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器の大きなピアニストになれ 辻井伸行 運命の人 川上昌裕さん

2010-06-08 00:13:43 | ニュース
NHKこころの遺伝子
辻井伸行さんの運命の人 川上昌裕さん
http://www.nhk.or.jp/idenshi/special/index.html
ピアノは友達
1988年に生まれた辻井伸行さん。生まれつき視覚障害があった辻井さんは早くから音楽に親しみ、わずか2歳にしておもちゃのピアノを両手で弾き始めた。そして4歳のときには、旅行先のサイパンで大勢の人を前にピアノを演奏。喝采をあび、人前で演奏する楽しさを知る。

両親は辻井さんの小学校入学を機にその才能を見極めてほしいと、プロに依頼。その時、辻井さんをテストしたのが、運命の人となる川上昌裕さんだった。川上さんは東京音楽大学を首席で卒業。ウィーンへ留学するも夢を果たせず、大学の恩師の誘いで帰国。指導者の道を歩もうとしていた。辻井さんの演奏に触れた川上さんは、その才能を確信。わずか6歳の子どもの演奏とは思えない音色に驚き、魅せられる。

師から贈られた忘れられない言葉
1995年春、2人のレッスンは始まった。レッスンで最も苦労したのは、楽譜に含まれる作曲家の意図や様々な記号を辻井さんにどうやって伝えるのか。川上さんはカセットテープに右手と左手のパートを別々に録音した「譜読みテープ」を作ることを思いつく。それは耳のいい辻井さんにはぴったりの方法だったが、録音には膨大な時間がかかり、時には5分録音するのに5時間かかることもあった。

川上さんは"常により大きな舞台を目指して歩み続けよう"という意味を込め、辻井さんに「器の大きなピアニストになれ」という言葉をかける。辻井さんは師の言葉に応えるように数々のコンクールを制覇。中学3年生のとき「2年後のショパンコンクールに出たい」と話し、川上さんを驚かせる。それは、これまでとは桁違いの大舞台だった。

世界の大舞台へ
コンクールに向けて2人が格闘したのは、ショパンの難曲「マズルカ」。しかし、辻井さんは直前まで「マズルカ」を攻略できなかった。コンクールの開催地・ポーランドに入った辻井さんは曲の元となった民謡を踊りに出かけ、その本質を肌で感じることに。本番でようやく「マズルカ」を自分にものにし、批評家賞を受賞する。

ショパンコンクールで世界を見た辻井さんは、人間としてもピアニストとしても、さらなる成長が必要だと感じるように。音楽大学入学を機に川上さんから離れることを決める。それから2年、満を持して挑んだのが世界的なピアニストへの登竜門「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」。辻井さんは日本人で初めて優勝し、インタビューで「国際的に活躍できる器の大きなピアニストに……」と話した。現在、優勝者に与えられる世界ツアーのため、多忙な日々を送る辻井さん。スタジオでは思い出の曲「マズルカ」を演奏し、改めてその成長ぶりを川上さんに示した。

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