った。
「これ買ったから履いてみて」と私。
夫は「えー、これ履くのー」と言っているようだった。
靴にはこだわりがあった夫なので、イメージが違ったのだろう。

会社用の革靴は高級なものではないけれど、いつも自分で磨いて大事に履いていた。
マラソン用のランニングシューズ、ゴルフ用の靴、登山用の靴・・・
履くことはできても、もうその靴で楽しむことはできないのだ。

しかし、それを嘆く様子もなく、淡々とリハビリを続けていた。

リハビリ病院(1)

2011-07-02 17:52:53 | 病気2(リハビリ病院)
2009年8月24日、大学病院から車で1時間半ほどのリハビリ病院へ転院。
大学病院には夫の妹が手伝いに来てくれた。

夫は入院以来初の普段着に着替えた。
えんじ色のポロシャツと紺のスウェットパンツ。
以前はサイズがM~Lだったのだが、10キロほど痩せたのでSになった。

お昼前にリハビリ病院に到着。
夫の弟夫婦が待機してくれていた。

病室は6人部屋に4人の患者さんが入っていた。
担当の看護師さんから説明を受ける。
とても明るく感じが良い看護師さんでホッとした。

夫も落ち着いている様子。
同室の患者さん達は、夫と同年齢か少し年上の感じで、
脳血管障害後遺症のためリハビリ中のようだが、
入院しているのが不思議なくらいお元気そうだった。

本当は個室が良かったが、別の階になってしまうので、
あまりお勧めはできないと看護師さんから言われた。

リハビリをするには、他の患者さんと一緒の方が、
それもまたリハビリになると言われ、それもそうだなと納得。

病院は家からでも職場からでも約1時間。
今度は、週4~5日病院通いが始まった。