ブレイディみかこ,2023,リスペクト──R・E・S・P・E・C・T,筑摩書房.(2.9.24)
本作品は、2014年、「貧困の街」とも呼ばれる、イーストエンド・オブ・ロンドンにおいて、ジェントリフィケーションのために、住宅協会(実質は行政)にホームレス用ホステルからの立ち退きを求められた、シングルマザーをはじめとする人々が、カーペンターズ公営住宅地の空き家を占拠し、尊厳の拠点としての住居の保障を要求した闘い、それを描いたものである。
実際に起こった出来事、社会運動にもとづいてはいるが、登場するのは、ほとんど架空の人物である。
ジェントリフィケーション(gentrification)とは、以下のようなものだ。
都市において、低所得の人々が住んでいた地域が再開発され、お洒落で小ぎれいな町に生まれ変わること。「都市の高級化」とも呼ばれ、住宅価格や家賃の高騰を招き、もとから住んでいた貧しい人々の追い出しに繋がる。
(p.4.)
ジェントリフィケーションは、「緊縮財政」、社会福祉の後退、金持ち優遇、労働組合潰しともども、ネオリベラリズムの主要政策の一つである。
1980年代以降、福岡の街もずいぶんと小ぎれいになっていった。
木造アパートや長屋が建ち並ぶ地域は、ソーシャル・クレンジング(Social Cleansing)され、つまり、商業資本、投資家、不動産業者、そして行政が、自らの金銭欲を満たすために、貧困層を地域から追い出し、次から次へと、ブルシット、クソみたいな商業ビルを林立させ、福岡の街は、なんの情緒もおもしろみもないそれこそクソに成り果てた。
そんな街を、「お洒落」と感じる、すさまじく貧しい感性しかもちえないバカ──「カフェ活」するバカ、自分のからだと尊厳を売り渡してデパートでじじいに服やバッグを買って貰う、「パパ活」するバカ、、、以下略、が闊歩する、それこそクソがクソするクソな街ができあがったわけである。
あー、よかったね。(棒)
本作品では、とても、いかした、クールな人々が躍動する。
フーテンのアナキスト、幸太と、その元カノ、日本の大手新聞社のロンドン駐在記者、史奈子も、とてもクールな人物だ。
Sisters Are Doin’ It For Themselves [Ft. Aretha Franklin] (Official Video)
「ジェイドのインタビュー記事をまとめていたとき、頭の中にエンドレスでこの曲が鳴っていた」
幸太のスマホからリズミカルなギターのイントロが流れ出し、伸びのある女性のボーカルが聞こえ始めた。ユーリズミックスとアレサ・フランクリンの『Sisters Are Doin' It For Themselves』だ。
アニー・レノックスとアレサが一緒に歌うサビの部分を気持ちよさそうに熱唱しながら、腰をくいくいっと動かして幸太が踊り始めた。
「女になりてえー」
「?」
史奈子はパソコンのキーボードを打つ手を止め、しげしげと幸太の顔を眺めた。
「ローズもジェイドもギャビーも、あそこのシスターズ、マジでクールすぎ。かっけーよー。俺も、女になりてえ」
史奈子はふと思った。幸太がインタビューのとき「女性が草の根の運動を引っ張ってる」とか言い出したのは、フェミニズム的な視点を盛り込んで、というより、この「シスターズ、格好いい」という素朴でダイレクトな感慨のせいだったのではないか。
(pp.141-142.)
闘う女たちのシスターフッドは、まじクール。
それに感化されて、踊りながら「女になりてえ」と呟く幸太も、まじまじクール。
ああ、俺も、女になりてえ、、、
「そう言えばさっき、トイレの修繕講座がアナキーだって言ったじゃない。どこがアナキーなの。さっぱりわからないんだけど」
「あれこそアナキズムじゃん」
幸太はそう答えると、しばらく黙ってから史奈子に聞いてきた。
「史奈子は、アナキズムって何だと思ってる?」
「革命を起こして政府とか倒しちゃうんでしょ。そんで無政府状態のカオスな状況を作って、秩序も何もかも崩壊した瓦礫の上にゲラゲラ笑いながら立っている。そういうイメージ」
(中略)
「反対じゃないよ。むしろ繋がっているというか、表裏一体。人間に何かを強制するものは積極的に壊していくべきだよ。人間の生は自分自身のものであり、他の何者にも支配されるべきではないから。だけど、人間って、実は支配されたほうが楽だと思う部分があって、そうすればもう自分で何も考えなくて済むし、安心だからと思って自分の生を誰かに丸投げしてしまうんだ。たとえば、国家とか会社とかシステムとかにね。自分から進んで奴隷になりたがる。で、そのうち「より優れた奴隷になりたい」って競争を」
(中略)
「親子で路頭に迷うっていう切羽詰まった状況のときに、そんなに時間がかかって融通がきかないものにお願いするってことは、われわれを支配してくださいって言ってることと同じだからね。アナキズムはそうじゃない。自分たちで始める。自分たちの問題を自分たちで解決するんだ。まさにトイレの故障みたいなもんだよ。誰かに来てもらって修理して貰わないとどうしようもないと思い込んでいるから、オロオロして高い修繕代とか払って誰かが来るのをじっと待つんだろ。自分自身では解決できないと信じているからだよ」
(中略)
「自然にまっとうに自分たちでできることを、できないって思い込めば思い込むほど、支配する者たちの力は強大になる。おまえらにはトイレ一つ直せないんだから、俺らに任せとけって勝手になんでもかんでも決めるようになる。そうやって権力は、俺らが、つまり人間が本来持っている力を削いでいくんだ」
(pp.150-154.)
うん、自律、だいじ。
それと、相互扶助、だいじ。
それにしても、幸太、かっけー!
ファッキンクール!
史奈子は、妻を老々介護するウィンストンが、腰を痛めているのを見かねて、代わりにアイロンがけをしてあげよう、とする。
うん、内発性、だいじ。
ウィンストンはじっと史奈子の顔を見ながら言った。
「あんた、きっぷがよくて、いい女だねえ。なんでコータがあんたに惚れたのかわかるよ」
(p.168.)
史奈子もイケメン!男前っ!
素敵💕
都市は、だれのためにあるべきなのか。
シンママのジェイドは、テレビのニュース番組に出演し、こう訴える。。
「(前略)高額所得の専門職の人たちだけで回って行く都市なんてあるわけがない。看護師や保育士やゴミの回収職員や郵便配達員や、低賃金で働いている人たちがいないと地域社会は回っていきません。地域社会のために働いている住民が自分の所得で借りられる家を提供するのは政治の仕事です」
ほんそれ。
エッセンシャル・ワーカーに、称賛、拍手ではなく、最低時給、2,000円と、良質の低家賃住宅を!
くたばれ、ブルシット・ジョブ。
ネオリベの緊縮財政に反対する、クローバー教授は、テレビの討論番組で、こう言う。
「「有効性」ではなく「誰かの道徳観」に基づいた経済政策のせいで国民の貧困化が進んでいるのです。この愚策は早急にやめるべきだ。だから君たちの運動に、僕は大いなる希望を感じているのです。大切なのは人を縛る「道徳観」ではなく、人を自由にする「親切さ」なのです。人間が本来持っている「親切さ」を発揮し合い、互いが互いを生存させる扶助の在り方を、あの占拠地に集まる人々は身をもって示している。ならば「親切さ」のある経済政策とは何なのかということも考えるべきだ」
(p.181.)
これも、ほんそれ。
親切さとは、困っている人がいれば、思わずからだが先に動いてしまう、内発性のこと。
内発性と相互扶助を鍵概念とする、社会福祉理論を構築したいものだね。
がんがれ、俺。
ジェイドの父親は、アルコール依存の廃人同様になってしまっていた。
父親を壊してしまったのは、生活保護で生活していることに対する恥の意識だった。そして、それに追い打ちをかけるように冷たくなっていった近所の人々の視線。
貧しいことや、体を壊して働けなくなったことは、不運であって、恥だと思うべき罪ではないのに、父親は家族やテレビで喋っている人に毒づきながら、本当は自分自身を罵倒していた。社会の役に立てなくなった能無しだと自分で自分を差別し、ゆっくり殺そうとしていた。
根腐れして枯れていく大木のように、ずっとテレビの前に座っていた父の後ろ姿が浮かんだ。
尊厳だ、とジェイドは思った。
あの後ろ姿が剥奪されたものは人間の尊厳だったのだ。
(pp.208-209.)
尊厳、だいじ。
なによりも、だいじ。
これをなくしたら、人は人でなくなる。
死んだ方がましだ。
尊厳の象徴は、薔薇の花。
人間には、パンと薔薇、その両方が、必要だ。
どっちも、だいじ。
みかこさん、ハートを、わしづかみにして、射貫く、そんなファッキンクールな作品を、次々に届けてくれて、ほんとうにありがとう!
2014年にロンドンで実際に起きた占拠事件をモデルとした小説。ホームレス・シェルターに住んでいたシングルマザーたちが、地方自治体の予算削減のために退去を迫られる。人種や世代を超えて女性たちが連帯して立ち上がり、公営住宅を占拠。一方、日本の新聞社ロンドン支局記者の史奈子がふと占拠地を訪れ、元恋人でアナキストの幸太もロンドンに来て現地の人々とどんどん交流し…。「自分たちでやってやれ」という精神(DIY)と、相互扶助(助け合い)と、シスターフッドの物語。
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