笙野頼子,2016,植民人喰い条約 ひょうすべの国,河出書房新社.(8.30.24)
「NPOひょうげんがすべて(ひょうすべ)」と「知と感性の野党労働者党(知感野郎)」が政権を握った国・にっほん。そこでは人殺しの〈自由〉、弱者を殴る〈平等〉、餓死と痴漢強姦の偏りなき〈博愛〉がまかり通っていた――。
千葉県S倉市に住む埴輪詩歌は、「指導教授」でもある最愛の祖母・豊子をひょうすべに殺される。母が営む花屋は世界企業に潰され、父は「少女遊郭」に入り浸り死んだ。やむなく詩歌は少女遊郭の「ヤリテ」見習いに入るがたちまち馘、そこで出会った夫も、人喰いの餌食に。時は流れ、権力者からの求愛、世界を揺るがす手紙がもたらされたのだが……詩歌の〈生〉とは何であったのか!? 地に堕ちた自由と民主主義を問い直す、予言的物語。
文学の一つの役割が、言葉を振り絞り、ときには反ポリコレの言葉で挑発しながら、わたしたちの現実感覚を解体し、異邦人としての眼差しをもって、醜悪、下劣、欺瞞に満ち溢れた現実世界に対峙する、そんな感性を研ぎ澄まさせてくれることにあるとしたら、笙野さんのこの作品は、まさに文学の王道たるにふさわしいものであると言えよう。
TPP(環太平洋経済連携協定)が発効した日本、ならぬ「だいにっほんていこく」。
ISDS条項を盾に、グローバル企業が、徹底して人びとから利益を収奪する。
社会保障制度は解体し、薬価が跳ね上がって病気の治療はできず、少女は遊郭に売られる。
そればかりか、男子は軍隊の平和貢献慰安基金から、女子は遊廓の輝く男女平等基金からお金を借りて、大学に行く事が推奨されていた。返せなければ自主決定兵士軍が輝く成人売春ワーカー、或いは遊廓のヤリテ見習いになる。つまりは戦死や負傷、買春客からの暴行強姦がシステム化され、「自由意志」で合法化されているのだった。ところが成人売春は値段が安いので生涯負債を負う、こうして。
「行きたい人は大学に行ける、進学率の高い先進国」となり、「当然」マスコミはこの広告を政府から受けて、都合の悪い事は黙っていた。ばかりか告発する書き手を干すようになった。とどめ、大学進学年齢は昔と同じ十七、八歳だが、中学、高校基金と少女遊廓の「合法勤務」で「稼いでおく」というコースまで出来た。遊廓防衛軍の中核になる、美少女兵の勧誘は詩歌にも来た。中学生だった頃の詩歌の将来については「自分で決めれば」と父親は怖い目で睨みながら何度も繰り返した。でも結局おばあちゃんが「遊廓にはやらない」と押し切ってしまった。「ああああ、少女の自由な性と抵抗をばばあが家父長制的抑圧で弾圧しやがったんだじょー、まったく第二次大戦を始めた戦争責任も、当時選挙権がなかったおばちゃん連中の馬鹿さ加減にあるし、六〇年代の闘争が失敗したのも、弱者である男性に噛みついて運動を割ってしまったウーマンリブの責任だし」などと、バクシーシ山下を好きな父親は愚痴ったのだった。家族会議、と言っても副業の花屋の店の裏手、台所に続いたお茶の間の小競り合いだけれど。「それでもここのお姉さんは卒業したらヤリテになるんだじょ、ねえ場部美ちゃんっ」・・・・・・父親ははしゃぎながらその日も付け馬で花屋の店先までついてきた少女さんの頭をぽんぽん叩いた。すると、内心はさぞ嫌だろうに、・・・・・・。
「ほおはは♡♡、おははは♡はは、おおおおおお♡♡♡、うぴ♡ぴぴぴ、・・・・・・ずっびずっばー♡」、・・・・・・少女さんは乾いた冷たい目になったまま二十一世紀の里言葉で笑い続けるしかなく、さらには目を細め頬を膨らませ、赤ちゃんをあやす表情で詩歌の父に顔を寄せて、「きもーたー、きもーたー」と繰り返した。つまりは払う物を払えと、必死で、訴えていた。
(pp.76-77)
そこまで血迷ったか詩歌?しかしやはりこの人喰い国は仕事がない。結果、すぐに走って自宅に帰れる沼際の遊廓、その少女さんの寮に、とうとう詩歌は勤めてしまったのだ。すると少女さんは朝から晩まで動画を撮られていて、ネットでいつも気味の悪いコメントをされ続けていた。それは複数アカウントの取り囲み変態。「この前行ったら実物はデブだった」だの、「サービス悪かった殺すぞ」とか、「もうババアだから退職しろ」とか普通にカキコされる。ばかりか、・・・・・・この少女のどこが興奮するかとか、今射精したぞとか、・・・・・・いちいち動画の小銭料金だけで「甘え(被害者面の徹底した卑怯糞嫌攻撃)」てくる。そんなところで着替えも風呂も公開である。普通どんな職場でも、またいくらネオリベ社会でも今はワンルームやせめてネカフェレベルでも個人スペースが要求される。しかしそれさえさせないのがこのにっぽんの遊廓の恐ろしさだった、だって。
(p.121)
セックスと暴力は普通違うものだろう(作者私見)?それを何百回もずーっとグーで殴ったり、持ち物を壊したり、棒で叩き続けたり、バリカンで髪を丸坊主にしたり、なんか髪の毛も足の間も血が流れていたり、もっと怖いこともあったけれどどうしても思い出せないような、すべてもっと、凍結のひどい世界の不幸・・・・・・ただ、妙にはっきり記憶に残っているのはあるシリーズ。一作目では、自分たちが避妊具を付けて強姦をしたので、その「配慮」に礼を言えと命令するシーンがあった。その続編は避妊具に溜まった精液を女性の顔にぶちまけ性器にも塗る。その続々編ではまったく避妊をせずに何人もがひとりの女性を襲撃、最後に、緊急避妊薬を見せびらかし、その上で「薬下さい」と言わせてから、嘲笑して顔に投げつけるのだ。しかも「ああ個人輸入の製品には偽物がなー」というセリフが入っていて、結局、妊娠したらしい。
それらと同時にまた、世界の女性虐待や性虐待以外の貧しい女性の映像を戦争や世界的危機を背景に延々と見せられた。
「さー世界の真実を目に止めましょう、コンドームなどという間違ったものを、着けてはなりません、それよりも毎日飲もう、緊急避妊薬」と、もう詩歌にしてみれは呪文としか思えない言葉を海松目は繰り返し、しかもそれが一番教育の勘どころだったようである。
要するに世界の真実がみじめなので、詩歌も同じように不幸になって悲惨になって、飢えてて病気になってくれ、という要求なのであった。
(p.134)
は?それで?なんで少女さんたちがコンドームと生理ナプキンを持っていないかだって?そんなの子供が出来てしまったら困るのではないかって?でも。
にっほんの男はこの二つが嫌いなのだ。というかまとめて言うと女が困る事をなんとも思わぬのだ。そして分けていちいち言うならば、コンドームは面倒、生理ナプキンは贅沢、というのがにっぽんの男性の知と感性(知感)なので・・・・・・。
故に、大変不自然で女性が困るような避妊の仕方を彼女らはさせられていた。避妊具を着けない性交の後で飲み、ただ妊娠の確率をへらすだけの薬の服用。
そしてこの緊急避妊薬は既に世界企業の独占価格と販売になっている。これを少女さんたちは自費で使うしかない。絶対に避妊具を着けたくない醜いキモオタに「甘え(=被害者面で行う徹底虐待の事)」られながら、本来緊急用のその薬を、毎日「仕事」の終わりに飲まされている。またそれでも薬がきかなくて妊娠する場合があるのに、その事も副作用も、世界企業のサイトには既に書いてない。それは涙目被害者面の男共のクレームにより、削除されたのだ、「だってーえ水くさいからーぁ」とかそういう理由でもって。
(p.148)
とどめ?この二問題に関し、正社員の本職ヤリテどもはまずひとつの方を「子供のセックス権擁護コンドーム反対闘争」と呼び、またナプキンは勿体ないからボロ切れを使えというもうひとつに至ってはなんと「エコフェミニズム原始女性太陽闘争」などとおまゆうな名称で推奨するのだった。根本、女性に選挙権がなかった頃の感覚。
そもそも清潔なナプキンが出来てもなお昭和の女性達は、生理を汚れと言われたり隠すのがマナーとか脅されていた。ところが二十一世紀のここはそれ以前の世界であり・・・・・・。
だってそんなボロ布を使ったりすれば感染症になりやすく行動も不便不自由、心も凍えるよ、根本に女性蔑視が横たわってこその女性観と言える。それは、女がたとえ塩むすび一個でも喰っていたら「あああ女の分際でそんなもの喰うな残飯を喰え」の世界である。そんな中、当時農村にやって来た助産師さんや保健師さんは生理の時、脱脂綿を使うようにと少しあげたりして啓蒙して回った。しかしそれでも、「こんな上等でまばゆく白い綿、汗臭い自分などには勿体ないから、使わないわ」というひどい「自己判断」をしてタンスにしまっておく「嫁」もいたわけで、女性はそういう自己奴隷化の世界に閉じ込められていた、でもその後、アンネの日という言葉を考案したり、聞きにくい情報を人に聞いたりして生理ナプキンを開発していった女の社長がいたりして、女性は少しでも過ごしやすくなって行ったのだ。というような話だってやはり昔は少女フレンドかマーガレットに書いてあったはずだ。が、・・・・・・。
(pp.150-151)
特区の病院では「自発的強制安楽死」まで許されていた。これは、「輝くお年寄り法案」の進化したもので、説得するのにも、無理に入院させ脅したり怒鳴ったり、ネットで同じ事を五千回も不毛に議論させたりし、病人を疲れ果てさせ、絶望させ、その結果自殺したくなるのを見るやいなや、殺す、という本当に同調圧力ばっかの国の、金持ちの収益から逆算した方法であった。そして安楽死の薬や処置もまた、保険金からすべてさっぴかれた。しかも世界企業のコントロールするがままにそれは莫大な額となって、時には亡くなった病人の遺産にまで食い込んでさっぴかれて行った。そうやってひょうすべが特区で絞り取った金は、すべてタックスヘイブンの地に持ち去られた。
(p.166)
家父長制とネオリベ資本主義の結託が進めばどういう世界が現出するのか、本作品は、寓話の領域を超越し、優れたスペキュレイティブ・フィクションとしてそのありようをグロテスクなままに描き出している。
暴走する現代社会と市場経済の行きつく地獄を、知っていた文学
世紀を超えて警告する作家・笙野頼子の「放送禁止」条項、ついに刊行!!
TPP反対を叫んだ小説の刊行が、皮肉にもその批准を論ずる臨時国会の最中!
「病人殺すな赤ちゃん消すな田畑無くすな奴隷になるな」「TPP通れば人喰い通る」「TPP流せ憲法戻せ」。IMFは、地球600社世界企業は、殺す気か? 人類を? 「こども、いのち、くすり、ことば、すべて人喰いのえじき」。
この瀬戸際も国民の多くが自国の危機を知らない! 壁が? 柱が? いやもう国がなくなるんだ、それが大本営様の「ペンのお力」! 腑抜け報道と隠蔽放送の罠を抜けて伝われ! 今、想像力が闇を超える!
現実の「人喰いの国」日本を、文学的想像力が転覆する。
時代の幻視者にして予言者の語りの魔術に戦慄する。
――安藤礼二(文芸批評)
読中読後の怖気をぜひ心身に棲みつかせて欲しい。
知らない感じない興味ない覚えてない、
それが彼ら(ひょうすべ)を肥え太らす好餌となる。
――小山田浩子(作家)
この国で女であることは地獄を生きることなのだと思う。
だから、作家と対話するように読んだ。
命、取り返すために。
――北原みのり(作家)
私たち奴隷が「奴隷かも」と気付くためのラストチャンスですよ。
――武田砂鉄(ライター)
ディストピアなんて、ただの現実のことだ。
私もウラミズモに移民申請したい。今すぐ。
――松田青子(作家)