かつてショウビズ界を席巻した有名人の当時と現在を追う。第2回目はアンドレイ・グービン(以下、敬称略)。
※ズベズダーとは、ロシア語で「星。光り輝く芸能人」のことを言う。
▲現在のアンドレイ・グービン。
1974年4月30日現ロシア連邦バシコルトスタン共和国首都ウファ市生まれで、本名はクレメンチエフ・ヴァレーリエヴィチ・アンドレイ。芸名に使われているグービン姓は後父グービン・ヴィクトルから来ている。前父クレメンチエフは書類上の父親であり生物学的関係は無い、という複雑な家庭で生まれ育った。幼少の頃はチェスにサッカーに夢中だったが、骨折が原因でスポーツ界から去り、ウファの研究所研究員であり旧ソ連雑誌社の風刺画家でもあった後父の影響で、ときどき絵や記事を書いていた。ところが、8年生のときに雑誌「アガニョーク」に、「時代はペレストロイカなのに学校ではまだ古いことを教えている」という手紙を送ったら掲載された。これを受け学校側は同系雑誌の閲覧を禁止、アンドレイはそれから一度も授業で呼ばれなくなり、学校を卒業はできたものの中等教育証明書は与えられず、教師らは20年間も彼を「愚かで失礼な生徒だった」と酷評していた。
▲全盛期の頃のアンドレイ・グービン。
結果の良し悪しに拘らず、伝える力・影響力が潜在的に備わっていたアンドレイは、その後才能を開花させ、7年生(1987年頃)のとき最初の歌「Мальчик-Бродяга」を書いた。これは後の1995年にリリースされた。その翌年、ギター伴奏で収めた「Я - бомж」という社会政治的内容を含む音楽ディスクをリリース、200枚売れたという。またオスタンキノ塔にあったテレビ局「ソ連ツェントラーリヌィエ・テレヴィージェニエ」の傍で路上演奏をしているところを当局の若者向け番組のメインディレクターの目に留まった。
その後は甘いルックスと声質で幾万の女性ファンを魅了するスーパーアイドル的存在のシンガーソングライターとなり「Лиза」「Зима-холода」「О тебе мечтаю я」「Облака」「Плачь любовь」など数々のスーパーヒット曲をリリース。また自身の歌手活動の傍ら、女性デュオ・カラメーリの音楽プロデューサーとして活動したり、露ダークファンタジー映画「ナイトウォッチ」ので好演して人気を博した故ジャンナ・フリスケに「Ля-ля-ля」「Мама Мария」などの楽曲提供もした。
▲アンドレイ・グービン作品ヒット集。
01 Птица (鳥) - 00:00
02 Девушки как звезды (星のような娘) - 03:54
03 Танцы (ダンス) - 07:56
04 Зима - холода (冬-寒さ) - 11:59
05 Лиза (リーザ) - 16:03
06 Плачь, любовь (泣いて、愛) - 20:20
07 Облака (雲) - 24:14
08 Ночь (夜) - 27:43
09 Я знаю, ты знаешь (僕は知ってる、君は知ってる) - 31:23
10 Без тебя (君無しで) - 35:20
11 Она одна (彼女は一人だ) - 39:44
12 Дай мне слово (僕に言わせて) - 43:02
13 Будь со мной (僕と一緒にいて) - 46:56
14 Мальчик бродяга (流離の少年) - 51:16
15 Я всегда с тобой (僕はいつも君と一緒) - 54:26
2000年台中期にステージから去った。印税収入だけで倹約生活に入り、表舞台には今も殆ど出て来ない。また、同時期に左顔面に三叉神経痛が発生。睡眠不足、過労、慢性ストレスが原因だと通告された。
▲NTVの人気トークショー番組「百万ルーブルに値する秘密」で語るアンドレイ・グービン。
私生活では、これまで2人の女性と内縁関係があったものの、結婚は一度もしていない。また4年前民放TVの番組でアンドレイの非嫡出子だという青年アーティストが現れたが、同局の別番組「百万ルーブルに値する秘密」で行われたDNA検査で否定された。また同番組で「最高額に値する、20年以上も隠している秘密」を打ち明けることを薦められたが、拒否。出自か芸能界か女性か・・・打ち明ける日がいつしか来るのだろうか。
参考
Wikipedia. Губин Андрей
«Пик популярности» https://www.youtube.com/watch?v=BFHSSIasQ7w
«Секрет на миллион» https://www.youtube.com/watch?v=CI7myNOkJsM
※ズベズダーとは、ロシア語で「星。光り輝く芸能人」のことを言う。
▲現在のアンドレイ・グービン。
1974年4月30日現ロシア連邦バシコルトスタン共和国首都ウファ市生まれで、本名はクレメンチエフ・ヴァレーリエヴィチ・アンドレイ。芸名に使われているグービン姓は後父グービン・ヴィクトルから来ている。前父クレメンチエフは書類上の父親であり生物学的関係は無い、という複雑な家庭で生まれ育った。幼少の頃はチェスにサッカーに夢中だったが、骨折が原因でスポーツ界から去り、ウファの研究所研究員であり旧ソ連雑誌社の風刺画家でもあった後父の影響で、ときどき絵や記事を書いていた。ところが、8年生のときに雑誌「アガニョーク」に、「時代はペレストロイカなのに学校ではまだ古いことを教えている」という手紙を送ったら掲載された。これを受け学校側は同系雑誌の閲覧を禁止、アンドレイはそれから一度も授業で呼ばれなくなり、学校を卒業はできたものの中等教育証明書は与えられず、教師らは20年間も彼を「愚かで失礼な生徒だった」と酷評していた。
▲全盛期の頃のアンドレイ・グービン。
結果の良し悪しに拘らず、伝える力・影響力が潜在的に備わっていたアンドレイは、その後才能を開花させ、7年生(1987年頃)のとき最初の歌「Мальчик-Бродяга」を書いた。これは後の1995年にリリースされた。その翌年、ギター伴奏で収めた「Я - бомж」という社会政治的内容を含む音楽ディスクをリリース、200枚売れたという。またオスタンキノ塔にあったテレビ局「ソ連ツェントラーリヌィエ・テレヴィージェニエ」の傍で路上演奏をしているところを当局の若者向け番組のメインディレクターの目に留まった。
その後は甘いルックスと声質で幾万の女性ファンを魅了するスーパーアイドル的存在のシンガーソングライターとなり「Лиза」「Зима-холода」「О тебе мечтаю я」「Облака」「Плачь любовь」など数々のスーパーヒット曲をリリース。また自身の歌手活動の傍ら、女性デュオ・カラメーリの音楽プロデューサーとして活動したり、露ダークファンタジー映画「ナイトウォッチ」ので好演して人気を博した故ジャンナ・フリスケに「Ля-ля-ля」「Мама Мария」などの楽曲提供もした。
▲アンドレイ・グービン作品ヒット集。
01 Птица (鳥) - 00:00
02 Девушки как звезды (星のような娘) - 03:54
03 Танцы (ダンス) - 07:56
04 Зима - холода (冬-寒さ) - 11:59
05 Лиза (リーザ) - 16:03
06 Плачь, любовь (泣いて、愛) - 20:20
07 Облака (雲) - 24:14
08 Ночь (夜) - 27:43
09 Я знаю, ты знаешь (僕は知ってる、君は知ってる) - 31:23
10 Без тебя (君無しで) - 35:20
11 Она одна (彼女は一人だ) - 39:44
12 Дай мне слово (僕に言わせて) - 43:02
13 Будь со мной (僕と一緒にいて) - 46:56
14 Мальчик бродяга (流離の少年) - 51:16
15 Я всегда с тобой (僕はいつも君と一緒) - 54:26
2000年台中期にステージから去った。印税収入だけで倹約生活に入り、表舞台には今も殆ど出て来ない。また、同時期に左顔面に三叉神経痛が発生。睡眠不足、過労、慢性ストレスが原因だと通告された。
▲NTVの人気トークショー番組「百万ルーブルに値する秘密」で語るアンドレイ・グービン。
私生活では、これまで2人の女性と内縁関係があったものの、結婚は一度もしていない。また4年前民放TVの番組でアンドレイの非嫡出子だという青年アーティストが現れたが、同局の別番組「百万ルーブルに値する秘密」で行われたDNA検査で否定された。また同番組で「最高額に値する、20年以上も隠している秘密」を打ち明けることを薦められたが、拒否。出自か芸能界か女性か・・・打ち明ける日がいつしか来るのだろうか。
参考
Wikipedia. Губин Андрей
«Пик популярности» https://www.youtube.com/watch?v=BFHSSIasQ7w
«Секрет на миллион» https://www.youtube.com/watch?v=CI7myNOkJsM