
今の日本では、「戦争学」「軍事学」を語ることさえいけない雰囲気が
ありますが、今だからこそ「戦争学」「軍事学」を語り、学ぶ必要がある
のではないでしょうか。
危機的な状況は続いています。
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新たなる霊言の開示「インパール作戦の真実 ―牟田口司令官の霊言―」
この度、大川隆法総裁先生より新たな霊言を賜りました。主に心より感謝申し上げます。
インパール作戦の真実
―牟田口司令官の霊言―
- 所要時間:約118分
- 種類:霊言
- 公開期間:2017/8/20~
- 場所:精舎, 支部, 拠点, 布教所, 海外
- ※抜粋版あり(約20分 2017/8/27~)
内容紹介
牟田口中将は、無謀な作戦を指揮した愚将だったのか。
◇無謀とされたインパール作戦の背景を霊査。牟田口中将の弁明は、日本の戦後史観を一転させるものだった
・この度、大戦末期の悲惨な敗戦例として有名なインパール作戦の司令官であった牟田口廉也中将(1888-1966)の霊言が収録されました。戦後日本の自虐史観を逆転させる霊言です。
・本霊言は、信者をはじめ、幸福実現党支持者及び親和性のある方、政治関係者、マスコミ関係者、歴史が好きな方などを中心におすすめです。
【プロフィール】
牟田口廉也(むたぐち・れんや)(1888~1966)
1937年、支那駐屯歩兵第1連隊長。1938年、第4軍参謀長。1940年、中将。1941年、太平洋戦争開戦の第18師団長としてマレー進攻作戦に参加。シンガポール攻略後、マレー半島の華僑粛清を行ったのち、ビルマに移動。1943年、3月第15軍司令官となる。1944年、インパール作戦を実施。補給無視の無謀な作戦指導により多くの餓死者を出し、参加将兵10万の半数を失った。予備役編入。1945年、召集、予科士官学校長となった。1966年、死去。
【インパール作戦】
1942年ビルマ(現ミャンマー)を席巻した日本軍はこの作戦を計画したが、成功を危ぶむ者も多く中止。しかし第15軍牟田口廉也司令官は再びこれをとりあげて1944年1月より実行し、自由 インド仮政府首班スバース・チャンドラ・ボース下のインド国民軍も参加、同市を包囲した。だが補給なく、制空権のないことなどから惨敗した。
【Point】
◆今こそ、日本に「戦争学」「軍事学」が必要な理由。
◆敗戦の原因と官僚体質との関係は?
◆ハンニバルのアルプス越えとの共通点
◆アメリカの人命尊重思想の欠陥とは何か
◆なぜ、無謀とも思える作戦を敢行したのか?
――その背後に、誰も語らなかった真実が!
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戦局と軍人さんの絡みで、捉え方が180度変わりますかねぇ。
というか、戦局は末期なので精神的なもので動いていたことが多いのでは?