素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

絶滅した日本列島の古代ゾウの仲間たち(6)

2023年03月06日 16時05分44秒 | 絶滅した日本列島のゾウたち

                 

                      絶滅した日本列島の古代ゾウの

                         仲間たち(その6)

 

1.日本には凡そ2000万年前にもゾウの仲間がいた

(1)日本列島はどのように生まれたのか

(2)日本のいろんなところにステゴロフォドンゾウがいた

(3)とにかく大昔のはなしです―ステゴロフォドンゾウ

(4)常陸大宮市産のステゴロフォドンゾウ―標本「記載」事項を見る―

2.ステゴロフォドンとステゴドンの違い

(1)両者の違いについて

(2)エオステゴドン・シュードラチデンスゾウとは

(3)ステゴドン(ステゴドンゾウ)について

(4)各地のステゴロフォドンについて

 以上は前回までの掲載分

 

 3.ミヨコゾウについて考える

 

 (1)ミヨコゾウが見つかる前にも同じ仲間のゾウの臼歯が

 ミヨコゾウと同時代そして同じ地層から産出したステゴロフォドンゾウの化石については当時、東北大学教授だった矢部長克(ひさかつ:1878-1969)によって研究され、その成果は、Three Alleged Occurrences of Stegolophodon latidens (Clift) in Japan、 By Hisakatsu YABE, M.J.A.(1950)として発表されています。

 そこで今回、「ミヨコゾウについて考える」をまとめるに当たり、矢部の論文(1950)を読んで見ました。矢部長克は、この論文を書いた1950年までに、「Stegolophodon latidens(Clift)」と呼ばれるゾウ類の臼歯は、わが国では3例が記録されている」と述べています。さらに、矢部によると、それらの産地は次の3か所であることを指摘しています。産地に関しては矢部の記述通り、以下「原文」を引用しておきます。

  1. Hanareyama, Kuzi-mati, Taga-gun, Ibaraki Prefecture.
  2. Siogama near Sendai, Miyagi Prefecture.
  3. Hunaoka-mati, Sibata-gun, Miyagi Prefecture'.

 念のため、1.をひらがなに置き換えますと、

  • いばらき けん、たが-ぐん、くじ-まち、 はなれやま、となります。

 これをわれわれが通常使う地名と考えたとき、上記1.には解せない箇所があります。何故なら、「たが-ぐん」には「くじ-まち」はなく、それは「くじ-ぐん くじ-まち」だからです。もう一つは「くじ-まち」には、「はなれやま」という地名は存在しないからです。多分、矢部は層序学的な立場から「Stegolophodon latidensClift)」の臼歯の産地を示したのではないか、と考えるのですが、もしそうでないとしますと矢部の意図が読めないのです。

 地層データベースを参照しますと、「離山層 矢部と青木、1924 はなれやま Hanareyama Formation Yabe and Aoki,1924」、と記されています。これらの事柄は、矢部長克と青木廉二郎の1924年2月の論文、すなわち東北帝国大学理学部古生物学教室『研究邦文報告』「日本近生代地層の対比」に依拠したものと推察されます。矢部と青木は、地層が「はなれやま層」であることをこの報告において同定(identification)していたものと考えられます。

 最近では、1955(昭和30)年、多賀町も久慈町も日立市に編入合併しておりますので、地質学的な立場から上述の1.を「摸式地」(type locality)として表記すれば、「茨城県 日立市 久慈 離山(Hanareyama)」となります。

 なお、この地層は、地質時代としては鮮新世(533万年前-258万年前まで)で、産出したゾウ類の化石は、Stegodon elephantoidesとされています。

 (注)地学では地層の勉強をするとき「模式地」という言葉が出て来ますが、ここでは百科事典の説明を借りることにしました。すなわち、「固有の名称で呼ばれる地層が特徴的に分布する地域。地層は岩石の種類や性質,含まれる化石などによっていくつかの部分に分けられ,それぞれが固有の名前で呼ばれる。普通,それぞれの地層の標準となる露頭がみられる特定の地域を模式地として指定する」のだそうです(『ブリタニカ国際大百科事典』)。

 (2)ミヨコゾウについて考える(その1)

 古生物学者で滋賀県立琵琶湖博物館の館長高橋啓一氏は、「日本のゾウ化石,その起源と移り変わり」(『豊橋市自然史博物館研報』・23号、2013)という論文の中で、日本のゾウ類の仲間としては最も古いのは1900万年前に生息していたと考えられているアネクテンスゾウであると述べています。

 また、それよりはやや新しい地質時代的には、「中新世中期の約1,500万年前になるとシュードラチデンスゾウStegolophodon pseudolatidens (Yabe)が出現する」(高橋、2013)とし、さらに高橋氏は、「松本彦七郎は宮城県塩釜市産の化石を当時ミャンマーから報告されていたラチデンスゾウとして報告したが(松本,1924),その後,宮城県柴田町船岡で発見された同種の頭骨化石を研究した矢部長克は,シュードラチデンスゾウEostegodon pseudolatidensという新種として記載した(Yabe, 1950)」こと、また高橋氏は、兵庫県立人と自然の博物館主任研究員三枝春生(1959-2022)の研究を踏まえて、「この同時代のゾウとしてはミヨコゾウやツダゾウが新種として記載されたが,現在ではこれらもシュードラチデンスゾウとしてまとめられ,属名もステゴロフォドン属にされている(Saegusa,2008)」、と指摘しています。

 矢部が新種と記載した「シュードラチデンスゾウEostegodon pseudolatidens」は、最近の古生物学の立場からしますと、エオステゴドンはステゴロフォドンより古い時代に生息していたと考えられています。それにもかかわらず、よりステゴドンに近い形の臼歯を持っていたことが確認されております(大阪市立自然史博物館『ゾウのきた道』、1995)。

 ミヨコゾウの化石は、1959(昭和34)年に、当時小学6年生だった斎藤みよこさんによって発見されたのですがそれ以前にも、同じ宮城県柴田町船岡で、ミヨコゾウの仲間の頭骨化石が見つかっていました。このことにつきましては、上述のように、1950年東北大学の矢部長克が新種Eostegodon pseudolatidensとして記載(Yabe,1950)しております。

 次に続きます。