2016年10月のブログ記事一覧-カトカト日記 四条畷霊園篇 ~四條畷・門真・寝屋川・大東・守口・東大阪エリアでお墓のことならおまかせください~

​四十九日について

こんにちは、四条畷霊園の和田です。

今回は、ご葬儀後の四十九日忌法要について触れてみたいと思います。

四十九日は、もともとお釈迦様が菩提樹の下で49日間瞑想した果てに悟りを開いた事が、その起源とされています。
生き物の死の瞬間から次の世に生を受けるまでの期間は49日であるといわれ、人の死後その冥福を祈って7日目ごとに追善供養し,その最終日である四十九日目を忌明けとします。(地域によっては、五七日(いつなぬか)が忌明けの場合もあるようです)

49日目までの流れは以下のようになります。

・初七日(一般的には、亡くなられた日を1日目として、7日目を初七日とします。※こちらも地域によって数え方に違いがありますので、詳しくはご担当の葬儀社へご確認される事をお勧めします。)
ご親族、ご友人、知人などが参列し、僧侶による読経のあと、一同でご焼香・会食をします。
最近ではご葬儀と同日に初七日法要を行う事がほとんどです。

・ニ七日忌(14日目)

・三七日忌(21日目)

・四七日忌(28日目)

・五七日忌(35日目)

・六七日忌(42日目)

・四十九日(49日目)
初七日同様、親族・友人・知人たちが参列し、僧侶による読経のあと、ご焼香や会食が行なわれます。
ご自宅に仏壇を置かれている場合は、白木の仮位牌を本位牌へ変更します。
また、ご納骨のタイミングとしても四十九日法要と同日に行われることが多く、その場合は、(1)法要→(2)納骨→(3)会食といった流れが一般的なようですね。


以上、四十九日目までの大まかな流れでした(´∀`)ノ
 

生前墓(寿陵)について

生前墓は「寿陵」とも呼ばれており、自身のお墓を生きている内に建てることを言います。
古来より、生前にお墓を建てることは、長寿を授かるとても縁起の良いこととされてきました。

それ以外にも寿陵には様々なメリットがあります。

❖メリットその1
〈余裕を持った墓所探し〉
いざお墓を建てるとなると、環境面や立地条件などご納得のいく墓所選びには意外と時間のかかるものです。
また具合が悪くなってからご自身でお墓を探すとなると、とても困難にもなってきます。
そういった事も踏まえて、お体の健康なうちにお墓の建立が済んでおれば、いざという時が来ても安心です。

❖メリットその2
〈残された方の負担軽減〉
 身内の方がお亡くなりになると、遺品の整理から葬儀・法要の準備など重なり、なかなかお墓にまで気が回らないものです。
 生前に建てておくことによって、残された人たちの精神的な面はもちろん、経済的なご負担も軽くしていただけます。

❖メリットその3
〈節税対策〉
お墓は課税対象になりません。
そのため相続の際に相続税がかかる事もありません。
ですので、生前に立てておくことによって、その費用分だけ節税していだけます。

このように寿陵には様々なメリットがあります。
他にも生前墓について何かご不明点などございましたら、是非当店スタッフまでご相談頂けましたらと思います!

ビールより・・・ふつうに日本酒が好き!

こんにちは、四条畷店のオカモトです。

 

朝晩は寒く感じる季節になってまいりましたね。

そうなると、嗜むものも変わってきます。

ということで最近、ビールより日本酒を好んで飲んでおります。

 

そこで、田舎に帰ったついでに造り酒屋の蔵元をのぞいてまいりました。

気に入ったものをお土産に一本!!

淡路島の『都美人』

辛口で飲みやすく、ス~っと入ってくる感じです。生原酒(19度)なので気づいたら酔ってます。

 

 

 

地元にいるときは気にもしなかったんですが、いいところが沢山あるもんですね。

『離れてこそみえてくる良さ』ってやつですかね。。。

 

事前連絡で、試飲も楽しめます。

淡路島『都美人酒造』はこちらから

 

 

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両親の背中

こんにちは、四条畷のオカモトです。

先日、田舎の淡路島に帰省して玉ねぎの種をまいてまいりました。

作業中の両親の背中をみて、子供のころは大きく見えた背中も今は少し曲がって小さく感じました。

 

親孝行、今からでも遅くないですね。

 


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お墓の歴史

こんにちは、四条畷霊園の和田です。

今回は少しお墓の歴史について触れてみたいと思います。

日本では、平安時代に仏教の伝来に伴い石工の技術も渡来人によってもたらされ、供養塔や墓石としての五輪塔、宝塔、層塔などが支配階級の間で出現しました。

←五輪塔


その後、鎌倉時代~室町時代にかけて、禅宗の到来とともに位牌と戒名が中国から伝わり、その影響からか位牌型の板碑や今日の墓石に近い角柱型のものも作られるようになりました。

←板碑


江戸時代になると檀家制度が確立し、先祖に対する供養や葬儀、墓など仏事が人々の生活の中に定着したことによって、庶民まで墓石を建立するようになり、墓石に家紋を入れるようになったのもその頃からのようです。

はじめ墓石は個人や夫婦の為のものでありましたが、明治中期以降は家制度(1898年民法において規定された日本の家族制度)の確立により、次第に家単位で建立されていくようになります。
その為、正面には以前は故人の戒名(法名)などを彫っていたものから、「○○家之墓」や「先祖代々之墓」などのような現在に通じる形へと変わっていきました。

第二次大戦後には、洋型の墓石なども登場し、現在ではお墓といっても一口では言い表せないほど様々なデザインの墓石が存在します。

 

←えっ!?

 

とまぁ、こんな感じで現在に至るまでの流れをザックリと書いては見ましたが、お墓の成り立ちについては諸説ありますので、ご参考程度に(^^;)

四条畷霊園のHPはこちら http://www.forever-kato.co.jp/reien/041/index.html