大阪市中央区
道修町 (どしょうまち) は、
豊臣秀吉の商業政策により
薬種商が集められ生まれた
薬問屋の町でした。
江戸時代には、国内だけではなく
中国やオランダなどからもたらされた
薬種の集積地となりました。
現在もなお数多くの
製薬会社が集まるこの地域に、
控えめに鎮座する
少彦名神社 (すくなひこなじんじゃ)
ビルの狭間 ・・・
細い通路 ・・・
その先に本殿があります。
そこは昼間でもほの暗く、提灯が映えます。
江戸時代の末期、大阪では
コレラが蔓延し多くの死者を出しました。
コレラの猛威は
虎と狼に襲われた如くすさまじく、
『虎狼痢 (コロリ) 』 とも呼ばれ
恐れられました。
道修町の薬種商は虎の頭骨などから
『虎頭殺鬼雄黄圓
(ことうさっきうおうえん) 』
なる和漢薬をつくり出し対抗しました。
しかし、明治時代になり
この和漢薬は販売禁止となりました。
そして、
『張り子の虎』 がお守りとなったようです。
この少彦名神社には、
製薬会社からの奉納が多く見られます。
また、
生薬を中心に、
様々な市販薬も奉納されています。
御祭神は、
医術、薬術の神様 少彦名命 と、
中国医薬の祖神 (おやがみ)
神農 (しんのう) 様 ・・・
道修町の氏神様は最強のタッグです。
ちなみに、、大阪の人はこの神社を、
親しみを込めて 『神農さん』 と呼んでいます。
さて、医薬だけはなく
酒造りの神様でもある
からだの小さな少彦名命 ・・・
私は、この神様はバクテリアなど
微生物を象徴しているのではないかと考えています。
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