思慮に欠ける売国新聞がそう社説を掲載しています。
こうしたマスコミも、日本からは消えてなくなることを
祈念しますね。
左翼運動家共々、尖閣諸島へ島流しが妥当かと思いますが・・。
次の政権には、そこまでやってもらうことを期待したいですね。
安倍晋三氏は朝日新聞に感謝を
2012.9.16 12:00 [名言か迷言か]
自民党総裁選所見発表演説会で演説する安倍晋三元首相=14日午前、東京・永田町の自民党本部(古厩正樹撮影)
岸信介首相の在任期間は意外と長かった。
岸といえば安保、安保といえば岸といった具合で、岸内閣の功績を問われれば日米安全保障条約改定の一事をもって事足りる。それほどの多大なる恩恵を後世にもたらした難事業だったからこそ、岸内閣はその一点において記憶され、故に長く政権の座にとどまった印象を与えていない。
だが事実は異なる。在任期間1241日。憲政史上第9位で、戦後では第5位に名を連ねる。実弟である佐藤栄作の2798日と比べれば短いが、2度首相を務めた同郷の元勲、山県有朋の1210日よりも長く宰相の座にいた。
3年半の間、岸が残した遺産は安保改定だけにとどまらない。国民皆保険、国民皆年金を実現するとともに、最低賃金法を成立させたのも岸内閣だ。戦前は商工官僚、商工相として統制経済の牽引者であった奇才は、戦後にあって福祉国家の礎を築き、持続的な経済成長を準備して面目を躍如した。
「まあ考えてみると、総理、政治家というものは、あんまりあっさりしてはいけないね。地位に恋々としてかじりつく必要があるんだ。その点、僕なんかはあっさりしすぎていた」
岸は晩年、『岸信介証言録』(原彬久編、毎日新聞社)の中でこう語っている。
凡百の宰相が仰ぎ見て卒倒するほどの巨人でも、悔いは残ったようだ。佐藤内閣時代、岸は再登板を目指してひそかに想をめぐらせていた。「もう一遍私が総理になってだ、憲法改正を政府としてやるんだという方針を打ち出したいと考えたんです」と打ち明けているが、本懐を遂げることはなかった。
その岸の孫である安倍晋三元首相は12日、自民党総裁選への立候補を表明した。
「戦後体制のくさびを断ち切り、憲法改正に取り組まなければなりません」
仮に岸が再び首相を目指していたら、こう語ったであろうという口吻で、安倍氏は抱負を口にした。岸には遠く及ばないとしても、安倍内閣は教育基本法改正、国民投票法成立、防衛庁の省昇格など特筆すべき足跡を残している。それでも安倍氏は起った。自民党結党以来、総裁の再登板は例がない。
「本当は、総理をやってですよ、しばらく野に下って、今度は権力者としてではなく国民の側に立ってものを観察し、いろいろ思いを巡らしてこれを前の経験と結び合わせてもう一度総理をやった政治家は、前より大いに偉くなるんですよ。それを利用しないのは、国にとって非常に僕は非能率だと思うんだ」
岸はこうも語っている。安倍氏は岸の遺言に忠実に従っているのかもしれない。
とはいえ、安倍氏の行く手は決して順風満帆ではない。下馬評では石原伸晃幹事長、石破茂前政調会長の後塵を拝しているらしい。平成18年9月、突如として首相を辞任したことは今でも批判の的となっている。
朝日新聞は7日付朝刊で「安倍元首相 思慮に欠ける歴史発言」と題する社説を掲載した。首相に就任しても靖国神社に参拝すると明言し、日本の官憲による慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官(当時)による5年の「河野談話」を否定する安倍氏が、朝日新聞は気にくわないようだ。社説では「持論にこだわるなら、一国の政治指導者として不適格だ」と攻撃している。
それもまたよし。安倍氏は朝日新聞に感謝すべきだ。
「もう少し悪口をいう敵がいなければ駄目だっていうんだ。人の下にいるときはいいけれども、もう彼ぐらいになれば、対立する敵がいなければ駄目だよ。少し評判が良すぎるね」
岸は安倍氏の父、安倍晋太郎を評してこう言い残している。女婿に厳しかった泉下の祖父は、孫を褒めているに違いない。
(杉本康士)
産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120916/stt12091612000005-n1.htm
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安倍晋三氏は朝日新聞に感謝を
2012.9.16 12:00 [名言か迷言か]
自民党総裁選所見発表演説会で演説する安倍晋三元首相=14日午前、東京・永田町の自民党本部(古厩正樹撮影)
岸信介首相の在任期間は意外と長かった。
岸といえば安保、安保といえば岸といった具合で、岸内閣の功績を問われれば日米安全保障条約改定の一事をもって事足りる。それほどの多大なる恩恵を後世にもたらした難事業だったからこそ、岸内閣はその一点において記憶され、故に長く政権の座にとどまった印象を与えていない。
だが事実は異なる。在任期間1241日。憲政史上第9位で、戦後では第5位に名を連ねる。実弟である佐藤栄作の2798日と比べれば短いが、2度首相を務めた同郷の元勲、山県有朋の1210日よりも長く宰相の座にいた。
3年半の間、岸が残した遺産は安保改定だけにとどまらない。国民皆保険、国民皆年金を実現するとともに、最低賃金法を成立させたのも岸内閣だ。戦前は商工官僚、商工相として統制経済の牽引者であった奇才は、戦後にあって福祉国家の礎を築き、持続的な経済成長を準備して面目を躍如した。
「まあ考えてみると、総理、政治家というものは、あんまりあっさりしてはいけないね。地位に恋々としてかじりつく必要があるんだ。その点、僕なんかはあっさりしすぎていた」
岸は晩年、『岸信介証言録』(原彬久編、毎日新聞社)の中でこう語っている。
凡百の宰相が仰ぎ見て卒倒するほどの巨人でも、悔いは残ったようだ。佐藤内閣時代、岸は再登板を目指してひそかに想をめぐらせていた。「もう一遍私が総理になってだ、憲法改正を政府としてやるんだという方針を打ち出したいと考えたんです」と打ち明けているが、本懐を遂げることはなかった。
その岸の孫である安倍晋三元首相は12日、自民党総裁選への立候補を表明した。
「戦後体制のくさびを断ち切り、憲法改正に取り組まなければなりません」
仮に岸が再び首相を目指していたら、こう語ったであろうという口吻で、安倍氏は抱負を口にした。岸には遠く及ばないとしても、安倍内閣は教育基本法改正、国民投票法成立、防衛庁の省昇格など特筆すべき足跡を残している。それでも安倍氏は起った。自民党結党以来、総裁の再登板は例がない。
「本当は、総理をやってですよ、しばらく野に下って、今度は権力者としてではなく国民の側に立ってものを観察し、いろいろ思いを巡らしてこれを前の経験と結び合わせてもう一度総理をやった政治家は、前より大いに偉くなるんですよ。それを利用しないのは、国にとって非常に僕は非能率だと思うんだ」
岸はこうも語っている。安倍氏は岸の遺言に忠実に従っているのかもしれない。
とはいえ、安倍氏の行く手は決して順風満帆ではない。下馬評では石原伸晃幹事長、石破茂前政調会長の後塵を拝しているらしい。平成18年9月、突如として首相を辞任したことは今でも批判の的となっている。
朝日新聞は7日付朝刊で「安倍元首相 思慮に欠ける歴史発言」と題する社説を掲載した。首相に就任しても靖国神社に参拝すると明言し、日本の官憲による慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官(当時)による5年の「河野談話」を否定する安倍氏が、朝日新聞は気にくわないようだ。社説では「持論にこだわるなら、一国の政治指導者として不適格だ」と攻撃している。
それもまたよし。安倍氏は朝日新聞に感謝すべきだ。
「もう少し悪口をいう敵がいなければ駄目だっていうんだ。人の下にいるときはいいけれども、もう彼ぐらいになれば、対立する敵がいなければ駄目だよ。少し評判が良すぎるね」
岸は安倍氏の父、安倍晋太郎を評してこう言い残している。女婿に厳しかった泉下の祖父は、孫を褒めているに違いない。
(杉本康士)
産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120916/stt12091612000005-n1.htm
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日本のための報道をしてもらいたいですね。
今日のご法話で、先生が
朝日が「太陽光発電は非効率的である」というよな
報道をしはじめたので、
方向転換の布石をうちだした、と話されていました。
朝日(ちょうにち)からあさひへ変われるのか?
みてみたいものです。