しかし彼は、ルーランの家族を描き終わった時点で、「肖像は僕の本領だという気がするし、医者にならなくとも、これである程度心が慰められる」と言っていた。
とすれば、慰めと癒しという、宗教画が本来担っていた機能を肖像画に与えることへの関心が、12月の時点ですでにあったと考えてよいだろう。
しかし、第一作めの完成も間近に迫ったころ、あの自傷事件が起こり、ファンゴッホは入院した。病院に見舞い、退院時に付き添ったのは、ほかならぬルーラン夫人である。
そして1月下旬、制作が再開され、ファン・ゴッホは、すでにアルルを去ってしまったゴーギャンに制作再開を告げながら、次のように続けるのである。
「ああ、親愛なる友よ。絵を描くのは、すでに僕たち以前にベルリオーズやワグナーの音楽がそうであるように(・・・)悲しみに傷ついた心に慰めを与える芸術をつくることなのです!」
・・・・・・・ゴッホ展 孤高の画家の原風景 ファン・ゴッホ美術館/クレラー=ミュラー美術館所蔵 より引用
絵を描くとき、慰め・癒しを与えたい!!って思って描くのですね。
本当に、温かい心ですね。