鹿島センセが書いたSM比較文化論が面白くないわけない。自由主義社会で「権威主義的パーソナリティー」がはびこる理由は、荒ぶるどSの神がいなくなって、どM化した人々が新たなどSを希求するからなんだ~と思ってたから、ふんふんなるへそと納得しながら楽しんで読めた。秀逸な文明論としてもおすすめ。
娼婦に肛門性交を強いて国を追い出された作家マルキ・ド・サド、被虐趣味に溢れた小説を書き一躍有名になったザッヘル・マゾッホ。彼らの嗜好を基に命名された「サディスム」「マゾヒスム」が浸透したのは十九世紀だが、そもそも精神的・肉体的な苦痛を介して人が神に近づくキリスト教に、SM文化の源流はあったのだ。鞭とイエスはどんな関係があるのか?そして、SMが輸入されることもなく日本で独自の発展を遂げたのはなぜか?縦横無尽に欲望を比較する画期的な文明論。
(「新刊JP」より。)
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