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いのちについて

路上生活者 生活保護集団申請

 行政機関(国家と自治体)に、国民・住民のいのちを守ろうとする意思がないわけであるから、支援者がこうして働きかけないことには、ホームレスの生存権は保障されない。すべてのホームレスに生活保護を適用したとしても、イージス艦一隻の価格で一年間生存権を保障できる。元気な者には、行政が公園や道路、山林の管理等の仕事を斡旋すれば、一人あたりの保護支給額は低減できるだろう。企業も、団塊世代の退職で、内部留保がたまり続け、また労働力も不足しているわけだから、フリーターやニートも含めて、試用してみて使えそうだったらどんどん採用したらいい。

しょこたん不適切発言「イージス艦事故、死なずに済んだ…」

 どう考えたってイージス艦に衝突した漁船の二人は死んでるよ。「生きてるかもしれない」なんてのは、あまりの悲しみに死を受け入れることができない遺族や親友のみがもちうる気持ちだろう。死んでるのを死んでると言ってどこが悪い?不謹慎?バカバカしい。
 わたしは、立場上、学生に、「自死するのだけはいかん」と言ってるが、「どうせ生きてることなんかくだらない。さっさと死んじまえ。」というメッセージも、あながち否定する気になれない。どうせ人間みな死んじまうわけだし、死んだら一切が無。無であることを意識できる我も存在しない。また、気の遠くなるような将来、太陽は膨張し、地球は太陽に飲み込まれてしまう。そうすれば、すべての生命とその痕跡が完全に途絶・消滅する。さらに気の遠くなるような将来、宇宙は収縮し、時間・空間も消滅し、絶対的無に帰する。すべてははかない。死ぬのも遅いか早いかのちがいだけ。あとには何も残らない。結局、他者の死を悲しみたくないから、いのちを大切にしろと言ってるだけだ。わざわざ死期を早める必要もないが、死を受容しないのも愚かしいことだ。わたしも、もっと生きたいという気持ちもあるが、死が迫ったら淡々とそれを受け入れるだろう。

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