地味な内容ではあるが、質的調査の成果を存分に生かした研究といえる。
大意は『「コミュ障」の社会学』でじゅうぶんくみとれるが、質的調査研究のモデルとして活用する向きには『「生きづらさ」を聴く』の方が役に立つだろう。
貴戸理恵,2018,「コミュ障」の社会学,青土社.(3.26.2023)

空気を読むのが苦手でも、人とつながって生きていける。不登校やひきこもりに寄り添いながら、学校や職場を支配する「コミュニケーション至上主義」の背景を明らかにする、生きづらさを抱えたみんなのための社会学。
目次
第1部 「コミュ力」時代の生きづらさ
若者の対人関係における「コミュ障」
「生きづらさ」の増殖をどう考えるか―みんなが「当事者」になる時代 ほか
第2部 「当事者」と「専門家」のあいだで
「生きづらい私」とつながる「生きづらい誰か」―「当事者の語り」再考
「学校」の問い直しから「社会」とのかかわりの再考へ―不登校の「その後」をどう語るか ほか
第3部 新たな「社会とのつながり」へ
「働かないことが苦しい」という「豊かさ」をめぐって
「自己」が生まれる場―「生きづらさ」をめぐる自助活動としての居場所と当事者研究 ほか
第4部 「当事者」に伴走する
「当事者」に向き合う「私」とは何か―不登校への「よい対応」とは
家族とコミュニケーション ほか)
貴戸理恵,2022,「生きづらさ」を聴く──不登校・ひきこもりと当事者研究のエスノグラフィ,日本評論社.(3.26.2023)

「答えの出ない問いに向き合う」という豊かさ。弱さを抱えることは、誰にでも必ずある。「生きづらさ」の当事者研究におけるリアルな対話実践を、葛藤も含めて描き出す。
目次
誰もが「生きづらく」なりうる社会
第1章 「生きづらさ」とは何か
第2章 当事者研究を引き受けるために
第3章 づら研はどのような場か
第4章 「生きづらさ」とは何か
第5章 つながりの喪失・回復はいかに起こるか―インタビューを通じて
第6章 「私」とは誰か、「この場」とは何か
第7章 づら研では何が起こっているのか
終章 「生きづらさ」は連帯の礎になりうるか