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今の香港を見ていれば、中国共産党が平気で嘘をついて、侵略行為を行うのが
わかります。
その中国になびく日本の国会議員が多くいるのが、日本の政治にとっては
大問題ですね。
次の選挙では、親中派議員を本当に一掃しなければいけません!!!
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国が滅ぶ理由 内モンゴル、ウイグル、チベットからの警告【前編】
ザ・リバティWeb
https://the-liberty.com/article/19105/
長い歴史を有する日本では想像もつかないが、世界では国が滅ぶという現実がある。国家はいかなる理由で危機に陥り、滅びていくのか。中国の侵略によって国家としての地位を失い、自治区にされた内モンゴル、ウイグル、チベットの人々に話を聞いた(2011年3月号記事より再掲。内容や肩書きなどは当時のもの)。
◆ ◆ ◆
理由(1)
政治的、軍事的な「力」が足りなかった
モンゴル自由連盟党 幹事長
オルホノド・ダイチン
1966年内モンゴル自治区アル・ホルチン旗生まれ。89年内モンゴル師範大学卒業。2000年に来日。08年大阪大学大学院博士後期課程修了。06年モンゴル自由連盟党を結成し、現職。機関誌「自由モンゴル」の編集長も務める。
【地域データ】
内モンゴル自治区(南モンゴル)
自治区への編入時期:1947年
人口: 2384万人(漢族79%、モンゴル族17%、満州族等4%)
かつて清朝の支配下にあった内モンゴルですが、辛亥革命が起きた1911年、外モンゴル(現在のモンゴル国)とともに統一モンゴル国の独立を宣言しました。
しかし、清朝を倒した中華民国は統一を認めず、戦争が起きました。そして15年に、ロシアと中華民国の間で、外モンゴルのみの自治を認める決定がなされ、それ以降、内・外モンゴルは異なる道を歩みます。
その後、内モンゴルは45年のヤルタ協定で、中華民国の一部とされ、国共内戦が続く47年に中国共産党によって「内モンゴル自治区」に組み込まれました。
この過程で、多くの国際会議や国同士の話し合いが行われましたが、内モンゴルの代表が独立を主張したり、他国が利益を代弁する場面はありませんでした。大国の利害に翻弄され続けた内モンゴルは、国際政治の舞台で政治的、軍事的な「力」が足りなかったのです。
恐怖で声も上げられない
自治区を設置した中国共産党は当初、「モンゴル人の自治を守る」「お互い平和に暮らそう」と甘い言葉を使って内モンゴルに軍隊を送り込みました。
ところが、60年代の文化大革命時の「内モンゴル人民革命党粛清事件」では、自治を求めるモンゴル人が「民族分裂主義者」として大量に虐殺されました。
この事件では、中国政府が発表した控え目な数字でも逮捕者は35万人、拷問で身体的な障害が残った人は12万人。死亡者は3万人近くですが、5万人や10万人という説もあります。
当時、自治区内にいたモンゴル人は150万人弱なので、平均して1世帯から1人の逮捕者が出た計算です。現在も内モンゴルの町には、顔や腕、足などに障害を持った人がたくさんいて、事件の傷跡は癒えていません。
日本の皆さんは、内モンゴルでデモや反政府運動が起きたニュースを聞かないと思いますが、徹底的に弾圧されたモンゴルの人々は恐怖心が強く残り、声を上げる気力もないのです。
以下、詳細は本サイトでご覧ください。
https://the-liberty.com/article/19105/
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