NPO神奈川県日本ユーラシア協会 日本とユーラシア~ダイジェスト版~

神奈川県日本ユーラシア協会で毎月発行している機関紙「日本とユーラシア」から、ユーラシア芸能情報をお伝えします。

ユーラシア音楽芸能情報'15.07

2015-07-15 00:00:00 | ユーラシア芸能
 ロシアと近隣諸国の音楽を中心とした芸能情報を紹介するコーナー「ユーラシア音楽芸能情報」を発信中!(^_^)v

ジャンナ・フリスケ 逝去

 昨年2月に機関紙上で「ジャンナ・フリスケ 重篤」という特集を組んだのを覚えていらっしゃるだろうか。多くの声援と多額の寄付金を受け、感謝のメッセージを公開した。しかし今月号では、その努力甲斐空しく逝去したことを皆様にお伝えしなければならない。

 2015年6月15日10時頃、モスクワ郊外のバラシハにある自宅で逝去した。翌日17日、モスクワ中心にあるクロッカス・シティ・ホールで葬儀がしめやかに執り行われた。葬儀には3000人を超える弔問客が訪れ、涙の海・花の海。またこの葬儀の影響でMKAD環状道路は終日大渋滞になったそうだ。そしてその翌日の18日に、モスクワ西部イズマイロヴォ公園の西5km程にあるニコロ・アルハンゲリスコエ墓地に近親者やファンらにより手厚く葬られた。


 フリスケについて少しさらうと、'00年代にセクシーボーカルユニットБлестящие(ブレスチャーシエ)で活躍し、更に'04年と'05年にロシア中を魅了したダークファンタジー映画「Ночной дозор(邦題:ナイトウォッチ)」シリーズでは闇チームのボスの妻を好演したことでセックスシンボルとして人気急上昇。様々な共演男性と噂が立ったが、タレントであるD・シェペレフ氏と内縁関係の愛を結び、'13年に愛息プラトン君を出産。いつでも明るく前向きで行動的、人当たりがとてもよい、幸運に満ちた国民的タレントだった。


しかし、妊娠時に激しい頭痛と悪阻があり脳の病気を疑われたが、胎児に影響が出るという理由で薬物療法を拒否した。出産後診断の結果、脳腫瘍の一種で膠芽腫(こうがしゅ)と判明、とても早く進行し腫瘍は広範囲に広がっていた。2014年1月から米国で壮絶な闘病生活を送っていた。長時間に亘る大手術後成功、夏からラトビアにあるICUに入り、中国に移り治療続行。10月にモスクワ空港へ戻る頃、車椅子を拒み自分から歩くまで回復したが、薬の副作用で変わり果てた姿になっていた。しかし翌年2015年に再発。


 あまりにも早すぎた死。彼女はまさに«Блестящая(ブレスチャーシャヤ、輝く人)»。元所属していたユニットに相応しい人だ。美しさと功績は、私たちに永遠に輝いて遺るだろう。Пусть будет земля Жанне пухом(ご冥福を祈る)。

ジャンナ・フリスケ公式HP http://jeannefriske.com/

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