Funk's life

イチニチイチゼン。

春休み ~白川郷・飛騨高山~

2011-04-07 | 日記
この際、焦っても良いことはないので、思い切って春休みを頂きました。

こんなときだから、家族の絆を深める「家族旅行」。

外人観光客減少中、みんなで国内旅行しましょう。行き過ぎた自粛より消費が大切です。

ということで、白川郷を見て飛騨高山で一泊してきました。



世界文化遺産 白川郷 よく見る全景

まだ雪が残っていましたが、気温16~8度 大変良い天気でした。
途中、普通のタイヤなので心配しましたが、道路は完璧に除雪されてました。


川辺の風景

周りの景色も風情があって良い所でした。


合掌造り

まるで日本昔話。
入場料金を徴収し部屋を見せ、奥に人が普通に住んでる事に驚きました。


白川郷から車で40~50分、飛騨高山へ。


高山陣屋

ほとんど復元で、きれいな建物です。
この前で朝市やってます、早く行かなくても昼頃までやってます。


ひだっちとゆいちゃん

特に名物ではない冷凍パインを食べてます。



朝ごはんに名物のほう葉みそ

うまいけどしょっぱいな~
朝からごはん3合ぐらい頂きました。



高山も古い町並みが沢山残っていて、素敵な街でした。

飛騨牛の串焼き、コロッケ、牛まん、ステーキ、みたらし団子など名物はすべて頂きました。

何食べてもおいしかったです、皆さんもぜひお出かけ下さい。



「慌てない、慌てない、一休み、一休み」by一休さん

大変癒されました、もう仕事はどうでもいいや・・・・子供と遊そぼ。 


春は、だめ男 funk is life。







春ですね ~本日も開店休業也~

2011-04-02 | 日記
殺風景な事務所の片隅に小さなお花が咲いていました。

やさしく応援してくれてますね、ありがとう。



最近、被災し深い悲しみに傷ついた子供達の写真や映像をよく目にします。
悲惨な光景は一通り報道され、対象がより同情を誘う小さな弱き者へと移ったのでしょう。

情報のスピードは、端末の普及と共に加速し、瞬く間にシェアされ広まって行く。
有り余る情報は垂れ流され、混ざり合い、媒体を介し希釈されて行く過程でその本質を見失う。


  ”ねぇ、見て!これ悲しいでしょう?”    ”いいね!”


頑是ない子供達を、良くも悪くも”情報の共有”の為といって見世物にしないで下さい。
彼らにとって、「耐え難い悲しみの記録がある」それだけで不本意ですから。

悲しみの共有など、出来ません。同情という偽善の共有は、引き換えに当事者を必ず傷つけます。

そんな情報も、安っぽい精神論や同情も、彼らには元々必要無いし、私達も興味本位にシェアしてはいけません。

数ある情報を精査し、当事者の立場になって考えましょう、本当に大変なのはこれからですから。




新年度、頑張ろう

2011-04-01 | 日記
震災の影響で、いよいよ現場が止まってしまいました。

資材が滞り、どうにもなりません。元々暇になる時期なので完全にストップ、まさにです。

とりあえず、天気がいいのでバイクを磨いてみました、そろそろシーズンインかな

Vmax1200北米 NOSスネーキー付けました、シングルシート製作中・・・出来上がったら紹介します。


今年度は、本庄YEG交流委員長と七軒町21支会長と本厄の年で大不況の年。

いつも笑顔で、楽しく頑張ります  YEGメンバーの皆様、ご近所の皆様、一年間よろしくお願いします。




原発事故に思うこと

2011-03-30 | 日記
人が作った物だから自然には敵いません。
私達には祈る事しか出来ませんので、製造者に対処して貰うしかありません。
元々危険極まりない物なので、命がけで大変ですがよろしくお願いします。

私は、以前からの政治不信により、政府の発表は信じられません。
また、過去の事例により原子力諸院、委員、東電の発表も信じられません。

震災の翌週に「チェルノブイリの様になる」という疑念が拭い去ることが出来ず、出張に合わせ家族で関西へ行ってきました。
車に給油無しで帰れる距離で、原発から半径600km以上離れた京都に宿を取りました。
そうです、チェルノブイリでは半径600kmの範囲が汚染されました、放射能を避けるにはより遠くに離れるしかないのです。
最初、京都の街の様子に変化は無く、テレビで大騒ぎしているだけでしたが、停電の噂の影響なのか解りませんが
一気に電池が売り切れ、そのうち水も品薄になっていました。(買い占めたのか、被災地へ送ったのかは不明)
揺れもせず、停電にもならないのに・・・・。

幸いにも大爆発も無く、民族大移動も、パニックも起きなかったので、
近所にあるお寺に復興祈願して、翌週は会議もあるので帰ることにしました。

結果的に普通の出張旅行でしたが、最悪の場合、会社の機能を関西に移設し、社員と家族全員が移住できるよう、
先鋒としての役割を担う旅でした。個人的には「何があっても子供を全力で守る」という夫婦の誓いを即行動に移せた、
という実績を、評価したいと思います。

最悪のシナリオで冷静に対応する。楽観することは、諦めと同じ。

”私は「決断」出来ます”


「神の見えざる手による 予定調和に達するという考え方に対して、複雑系の未来は発散する解を持つ。」



震災に思うこと

2011-03-29 | 日記
ブログに何を書けば良いのか解らず、二週間経ってしまいました。
今後一年間、心は喪に服し、気持ちは前向きにと切り替え、今後、「日常」に戻りたいと思います。

先日、友人に聞いた被災された漁師さんの話が、深く印象に残ったので伝えたいと思います。

震災直後、これから津波が押し寄せる間際、漁師である主人は船で沖へ出て行き、奥さんと子供達は裏山へ避難、
お爺さんは家を見守り、家屋と共に津波に流され亡くなられたそうです。
僅かな時間の中、この究極の選択とも言うべき決断に触れると、守るべきものや生きる為の覚悟が伝わってきます。

漁師にとって船は命、船があれば家族を養える。船を守ること、それは命を繋ぐ事。

奥さんは陸地で留守を守る大切な存在、子供を守り大切に育てる役割。

お爺さんは、自分で建てたであろう家と共に死する覚悟をする。
それには足腰の弱った自分が山に逃げる際、足手まといにならない様にという思いもあったろう。

それぞれが、自分のフィールドと自分の立ち位置を把握していないと、即決し行動に移す事は出来ないし、
非常事態に家族が離れることは出来ない。
決断の遅れは、全滅という最悪の結果を生む。

私にその決断が出来るだろうか?

家族で考えましょう、大切なものは何か?腹を括って、生きる為の覚悟を。  合掌